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【精華学園探求アカデミア】カナダと日本での生徒主体の数学授業実践者の対談

デンマーク株式会社の有澤さんの紹介で静岡サレジオ高校数学教師の山田先生と生徒主体の授業について対談させていただきました。

イベント内容:https://peatix.com/event/3136509/view?fbclid=IwAR3m2GrjItxQVtchecdzrp_R00ETbqvSVgY-lgUX3R7q0AxDxJUa0-Dh3ZY

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共通点

国も違えば、文化も違うカナダと日本の教育現場。どんな共通点が見出せるかなとワクワクしながらのぞみました。

気づけば最初から共通点だらけでした。

まずなぜ数学嫌いの子供たちが多いのか?

それぞれの子供たちが本来自分で作っていけるはずの数学のストーリーが、意図的でないにしても先生のストーリーを無理やり教え込むことで楽しみを奪っているということ。

山田先生の授業では問題を読み、常に「ということは」を考えるそうです。つまり問題やそこから導かれる条件に対してそれが自分にとって何を意味するのか考えるということ。

先生の役割はあくまでファシリテーター。導くものとしてヒントやサポートは全力でします。理解を作り上げる主体は子供自身。ただ解くだけは誰でもできる。そこにいきつくまでの脳内の考えるという行為を言語化する。表現する。グループ内でのコラボレーションでさらに理解を深める。

学習が自分ごとになる。数学が自分ごとになる。これでしょ!

そして数学という内容をただ学ぶのではなく、そこから教科横断型の力を身につける。分析能力や、論理構築能力。コミュニケーション能力やチームでコラボする能力。すべてどの分野でも活躍できる力です!

参加者からの質問

保護者の方から教育関係者まで60名あまりの方が参加され、さまざまな質問を受けました。中でも印象に残っているのが、板書を写すことの意義。ノートを書き写すことが苦手な子供もいる中、ある公立の小学校では板書を写すことが絶対なところがあるようです。

僕はThinking Classrooms (考える授業)の実践者としてリリヤドール教授の研究でわかっていることをシェアさせてもらいました。(考える授業については僕の記事を読んでください!)

板書を写すという行為は実はとても複雑な行為なんです。先生の言っていることを聞く。聞きながら書く。書きながら先生の言っていることを理解する。理解したことが以前書いたこととどうつながっているか考える。

こんな脳内フル活動する行為できてる生徒はほぼゼロです。先生の言っていることにかろうじてついていけてる生徒は二割程度。あとの八割は、よくわからない時系列バラバラの板書をよくわからないけど写すというありさま。

そしてもし書いたとしても、後で振り返る生徒はほぼいません。だからはっきりいって板書の書き写しなんて意味ないんです。

意味のあることは、今日学んだことを忘れてしまう将来の自分に対して、どんなメッセージを残せるかということ。なにが自分にとって大事なことか。をよりメタ認知で振り返りながら構築するノートのほうがよっぽど大事です。

まとめ

すっごくあつあつの1時間半でした。考えるという行為は誰もが普段からしていること。子供たちがそれぞれの脳内で繰り広げる数学のストーリーを作るお手伝いをこれからも全力でサポートしていきます!


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