40歳目前、父親の三回忌を迎えて思う。
父親が亡くなって、早2年が経った。
早○○年なんていう感覚は人それぞれだと思うけど、僕にとってはやはり早、が付く感覚だ。
この2年で僕自身の環境はガラリと変わった。
転職し、未経験の仕事に就いたのと同時に今まで行ったことも無い土地への勤務を命じられた。
そもそも生まれ育った土地の北海道を出て、名古屋で18年働いた僕としては、場所なんてどこでもいいという感覚である。見知らぬ土地への期待があったため喜んで受け入れた。
僕は父親が47歳で母が45歳の時の子供である。
とは言え、実の子供ではなくそれを知ったのは僕が23歳のときだった。
聞いた時はびっくりし過ぎて素人ドッキリテレビ的な何かかと思ったが父親の顔が深刻すぎて、そうでも無いということが分かった。
とても言い出しづらかったのだと思う。父親は僕の目を見ていなかった。
ただ僕はそれまで育ててくれた事、4人兄姉の末っ子としてひたすら甘えさせてくれた事に感謝していたので、ショックというよりかは「自分が父親の立場で、血のつながっていない子供をこんなに愛せるのだろうか」という自身への疑念を持ったぐらいだった。
姉たちは今でも「アンタが1番可愛がられたよね」と言ってくれる。えっへん、それは僕も自信があるのだ。
父親がカミングアウトした時、母親は既に他界しており最後までこのことを僕に伝えられなかったと姉たちに教えてもらった。とにかく僕に申し訳ないというか言い出す事ができなかったようだ。
そんな父親が2年前に亡くなった。
それまで数年に渡り、もうそろそろダメかもしれないなんて事を幾つも乗り越えて生き長らえていた。
姉から「ちょっともうまずいかもしれない。意識レベル低いわ」と連絡を受け翌日の飛行機を取った直後に回復し、行った時には普通に話せていたなんてこともあった。
しかし僕の体型を見ると父親は「早く痩せれ、じゃないと早く死ぬぞ」と心配してくれた。
死の淵に近い父親が僕の肥満体型を心配してるぐらいなのだから、僕は死の淵に立っているのかもしれないと頭を抱えたが、そんな事を言ってくれる事も嬉しかった。
2020年11月26日、良い風呂の日に父親は亡くなった。自分自身は、血のつながりみたいなモノを持たない根無草として存在している。でも兄姉や親戚、近所のおじさんおばさんに可愛がってもらい、そこに愛があることははっきりと感じている。それは間違いなく亡くなった父や母が紡いでくれたものだ。
金もなけりゃ人望もない、仕事もできないし家事も出来ない。そんなどうしようもない自分とわかっているけど、それを愛してくれたから僕は居る。
人生って面白い。
今僕は2回目の結婚をしている。
彼女との間に子供は居ないけど妻もバツイチで前夫との間に子供がいる。とっくに成人しており子供として籍にいれてるわけでは無いけど、この人たちに僕は何を残せるのだろうか。家族として愛情を伝えていけるのだろうか。そんなことを考える。
でも年齢がなんだ血の繋がりがなんだと教えてくれたのは紛れもなく父親と母親だ。
きっと何とかなるんだと思う。
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