英語で夢を見る

これは英語を話せる人や英語を頑張って勉強している人は一回は聞かれたことあるんじゃないでしょうか。

「英語で夢見たことある?」
「英語で夢を見るくらい頑張るんだよ、たくみ」

英語で夢を見ることはあります。これ、考えてみるとなかなか面白いんですが、たぶん英語の夢について聞いてくる人がイメージしてるものとは、実際にはちょっと違うんじゃないかと思うんです。

というのは、多分聞いてくる人がイメージしてるのって「夢の中では英語がペラペラな私」なんですよね。
「夢の中ではスラスラ話せてた、早くあんな風に話せるようになりたいな、頑張ろ!」みたいな笑

でも、少なくとも私が今まで英語で見た夢の中では、私は「普通に現実と同じように考えながら英文をつむぎだして、現実と同じように話している」だけでした。

起きた時の印象はこんな感じです。

「あ、今俺英語で夢見てたじゃん」
「あ、俺夢の中でも現実で考えるように頑張って考えて英語話してたな」
「あ、なんか英語で見る夢って、死ぬ気で英語勉強してる人だけに許される素敵な神秘体験みたいに思ってたけど、夢の中でやってることは現実と同じだな」

いやまあ、だからなんだって話じゃないんですよ笑 なんか教訓めいたことで無理やり締めくくるつもりはないです。
ただあえてなにか教訓というかまとめ的なことを言うとすれば、こんなことは言えると思います。

1. 全然違う次元にレベルアップすることはできます、その近道は地道な努力と工夫だと思います

私が中学校で英語を勉強し始めた時は、当然ながら英語は全く話せませんでした。
今私が話せる英語を中学生の自分が見たら「ほえー、別次元やんけ...」と思ったことでしょう、というか当時英語が話せる人を見てそう思ってました。
当時の自分と今の自分は人格的には同じ人間ですから、途中で何かミッシングリンクのような変化があったわけではありません、ある日朝起きたら英語が話せるようになっていたとか。
ラップを日夜練習したり、学校の勉強や英検の勉強したり、英語の先生に自分の考えた英文を発表したり、英会話に通ったり、NHKラジオのビジネス英会話を聞いたり、毎日その繰り返しです。
面白いことに、英語を話せる日本人の人に「どうすれば話せるようになりますか?」というアドバイスを求めたことは私はありませんでした笑 というかそういう人は身の周りにいませんでした。
全然関係ないんですけど、数学についてそういうアドバイス求めたことはあります、高校の先生に。「先生、数学できるようになりたいですけど、できないです、どうすればいいですか?」って。
ほんっとに漠然としか覚えてないんですけど、「たくさん問題こなしてみろ、よーく考えて。何かこう、見えてくるから」みたいな答えでした。なんやねんそれ笑って感じの答えだと思いました。でも、先生としては本心でそれしか言えなかったと思うんですよね。というのは、先生もガウスとかアインシュタインみたいな天才じゃなくて、みんなと同じ次元からスタートして、地道に毎日毎日努力を重ねて、数学に関して少しずつ別次元にレベルアップして、高校で教えられる立場になったんだと思うんです。その経験は地続きなわけですから、「聞くだけで数学が格段にできるようになる驚愕の一言」なんて先生の心には文字通り存在しなかったんだと思うんです。
ただ、素質っていうのは面白いもので、英語に関しては私はそういう地道な努力が苦にならなくて、苦にならないどころか子供がテレビゲームする感覚で「やりたい」っていう気持ちすら持って臨んでいたんです。一方で、数学に関しては「あー、だるいな、できないな、やらんといかんのか...」という気持ちで臨んでいたんですよね。この気持ちの違いが大きかったんです。この気持ちの違いがずっと解消されませんでした。今思えば、私が数学の先生に期待していたのは、この気持ちの違いを解消して、「数学についても英語と同じ気持ちで臨めるようになるにはどうすればいいんでしょう?」という質問への答えというか、カウンセリングだったのかもしれません。(注:ここについては下の方でもう少し長く語っています)
英語について「英語って何?」という晴れない気持ちを持っている方がいたら、それを晴らすこともしていきたいです。それにちゃんと向き合わないまま英語に向かっている人って多いんじゃないかと思うので。ただ長くなるので笑、また別の記事で書きます。とりあえずここでお伝えしたいのは、今とは全然違う次元にレベルアップすることは可能ですということ、そしてそれはなんか奇跡のようなすごい出来事によって可能になるんじゃなくて、地道な努力によって可能になるということです。「英語がペラペラになってるすごい私」の夢は、実際に英語がペラペラになっていく過程で自然と見るものです。


2. 話せるようになるには、話す練習が必須です。話す練習を効率よくこなすには、良いインプットをたくさん蓄えるのがいいです

夢の中で英語を話したとしてですよ、少しでも話せているっていうことは、自分に英文をつむぎだす力があるっていうことなんですよね。
これにはまず「英語、話していこう。TOEIC何点とかそういうんじゃなくて、気持ちを英語で伝えられるようになろう」という姿勢がないといけないと思うんです。

