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散歩

犬に連れられ、犬の歩く方に行く。

こちらの様子は関係なく、確固たる意思の元歩いていく。引きが強い。

あの時間は、案外1日で1番ぼけーっとする、よい時間だ。

休日に車運転するのも似た感じだ。1時間も2時間も運転する時、早く着くために運転してる訳でない。

特に自分の意思に関係ない、かつ、ちょっと手足を動かすことが、とても心地いい。ぼーっとしてる中で、何か思い出しては消え、見たものから刺激を受けて、持ち帰る。

家を出れば、そこいらに他人の生活がある。庭も、程々に違って良い。自分の家と同じ植物が根付いていたり、違った手入れがされている。なんともまあ、そんなにオシャレにできたものだと感心したりする。家ごとの自然観も、勝手に想像したりしながら庭を見ると楽しい。自分の自然観など特にないが、親、祖父母の考えを手がかりに見て回ると、動植物への考え方は、それぞれ多少違うように見えてくる。

身の回りに、庭がとても多い、だだっぴろい地域に住んでいるが、案外素材に溢れてる。山に出かけると、その一帯の生態系がある。ただ、自生する植物の組み合わせは、わりと決まっていて、すぐ見慣れるものだ。そんななか、そこらの庭は、色とりどりで目新しい。何処にでも育つ自然を蹴散らし、どこかから持ってきた草花を植えてみる。ハチは集まるし、カエルも虫を食いに集まる。鳥も集まる。気持ち悪い虫もいたりする。不自然な生態系になるような気もするが、とんでもない影響は見て取れない。

庭は、毎年著しく変化する訳では無い。人が手入れして、育てる植物を選んで、保護するからだ。里山では、田んぼや畑を作り、生活のためにずっとそれを続ける。続けると、それはそれで最適な生態系になる。あんまり邪魔なものは、ぼちぼち排除しながら、邪魔とも言えない動植物がぼちぼち間を縫って育ち、なんかいい感じの雰囲気になる。どこから現れたのか分からない山菜も美味しい。鳥もかわいい。

散歩すると、そんなことを考えて心洗われる。





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