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「負けたことがある」というのがいつか人生の大きな財産になる

はじめに

僕ももうすぐ26歳。

2020年は自分にとって大きな変化が起こった1年だった。
そしてその変化は人生をポジティブな方向へ変えてくれた。

2021年は更に大きな変化をもたらす1年になると思う。

仕事に忙殺される日々でnoteを書くのが億劫になっていたが、頭の整理も含め、初めて自分の人生について棚卸しをしたいと思う。

日頃から仲良くしてしてくれている人、初めて僕のことを知る人も、ご自身の人生をぼんやりと振返りながら一緒に読み進めてくれると嬉しい。

バスケとの出会い

社会人になった今でも週2〜3でバスケをするバスケ狂だが、バスケデビューは意外にも遅く、小学校4年生の終わり頃だった。

姉が一足先にクラブチームに所属していて、その繋がりで母親に体験練習に連れて行かれたことが、バスケとの出会いだった。

体育館が近づくにつれ、ドリブルの音や、バッシュのスキール音、掛け声が聞こえてきて、胸が高鳴ったことを今でも覚えている。勿論緊張もあっただろう。

練習に参加したその日にクラブチームへの加入を決め、その日から週末はバスケ漬けの人生をスタートさせた。

当時は上手くなりたい一心で、隙間時間で家のガレージでドリブル練習をしたり、近くの公園で朝練をしたりもした。練習がきつくてたまにサボることもあった。

自主練をした甲斐あってか、6年生時にはキャプテンを務めさせてもらった。チームを勝たせることは一切出来なかったが、チームを率いるという貴重な経験を小学生で出来たのは良かった。

歓喜の瞬間

小学校卒業後、地元の山科中学校に進学。勿論バスケ部に入部。

体力のない自分にはきつく辛い毎日だったが、毎日コツコツと努力した結果、3年生時にはキャプテンを務めた。

最終結果は京都府優勝という結果で終えた。
人生初の優勝ということもあり、言葉では表現できない感情になったのを今でも覚えている。

中学卒業後、東山高校に進学。

東山高校は全国常連校の洛南高校に京都予選や近畿大会は僅差で負けており、常に2位という結果であったものの、全国的にはベスト8に入ってもおかしくない強豪校。最近では全国2位になった実績もあり、Bリーガーも複数名輩出している名門校だ。

そんな強豪校に入学した当時は、身体能力が異次元な先輩ばかりで自分が試合に絡むイメージが全然出来なかった。ただその中でも地道に努力を積み重ね、3年生時にはキャプテンを務め、全国大会にも出場した。

プロになりたいという想いは一切なかったが、「大人になったらバスケで飯を食っていくのかな」と当時はぼんやりと思い描いていた。

崩れ落ちたバスケ人生

高校卒業後、関西学院大学経済学部に入学。
バスケ部に関しては関西で5本の指に入る実力校だが、関西での優勝という実績からは十数年遠ざかっていた。。。

試合には1年生の後半から徐々に試合に絡みだし、2年生の後半にはスタメンになるものの、度重なる怪我でチームへの貢献度は低いまま、3年生を迎えることとなる。

3年生時に自分の今後の人生の価値観を決める、大きな出来事が起こる。
自分の実力不足は重々承知の元、スタメンで試合に出場している中、シュートを1本でも外すと、控え選手とすぐに交代されることが続いた。
そこから一切試合に絡まないということも多々あった。

するといつの日からか、シュートを外すと交代させられてしまう(外すともうこの試合には出られない)という記憶が脳裏にこびりつき、シュートを打つことが怖くなりそこから他のプレーにも悪影響が出てしまい、イップス直前の状況に陥ってしまった。

日々の練習では上手くプレーできるものの、いざ公式戦になると頭がパニックになり、結果ミスを連発してしまう自分がそこにはいた。

試合当日の朝が死ぬほど辛い中で「でも頑張って結果を出さないと...。」と思えば思うほど、その思いとは裏腹に負のサイクルに入る日々。
イップスの症状は増すばかりで、どうすれば良いかわからず毎日パニックだった。

