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なぜ「いいね」しない、

えっと、理解できない。全く理解できない。

どうして?

「いいね」を押す人が、少なすぎる。



現在、多くの人たちが毎日使うであろうアプリには、TwitterやInstagramに代表される「いいね」や、noteのような「スキ」、YouTubeの「高評価」(以下、まとめて「いいね」と呼ぶ。)という一種の賛同のような機能が存在する。

そういったサービスを積極的に利用する側、すなわち自分が作った文章や動画を投稿する側は、強がりこそするが、やはり「いいね」がくると嬉しいものだ。承認欲求なんて誰にでもあるんだから当然だ。逆に自分が心を込めて作った作品に「いいね」が来ないと悲しいものだ。Instagramでは最近、アーカイブという機能を用いて投稿したことがバレないようにするテクニックがあるが、あれも承認欲求からくるものだろう。見られたくないけど見せたい、「いいね」の数は自分の評価が露わになるようで怖いでも公開したい、こんな矛盾した思考が根底にはある。

ここまでの話で自分はそんなことない、と断言できる人は、直ちに新アカウントを作ってTwitterなり、Instagramなり、鍵アカにして投稿し続ければ良い。YouTubeも非公開でアップしよう。それを何年も続けてから、ここのコメント欄にコメントしてくれれば、「いいね」もせずに無視するよ。最後の最後まで承認しないという喜びを与えよう。

そんな冗談はさておき、本記事では最終的にみんな「いいね」を付け合う良いSNS環境にしたいと思っている。

では、さっそく問題提起して本題に進めていこう。

「いいね」はその名からは、自分が良いと思ったものだけにつけるものだろうが、果たして本当にそれで良いのか?



自分の中の指針として、大抵のことはやった場合とやらなかった場合の比較から、そのどちらが自分にとって良い結果となるかで判断する。今回においては「いいね」をした場合と、「いいね」をしなかった場合との比較で、どちらの選択が自分にとってプラスに働くか。まあ要するに「いいね」をすることのメリット・デメリットの比較ということだ。


◯まずは、「いいね」をした場合のメリットを考えたい。

上述のように投稿する側としては、「いいね」がくると嬉しい。そもそも、「いいね」がきて嫌な気持ちになる人はきっと公開しての投稿なんてしないだろう。
だから、「いいね」をしてくれた人に対する印象は良くなる。これは自分に返ってくるのですごく良いことだ。相手との関係性も良くなるし、自分が投稿した時には、相手は「いいね」してくれるかもしれない。自分が何かに挑戦した時には相手は応援してくれるかもしれない。

「いいね」がある程度つくと、内輪だけではなく、全くの他人のタイムライン(みんなの投稿が表示されるページ)にもおすすめとして表示され、それがさらに賛同を得る可能性がある。そんな拡散的な力も「いいね」にはある。これには一種の集団心理も働くだろう。
とりあえず、他の人が見てみようかな?と思ってくれる機会を作り出すことは、クリエイター側にとってはとても貴重だ。

×次に「いいね」をした場合のデメリットについて考えたい。

まず思い浮かぶのは手間という問題だ。フォローの数が多ければ多いほどタイムラインが溢れ返り、それに逐一「いいね」するのは馬鹿げている。
典型的にはTwitterがその例だろう。他のツールと違って、1日に何投稿でも気軽にできるので、時間を開けた後のタイムラインは投稿で溢れがちだ。
 でも、他のツールだったらどうか。僕の経験則からすると、Twitter以外のツールではそこまで溢れかえることは比較的少ないように思える。そして、「いいね」をおす時間なんて1秒かかからない程度で、♡をタップするか、あるいは画面をダブルタップするかのどちらかで、一瞬でできるようなものだ。

いいねを押すことで相手に不審がられることを避けることもあるだろう。
これも典型的にはTwitterが挙げられて、Twitterの投稿で関係のない投稿に「いいね」すると、された側としては、え?という気持ちになるだろう。
でもこれもTwitter以外のツールでは当てはまらないことの方が多い。Instagramの「いいね」はその投稿に関係のない人も「いいね」するし、YouTubeやnoteもそうだろう。

「いいね」を押すことで、「いいね」欄(「いいね」を押した投稿だけ表示されるページ)にあるものをまた後日見返せるように、ということも考えられようが、これは本当にそうか?
僕の周りでは、このページを有効活用しているという話は聞いたことがないし、本当に良いならどこか別のところにURLを掲載しておくなりしておいた方が、時がたっても見返しやすいのではないだろうか。

また、忘れてはいけない点として、「いいね」を押すことで良い投稿と悪い投稿との棲み分けができることが挙げられよう。良い投稿や面白い動画にはたくさん「いいね」が付くし、面白くなかったり、悪い投稿には「いいね」がつかない。少し前のYouTubeだったら低評価なんてネガティブなボタンも存在していた。(低評価ボタンは今でもあるが、その結果は非公開となっている。)
でも、これは別に「いいね」押してても達成できることだろう。知り合い同士の「いいね」の数なんてたかが知れてるし、本当に良いものはさらにバズって広まっていくものだ。僕は別に全SNSユーザーが全投稿に「いいね」して、全投稿が同じ「いいね」数になるなんてことではない。


こんな感じで考えていくと「いいね」をすることで失われるのは少しの時間でしかなくて、もちろんその蓄積は大きくなるかもしれないが、それによって失われる人間関係、得られたかもしれない人間関係を考慮すれば、全然後者の方がその価値は優越するだろう、と僕は思う。

ということで僕は、note、Instagram、そしてYouTubeに関して、見たもの読んだものはある程度「いいね」を押すようにしている。たまには見てもないけど、とりあえず「いいね」を押すこともある。
大好きな芸能人の方の投稿や、大好きな友人たちの投稿、いつも自分の投稿をいいねしてくれる人たち、何かチャレンジしている人たちの投稿には必ず「いいね」する。それが少しでも勇気や喜び、励みになってくれたらいいし、少なくとも僕は「いいね」をしてもらえた方が嬉しいから。

一方で、Twitterにおいては応援したくなるものや興味があるもの、共感したもの以外には「いいね」を押さないが、その理由は前述の通りだ。それでも人並み以上には押す方だと思う。


それでは、最後に2つ僕の身近な話をしよう。

僕の知人の中に、Twitterでほとんどの投稿に「いいね」をしてくれる人がいる。
いつもその子に関係のない投稿にも「いいね」を押してくるので、以前「どうして「いいね」してるの?」と聞いたことがある。
その子は「いいねを押した方が良いから、既読をするようにいつも押してるんです。逆に押すことで悪いことないし。ハハ」と、笑顔で言っていた。
僕はその子が好きだ。

僕の知人で最近YouTubeでゲーム実況を始めた子がいる。
僕はその子のことが好きなので、そのゲームに関してはやったことはないけど、チャンネル登録してるし、ふとした時にその子の動画を覗いて高評価を押して行ったりしている。
そして、ふとこの前そのチャンネルの話になった時に、「いつも見てないけど、とりあえず高評価押してるよ。頑張って!ハハ」と言うと、すごく嬉しそうに「めっちゃありがたい!ありがとう〜」と言っていた。


ここまで読んでいただいた方、ありがとうございます。長々とここまで書いてきたが、結局は当たり前のことに尽きる。

自分がやられて嬉しいことは相手にもした方が良いし、そして、それは必ず自分にも返ってくる。


「いいね」くらい押せばいいんじゃない?

みんなで応援し合える、そして高め合える世界であって欲しい。少なくともそういう人たちが周りにいて欲しい。

そう思います。






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