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シフォンケーキ作りの沼にはまる

 今年の自粛期間で僕はシフォンケーキを何度も何度も作った。お菓子作りなんてそれまで一度もしたことなかったけれど、1kgの小麦粉1袋分がなくなるまで作った。スーパーから小麦粉が無くならなければもっと作っていたかもしれない。一緒に住んでいる家族が美味しいと言って食べてくれることはもちろん嬉しかった。けれどさすがに飽きたようで3回目ぐらいからはまたなの?という目線を浴びていた。映えとか見栄とかも関係なく、ただただ作り続けていた。それは今振り返れば、生きていくために作り続けていたーー。

 最初に断わっておくとそれまでシフォンケーキに対するイメージは、ちょっとおしゃれな喫茶店に入ったときに注文するものといった程度で、格別に好んでいたわけではない。それでもシフォンケーキを作ろうと思い立ったのは家にある主婦向け総合生活雑誌にレシピが載っていたこときっかけだった。心惹かれた理由はいくつかあるけれど、一番の理由はレシピの横に載っていた写真である。子ども3人と母親が食卓を囲んでいてその真ん中にシフォンケーキがある写真だったのだが、その家族のほのぼのした雰囲気と微笑む笑みを見たとき僕は思わず涙が出そうになった。

 2020年4月から5月のGW明けまでの間、あのウイルスの影響で仕事が在宅勤務になり職場へは出社するなというお達しが会社から出た。その時は製造業の製造部で働いていたから家に持ち帰って出来る仕事はほぼ皆無で実質は「自宅待機」期間に入ったのだが、最初の3日間くらいは時間ができたことに浮かれていた。けれど、1週間も経たないうちに生活リズムがどんどん崩れてきて、このままでは身体も脳みそも衰えて溶けてしまうのではないかという危機感を尋常でないほど覚えていた。昔から生活リズムが整っていない状態で家の中に一日いるとその日の終わり頃には頭が痛くなるのだが、それが1週間近く続くと自分の存在意義さえ疑ってしまう。
 加えて頭痛の原因だったのが、一緒に暮らしている父親である。自営業のため少し前のタイミングから仕事の依頼が少なくなり、その影響でストレスが溜まっていたのか、同じく同居している祖母と衝突することが増えていたのだ。こういった事情もあって家にいることが本当にしんどかった。

 さすがにこの頭痛が続くままではいけないと感じ、何か手と頭を動かせるものをと思い立って手に取ったのが先述したあの総合生活雑誌であったというわけだ。
 そこから始まったシフォンケーキ作りだが初回作ったときに盛大なる失敗をして、その悔しさから2度3度と続けて作ってしまい(最終的にはたしか5回くらい)、そのうち奥深さの沼にはまったのである。

 卵の黄身で生地を、白身でメレンゲをそれぞれ作り、混ぜ合わせて型に流して焼き上げる。シフォンケーキを作る手順はこんなに簡単に説明できるのにその奥深さは想像以上で、まるで理科の実験のようだった。使う材料の微妙な違いによって味わいが分かりやすく変わってくるのだ。
 砂糖を例にあげると、グラニュー糖はすっきりした甘みに、三温糖は主張してくるけれど優しく包み込んでくれる味に、白砂糖は三温糖の主張をおしとやかにした感じをもたらす。お菓子作りや料理をする人にとっては至極当たり前なことだろうし何を今更言っているのだと思われるかもしれないが、なにせ25年以上実家暮らしの僕は料理なんてろくにして来なかったので、この味わいが大きく変わる体感がとてもとても刺激的だった。食べた瞬間の風味の良さや前回との味の違いにまるで身体に電流が走るようであったし今まで料理やお菓子を食べる時には単純に美味しいか美味しくないかという短絡的物差ししかなくて食べ物のその美味しさがどうやって作られているかなんてろくに考えもしてなかったことを思い知った。
 砂糖の他にも豆乳を牛乳に変えてみたりバニラエッセンスを倍量入れてみたりしてこの素材の違いによる変化と出来上がった時に身体に走る電流を存分に楽しんだ。特に特徴的だったのが油による違いだ。雑誌に載っていたレシピでは太白ごま油と書いてあったが家にはなかったので、「シフォンケーキ レシピ」で検索するとサラダ油を使っているレシピが多かった。しかし、初回だしレシピに忠実であろうと思ったことが失敗の原因で、一般的な黄色い蓋に入ったあのごま油を使ったのだ。焼き上がりの状態から香ばしいゴマ油の香りがかなりしていて、食べるとコクが口の中いっぱいに広がった。最初こそ美味しいと感じたけれど食べ進めるごとにしつこいごま油が襲ってきたのだ。きっとごま油の風味が好きな人にはこれもありなのだろうけど、1片食べ終えたらしつこさに飽きが来てしまった。時間を空けながら食べ切って、数日後には反省を生かしてサラダ油で作った。あのごま油のしつこさは皆無になり、かなりおしとやかな味にまとまったのだが、食べ終わったあとに覚えた感覚は物足りなさだった。レシピの最後には「クリームを添えなくても風味豊かで、手でちぎって食べるのもお薦め」と書いてあってその通りに食べていたからか、あのコクと香ばしい香りをどこか求めていた。3回目にしてやっとレシピ通り太白ごま油で作りあげて、主張しすぎないごま油の風味に落ち着いてそれ以降はこの太白ごま油を主に使って作っている。

 こうした試行錯誤による発見の連続や、繰り返し作るうちに手際もよくなりメレンゲを泡立てるのがうまくなったことが達成感にもつながった。次はどうしようかとアレンジを考える時間が多くなって気付けば頭痛もほぼ起こらなくなっていたし、掃除や皿洗いなどの家事手伝いも(恥ずかしい話だが)かなり久しぶりにやり始めた。

 父親の仕事はその後ほぼ0になってしまって、たまにいらいらモードが入ることは続いている。だけどシフォンケーキが出来たあとはなんだかんだ食べてくれたし、失敗した時は家族で大笑いする瞬間も出来た。僕が再び通勤するようになったときにはもうシフォンケーキ作りの衝動に駆られることはなくなってしまったけれど、この期間を振り替えると沼へはまっていたことが家族と和む瞬間のきっかけになっていたようにも感じていて、今では僕のささやかな自信になっている。

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▲初めて作った際、大きな穴があいて大失敗した写真


#PLANETSCLUB #PS2021 #シフォンケーキ #お菓子作り

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