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田所敦嗣著「スローシャッター」

 とても静かな本だった。

 素っ気ないと感じる一歩手前の文章だ。美辞麗句はなく、感嘆符もなく、装飾が削ぎ落された、短めの文が連なっている。

 素っ気ないと感じる一歩手前の、簡素な短い文の連なりから、どうしてこんなにも豊かな情景が浮かぶのか。文に添えられた写真がアシストはしてくれる。本書の著者である田所敦嗣氏と、編集を担当された田中泰延氏の手による写真の数々は、彼らが目にした光景を魅力的に見せてくれる。しかし、もし写真がなくても、読み手それぞれの脳裏に、それぞれにとっての情景が浮かぶに違いない。

 本書の文章は、写真のようだと思う。著者が見た景色や、接した人たちのことを、カメラや撮影者の存在をあまり意識させずに表現している。

 ただし、本書の文章で表現されたものは、写真家が丁寧に現像した写真と同じように、必ず著者の目というフィルタを通ったものだ。そして、どうやらそのフィルタは、とても高性能のようだ。美しいところ、あたたかいところ、さみしいところ、愉快なところ、おそらく著者が大切に思ったところは、全て過不足なく写し取られている。

 本書は紀行文だが、本書の主役は、「場所」ではない。絵葉書のような紀行文ではない。街並みや風景の、いわば外見の美しさは主役ではない。
 本書の主役は、著者でもない。著者の主観で書かれてはいるが、著者の内面はほとんど表現されない。いわゆる作家のエッセイのような、著者のキャラクターを楽しむものではない。
 
 本書で表現されているのは、著者が出会った人々と、その土地の営みだ。その美しさは、誰の目にも見えるものではない。著者の目を通し、著者の手で表現されて初めて像を結び、わたしたちはその美しさを追体験できる。

 本書は、わたしたちに何も押し付けてこない。泣かせのテクニックだとか、レトリックだとか、そんな技巧とは無縁の本だ。素晴らしいもの、美しいものを、ただ、わたしたちの目の前にそっと差し出してくれる、そんな本だ。世界には、こういう場所と人々が確かに在るということ、ただそれだけを述べた本だ。

 こういう本が、読みたかった。



見出し画像はひろのぶと株式会社の note より



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