そんな状況を毎日思っている間にある考えがふと浮かんだ。

「どうして大好きで始めたバスケットを大嫌いになってしまう世界があるんだろう。どうして個人の才能を殺してしまう組織が存在するんだろう」

そんな風に組織のことを考えるようになった。

そんなことを考えている間にリーグ戦は終了。
チームは全国大会には出場できず4年生は引退。
あっという間に自分たちの代が来た。

自分の経験を元に、部員が誰一人として組織のせいで大好きなバスケットで苦しまない、全員の才能を最大限引き出せるチームを作ろうと思い、キャプテンに立候補。小学校〜大学まで全てキャプテンを務めることになった。

そこからというもの、組織論・エンゲージメント・リーダー論etc...
個人の才能を最大限引き出すことは一通り勉強した。
後はそれをどうチームに浸透させ、結果を出させるか。
悩みに悩んだ結果、ミスコミュニケーションによる部員の”モチベーション低下を防ぐ”ということだけにフォーカスして以下のことを実施。

①否定は絶対にしない
②全ての行動に対して肯定をする
③主体性を引き出す為に、常に自身に考えさせるコミュニケーションを取る

シンプルなことだが、部活のキャプテンといえば強い言葉である程度部員を抑えつけて、勝利という方向性に強制的に向かせることがまだまだ一般的な世界だ。

その中で自分は以下のような成長サイクルを生み出したかった。

肯定される→エンゲージメントが高まる→努力する→パフォーマンスが発揮される→結果チームが勝利する→チームへの貢献度が高まる→自己肯定感が高まる→さらに努力する

大学チームということもあり、定量的数値からチームのエンゲージメントを計ることが出来なかった為、自分のコミュニケーションが好循環を生み出していたかは不明だが、チーム全員の並々ならぬ努力のお陰で、18年振りの関西制覇・46年振りの全国大会ベスト8という実績を残すことが出来た。

この経験から自分はバスケットボールの世界ではなく、個人の才能を最大限引き出すことや、その才能を開花させることに携わりたいと思うようになった。

Wantedlyとの出会い

大手企業に約2年半務めて、僕はWantedlyと出会った。
"シゴトでココロオドルひとをふやす” というビジョンに共感し、感情のままに惹かれ、一緒に実現したいと思い2019年9月にWantedlyにジョイン。

世の中にはココロオドれない環境や組織が多すぎる。
言葉は違えど、大学生の時に感じていた違和感と完全に一致した。

Wantedlyというサービスは個人のなりたい姿を本質的に引き出せるプロダクトで、なりたい姿の為に目の前のシゴトに没頭して成果を出すひとが増えて、成長を実感して、シゴトでココロオドルひとをふやすことが出来る。

そんなサービスを広める活動に命を燃やせるのは凄くワクワクした。

入社後2ヶ月はインサイドセールスとして架電を行い、その後Enterpriseという部署に異動。

Enterpriseは既にWantedlyを導入頂いている企業様のカスタマーサクセスを行い、採用活動をサポートする組織だ。その部署に異動してはや1年3ヶ月。

短期的採用活動のサポートも勿論だが、最近は経営戦略、事業戦略の観点から中長期的なブランディングも支援している。

有り難いことに副業でも数社採用支援を行っており、もしご興味あればお声がけを。
※今絶賛募集中です。

最後に

2020年は素敵な方々とのご縁をもとに自分の人生が大きく変わった。
ここに多くは書かないが、自分の想像を遥かに超える成長があった。

2021年は更に非連続的な成長を自身にもたらす為に、更にチャレンジする。
たった一度きりの人生後悔をしないよう、常に自分の限界に向き合って負荷をかけ続けたいと思う。

自分の人生を振り返った時に、常に最大限の負荷をかけながら努力してきた。
それは死ぬほど辛く、逃げたくなるときも何度もあった。
でもその努力が自分を見たことのない景色に連れて行ってくれると知っている。

だから僕は明日も努力する。2021年はどんな1年になるだろう。楽しみだ。


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