自分が正しいと信じて疑わないけれど、自信もない

「チャポンと行こう」という、『北欧、暮らしの道具店』が送るトークラジオがある。

僕はこのラジオが好きで、散歩やシャワーの時間に聞くことが多い。

今回は、先日放送されたチャポンと行こうを聞いて感じたことをまとめたい。

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ゲストの忍成(おしなり)さんという俳優の方が、若い頃を振り返ってつぶやいたこんなセリフがある(26:54〜)。

『10代後半から20代前半は、自分の考えが全てだと思っているくらい頭が固かった。頑固だった。でも自信もなかった』

この言葉は、すごく自分自身にも当てはまっていた。

同時に、大人たちも多かれ少なかれ同じように多感な時期を過ごしていたのだろうと想像した。


大学生のころ、僕はすごく頑固だった。

自分の意見が否定されたり、自分を不利にする状況に置かれたりしたら相手を非難することばかり気を取られていた。

結果的にたくさんのことから逃げたし、大事な人との関係性を破綻させることもあった。

それでもしばらくは頑固を続けたし、なんなら今でもそれは残っている。

けれど、柔らかくなったとも思っている。相手の意見を尊重することも覚えてきた。

それは自慢でもなんでもなく、いい加減学習したという表現がしっくりくる。

自分では理解できない考えを持っている人は多い。いや、そういう人しかいない。

そんな中で相手と良い関係を築くには、どうしたって受容が必要になってくる。

社会人4年目。自分の意見に固執すると悲惨なことになるということを嫌というほど体感した。

仕事の同僚が話す愚痴は、自分を肯定してほしいというだけだとも気づいた。

そんな彼らを見ると、同時に「自信がないんだな」とも思うようになった。

自信がある人は、自己肯定を他者に委ねたりしない。


自信を持つには、余白も必要だ。余白は、対話から生まれる気がする。

価値観は合わなくても、受け入れる。そうするとカッコつける必要もなくなってくる。

その上で自分の中の正しさを育むことができれば、どんどんカッコよくなるのかもしれない。

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