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土づくりー生きること

なんとなくの方向性だけ決めて書き始めてみる。いまここで書かないと完璧を求めてしまってこれからずーっと書けない気がして。


土づくりー生きること



今は自分にとって土づくり、土台を作る時間なのかなと思っている。


どんな生き方をしたいか、何に向かって生きていくのか、そもそも生きていくのに目標って必要なのか、生きるとはどのようなことだろうか。人間とはどのような存在か。こういった問に対して考えを深めるために本を読んだり、自分で考えたり。そういう時間が今はとても幸せです。



これまで自分は生き急いできたような気がする。”生きる”ということに真剣に向き合ってこなかった。今が”生きる”ことに向き合うタイミングなのかなと思う。



どんな生き方をしたいと思うのか、どんな自分でありたいのか、そういうことを深めていきたい。成長の定義を「自分が幸せになること、自分を好きになること、自分を許すこと」とし、それに向かってゆっくり歩いていきたい。



今はがむしゃらに頑張るのではなく、将来のためのエネルギーをためる期間なんだろうなあという気がする。ゆっくり少しずつ、でも確実に進んでいる。自分の中の情熱を育てていく。いつの日にか熱のぶつけ先が見つかることを信じて。



関連する最近読んだ本↓

V.E.フランクル『夜と霧』
:環境に屈しない人の精神や意志の強さ、そしてどんな状況下にあろうとも何人も人間としての最後の自由は奪えないこと。扱っているのはナチスによるホロコースト、強制収容所についてと重いテーマだけれど、読んだ後には生きる希望を与えてくれる。そんな不思議な本。これから何度も読んで意味を噛みしめたい。





川口幸大『ようこそ文化人類学へ』
:生きている中で納得できないこと、不条理に感じること(常識・あたりまえなど)を別の地域の文化だったり、それが創られた背景などを知ることで「そうあらねばならない」という必然性を理解し、「そうでなくてもよい」という可能性を考える。あたりまえを問い直すことで別の可能性が見えてくる。相対的に物事を見ること、考えることが出来るようになる。こんな風に考えられるようになったら生きるのが少し楽になるのかなと思った。

文化人類学めちゃおもろってなったので(特に贈与)これから少しずつ学んでいきます。


https://www.u-tokyo.ac.jp/biblioplaza/ja/C_00115.html





岡本太郎『自分の中に毒を持て』
:第一章と第四章が特に好き。生きることを選ぶ、人間性、生きがいについて。第四章、政治・経済における芸術=人間の復権に対する提言、”エコノミック・アニマル”への危機感、非合理・無目的・計算外の価値について。

岡本太郎さんの言葉に力があり、胸に刺さる。

”俺は生きた”と言える人生になるだろうか。~自分自身の生きるスジは誰にも渡してはならないんだ。

岡本太郎『自分の中に毒を持て』p26



人生、生きるということ自体が、新鮮な驚き、よろこび、新しくひらかれていく一瞬一瞬であり、それは好奇心という浮気っぽいもの以上の感動なんだ。

岡本太郎『自分の中に毒を持て』p37



自分は駄目な人間なんだとか、こうやったらきっと駄目になるだろう、それならそのマイナスの方に掛けてみるんだ。つまり、自分で駄目だろうと思うことをやってみること。それは、もちろん危険だ。失敗に賭けるんだ。でも、駄目だと思うことをやった方が、情熱が湧いてくる。

自信なんてものは、どうでもいいじゃないか。そんなもので行動したら、ロクなことはないと思う。ただ僕はありのままの自分を貫くしかないと覚悟を決めている。それは己自身をこそ最大の敵として、容赦なく戦い続けることなんだ。自分が頭が悪かろうが、面がまずかろうが、財産がなかろうが、それが自分なのだ。それは”絶対”なんだ。

岡本太郎『自分の中に毒を持て』p54,55




他と比べて弱くても、自分は充実して生きている、これで精一杯だと思えば、悔やむことも嘆くこともない。人生はひらく。

岡本太郎『自分の中に毒を持て』p57




僕は、プライドというのは絶対感だと思う。自分がバカであろうと、非力であろうと、それがオレだ、そういう自分全体に責任をもって堂々と押し出す。

他人に対して自分がどうであるか、つまり、他人は自分のことをどう見ているかなんてことを気にしていたら、絶対的な自分というものは無くなってしまう。

岡本太郎『自分の中に毒を持て』p65




他に対して、プライドを見せるということは他人に基準を置いて自分を考えていることだ。そんなものは本当のプライドじゃない。たとえ、他人にバカにされようが、けなされようが、笑われようが、自分が本当に生きている手ごたえを持つことがプライドなんだ。

弱い人間とか未熟な人間のほうが、はるかに膨れ上がる可能性を持っている。

岡本太郎『自分の中に毒を持て』p67




ほんとうに生きるということは、いつも自分は未熟なんだという前提のもとに平気で生きることだ。

岡本太郎『自分の中に毒を持て』p71




強くならなくていいんだと思って、ありのままの姿勢を貫いていけば、それが強さになると思う。

岡本太郎『自分の中に毒を持て』p81




~ぼくがここで問題にしたいのは、人類全体が残るか滅びるかという漠とした遠い想定よりも、今時点で、人間の一人ひとりはいったいほんとうに生きているだろうかということだ。本当に生きがいをもって、瞬間瞬間に自分をひらいて生きているかどうか。システムのベルトコンベアーに乗せられ、己を失って、ただ惰性的に生活を続けているというのなら、本質的に生きているとは言えない。ならば人類滅亡論を言うことも意味がないじゃないか。一人ひとりが強烈な生きがいに満ちあふれ、輝いていない限り。

岡本太郎『自分の中に毒を持て』p216




セネカ『生の短さについて』
:読んだけれど、難しくてよくわからなかった笑。いつかリベンジ。
解説してくれている記事を見つけたので貼っておきます。






苫野一徳『子どもの頃から哲学者』,『はじめての哲学的思考』
:メモ
哲学は役に立つ。なおかつ深い。独りよがりの思索では敵わない。思いつきはしょせん思いつき。私以外疑える、見えちゃってるは否定できない。デカルトとフッサール。絶望には可能性を持ってこい。キルケゴール。自分だけ見て苦しくなったら遠くを見てみる。アラン。

哲学の考え方が生きていく中で出てくるいろいろな悩み、問題を考えるのに役に立つということをなんとなく感じられた。






岩本悠『流学日記』
:メモ
生きるということ、命を食べるということ、大胆さ、戦闘力、バイタリティ、等身大で地球を感じて生きる、自由、言葉、長く浸っていて住み慣れてしまった自分のワクから一歩外に出る勇気。幸せを感じる「あー、生きてる」って実感と「ありがたい」という感謝。十牛図。ぽれぽれ。時間と年齢にとらわれず、今この瞬間をあるがままに生きる。



まだまだ方向性が見えず、不安と悩みだらけだけど、これからも少しずつ自分なりに歩みを進めていきます。



ひとと自然、ひとと文化、ひとと社会、ひとと人を結びなおす、つなぎなおす、ゆるめる、ほどく、豊かな幸せな関係をみんなで創っていく事業に使わせていただきます!