見出し画像

お盆に思うこと。

京都にきてはじめて、五山の送り火を見に行けました。

妻と一緒に五山の送り火を見に来れてよかったです。

さて、お盆。

思えば母がなくなって、4年。なかなか宮崎には足が動かず…。

ちょうど大塚さんから頂いていた幡野さんの本があって。

癌患者の遺族のお話がでてきます。


それで思い出される、あの梅雨の日。

僕自身、父も母も、癌でなくなっていて。母が死ぬ寸前、あまりにも容態が悪くて。担当のお医者さんが僕だけを呼び出し、決断を迫ります。

「強めの薬を処方してあげることをおすすめします。しかし、それで目を覚まさなくなるケースもあります。」

3年間、いやもしかしたらそれ以上、病状で苦しんでいた母。お母さんが亡くなって、中学3年生で父、兄弟の面倒を見てきて。ここまで苦しんだのだからゆっくりさせたいと思って、先生の判断におまかせしました。

それから、4日ほどで、母は亡くなるわけですが(安楽死とも尊厳死とも違います。そこだけは。)、親戚から受けた言葉がいまでも忘れられなくて。

僕が大学に行ってる間、「面倒を見てたのはおれたちなんだぞ」「もっとはなしたかった」そう浴びせられ続けられたことは本人たちは忘れているかもしれませんが、今でも結構な角度で刺さっていて。

お前は大学に行っているけど、社会じゃ通用しないとか、母がいなくなったあともそう言われたこともあって、接したくなくて。

結局、母が理解者だったなと思う。そう思うと同時に、宮崎に帰る理由、いや帰りたくないという意志がある。お墓だって、お骨をもって、上京したかった。住む近くのお寺に納骨したかった。宮崎に帰る理由はなくしたかった。だけれど、当時大学生の自分の意見を聞いてくれず、自分たちが墓参りをしたいという理由で、墓を立てました。

結局、親類という存在はなんなのだろう、と母がいなくなって思う。それはもちろん、親もそうなのだけれど。

幡野さんの本の一節にNASAの家族の捉え方が出てきます。

直系家族と拡大家族の認識です。

意外にも、親、兄弟、その他は拡大家族、に入り、直系家族はパートナーと子供、子供の配偶者といいます。

そして、宇宙飛行士を近くで見送れる特別室に入れるのは直系家族だってこと。

自分にとって、母は特別だった気がします。でも、それ以外の親戚の存在は、なんだかよくわからない。母と父が悲しむからという理由で家を処分させようとしない叔父のこともよくわからない。

選べなかったことを、選び直すために。という幡野さんの表現がなんだかしっくりきます。

直近の家族の問題って何なんだろう。

それを乗り越えていくことには、新しい価値観を持つことが必要だと思うんです。

家族となった妻と一緒にいることはとても幸せです。

なんだろう、一緒にいる時間が幸せなのだと思います。前へ進めているからだと思います。

過去を弔うのももちろん大事だけれど、ここに一緒にいる大切な人が前向きに生きていくことを目指していきたいなと思います。




サポートいただけましたら、作品制作に全力で投資させていただきます…!ありがとうございます!!