難しいのは、「英語を話すには、英語を話す練習だけしていればいいか」というと、ちょっとそれだと効率がよくないんですよね。
「どんな言葉遣いや単語を使って、みんなはこういう気持ちを表現しているか」というのを、インプットとして蓄積していくことを、話す練習と並行してやるのが最高だと思います。
会話調のものがいいと思います、音楽とか、映画とか、ドラマとか。文章読むのももちろんいいですよ。
私は英語が話せるようになりたいと思ってラップを聞いてたわけじゃないんですけど、ラップは英語のインプットには理想的でしたね。
ある程度の長さが与えられた曲の中で、一定のリズムを保ちながら、自分の歌うテーマを、韻を踏んで歌い続けるって、制約だらけなんですよね。
その制約の中で歌詞を書くと、必然と多種多様な言葉や言い回しを無理やりにでも使わざるを得ないんですよ。
でも、その結果として歌詞が奇想天外で意味不明では本末転倒ですから、ちゃんと英語として理解してもらえるものじゃないといけませんよね。
そうすると、他のジャンルとは段違いに単語や言い回しを効率的に学べるジャンルになるんですね、ラップは。
しかも、ラップって「速い」ってイメージありますけど、人間が自然に話すスピードってそんなゆっくりじゃないですよね。
音楽という範疇ではラップの歌うスピードは速いかもしれませんが、多分人間が自然に話すスピードとラップのスピードはそんなに変わらないんじゃないかと思います。
なので、ラップによるインプットは、話す練習にも直結する良質なインプットだと思うんですよね。

よく、高校の授業中とか、「ここは予習で十分わかったから少し聞き流してもいいか」っていう部分を先生が解説してるような時間は、
その時期に聞いていた曲の歌詞を、どれだけ何も見ずにノートに書けるかというのをやってました。
好きな曲は何回も聞きますし、何回も聞いているうちに覚えちゃってたんですね。

例えば、2Pacというラッパーの曲に "Ambitionz az a Ridah" という曲があります。"Ambitions as a Rider"のつづりを崩してます。

https://www.youtube.com/watch?v=77nB_9uIcN4

この曲の最初の一言が "I won't deny it, I'm a straight rider, you don't wanna fuck with me" です。
「いいよ、否定はしません、俺は正真正銘のライダーですわ、俺にちょっかい出さない方がいいですよ」という意味ですね。
(ここの「ライダー」っていうのは、本当に警察につかまるようなことをする人のことだと思ってます、強盗とか。まあ正直2Pacはそういう意味ではライダーではなかったですけどね笑 ラップはこういうハッタリがあるのがデフォルトです)
この一行だけで「否定しません、認めます」という言い方、「~しない方がいいですよ、警告します」という言い方が学べるわけです。
"You don't want to ~"って、"あなたは~したくない"って、どういうこと?なんで他人が何をしたいかしたくないか言えるわけ?」と、当時の私は思いました。
警告の意味での"You don't want to ~" の言い方は結構多くの曲や場面で見られたんですが、
「あなたはそれをしたくありません」というのは「もし私が知っていることをあなたも知っていたら、あなたはそれをしたがらないはずですよ」ということで、
「それはしない方がいいですよ」という決まった言い方として成立しているんですね。

こういう学びが、一曲一曲、各アルバムで積んでいけるわけですから、楽しくてしょうがないですよね。


まとめ

自分が英語で話している夢を見たら、それはとてもいいことだと思います。是非、夢の中で自分がどんな風に話していたかを振り返ってみてほしいです。多分、現実で既に話せているのと同じレベルで、頑張って話していたんじゃないかと思います。地道に正しい努力をすれば、必ずレベルアップはできます。
英語のスピーキングレベルを上げていくには、話す練習と並行して、良質なインプットを蓄積していくのが良いと思います。私にとって最高のインプットはラップでした。是非皆さんも、どれだけ聞いても・見ても飽きないようなインプットを見つけてください。

本日は以上です、ありがとうございました :)


(注) 苦手意識というものについて

解きほぐしていけばきっと何か核心にたどり着けるんだと思います。きっと私の数学に対する苦手意識の核心は「これは何なの?」という根本的な疑問でした。もちろん、基本的な計算が社会生活で必要だとか、そういうことはわかるんです。でも、「数学っていうのは人間にとってどういう活動で、何を目指してるものなの?」と言われたら、ですよ、答えるのは簡単じゃないですよね。数学ってそもそも「唐突にごめんね。あのさ、論理的に色々考えていったらさ、こういうこと言えるよね、間違いなく。これどうよ?これ新しい定理にしてよくない?あと、些末なことかもしれないけど、この俺の発見ってさ、こんな風に応用できない?」という人間の知的活動のエッセンスみたいなものだと思うんです。それが現代社会で使われているテクノロジーの土台になっているから科目として意義があり大事なので、学生諸君は頑張って勉強するんだよ、という話なんですよね。その根本的な「これは何なの?」について納得できないまま数学に臨まなければいけなかったのがきつかったですね。それが納得できていたら大得意になっていたかはわかりませんが、臨む姿勢は少しは違っていたんじゃないかと思います。
 その点英語はもう少しわかりやすいですよね。「英語っていうのは、なんやらかんやらあって世界中で使われている言葉で、これを使えればコミュニケーションの幅がぐんと広がるものです」っていうことで、有用性がはっきりしてます。そもそも、それを母国語として使ってる国が現にあるわけですから、「この国やこの国で使われている言葉」っていうことで明確に定義できますからね。
 じゃあ、もう一歩突っ込んで「有用なのはわかった。アメリカやイギリスで使われている言葉だというのも分かった。そこであえてもう一度聞こう、英語って何?どんな言葉?」と言われたとします。なんか、英語に対してなんとなく臨む姿勢が固まらない人がいるとしたら、こういう根本的な疑問を全部すっとばして「役に立つからアメリカやイギリスの言葉を勉強しようね」からスタートしたはいいものの、勉強そのものはそんなに楽しめない、っていうことがありはしないでしょうか?自分が何をしてるのか根本のところで納得できていないのに、言われるがままにやるっていうのは、長期的には続かないと思うんです。(納得できてなくても楽しくてしょうがないなら問題ないんですが)。根本のところで納得できていれば、ある程度どんな勉強や活動でもしっかりやれば楽しくなってくるものだと思うんですよね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?