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真っ暗闇を抜けて

4月からここ最近まで真っ暗闇にいました。生きていることがつらく感じ、どうしようもない感情に襲われ、悲しみや不安、恐怖がたくさんありました。じかんが経った今振り返りつつ言葉にしてみようと思います。


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一年間過ごした海士町を離れる2023年の3月に友人が交通事故で亡くなった。突然のことだった。その連絡が来た時、いろんな感情が湧き出ていた。

幼稚園が一緒で、それ以降よく遊ぶということは無かったけれど彼が存在していることは母同士のつながりで入ってきていて、成人式の写真もみていた。


知らせを聞いてしばらくずーーっと彼のことを考えていた。死を受け入れようと思ってもなみだが出てこない。悲しいって感情が湧いてこない。頭で自分からなにかを分離している感覚だった。きっと頭は自分の心を守ることに必死だったのだと思う。死を受け入れることが出来なかった。

海士町を離島するタイミングだったこともあり、いろいろばたばたしていて、感情もぐるぐるで、あの時は目の前の現実と頭の中をいったりきたりしていた。友人を亡くした悲しみや不安を感じる余裕がなかったのだと思う。


地元に帰り、彼の最近までのことを知る友人に連絡を取り、いろいろはなしをきいた。僕の知らないことをたくさん教えてくれた。大学に入って、ゼミや学生団体にはいってこれから頑張ろうとしていたこと、会った時に笑顔で挨拶してくれたこと。一生懸命生きていたこと。

彼が生きた証を知りたかった。
そうすることで自分の中につなぎ留めたかった。

それからずーーっと生と死と向き合い続けた。向き合わざるを得なかった、という方が正しいような気がするけれど。


気持ちが落ち着いてきたころ彼が亡くなった場所に祈り、弔いに行った。

いのちとして彼が伝えてくれたことがある。この世界にもたらしてくれたものがある。言葉にはできないけれど、それを僕は確かに感じていて、僕の中に生きている。

命は個に閉じていない。死してなお影響を与えてくれている。



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どうして生きるのか、生きているのか。哲学的な問に向き合い続けた。
ノートに感じたこと考えたことをたくさんたくさん書いた。今振り返るときっと大切な時間だったのだと思う。

この時代に生まれたこと、この世界に生まれたこと、今の環境に生まれたこと、生きていること、生かされていること。

過去と今と未来を考えて不安になって、絶望して。生きていることが辛くなって。自分なんかどうでもいい、もうどうなってもいいやって思ったこともあって。苦しくて苦しくて。一日中布団から起き上がれない日もたくさんあった。


動けるくらいある程度回復してからも、電車に乗れない、電車に乗るのがつらい、何を見ても、何をしても笑えない、楽しくない。辛い。今と未来に絶望しか感じない。

まわりのみんなは動いていて、健康に元気にやっている(ようにみえる)
それなのに自分は、、、っていうのも辛かった。。


そんな日々が四か月くらい続いた。絶望のトンネルを歩いているようだったけれど、いつかあの日々があって良かったなあと思う日が来るといいな。


痛みを知ることで優しくなれる。


あまり動くことが出来なかったけれど、お菓子作りを始めたいと思っていろいろ作ったよ。クッキー、プリン、いちごのババロア、シンプルなパン、生地からつくるピザなどなど。失敗もしたけれど、つくる過程から楽しくて、嬉しくて。生きがいっていうのはいろんなところにありふれているのだなあと実感したよ。

この時期に読んだ本、出合った詩もあって。いつか紹介したいな。




ハンバートハンバートの「虎」という曲が当時の心境、感覚を見事に表現してくれています。



この曲にも救われました。




忘れてしまうことが多いのだけれど、これからも足元を何より大切にしたい。何気ない日々や日常。ひとの暮らしや営み。大切な家族や友人、大切な人、大事な人たちを心から大切に。

元気になってきた今予定をたくさんいれたり、動き続けたりしようとしているけれど、立ち止まること、他愛のないじかんも忘れずに。

自分の性質として勝手に動いてしまうので意識的にセーブしようと思ってここにも書いておきます。

読んでくれてありがとう!あなたの日々の中にあたたかさと安らぎがありますように。





ひとと自然、ひとと文化、ひとと社会、ひとと人を結びなおす、つなぎなおす、ゆるめる、ほどく、豊かな幸せな関係をみんなで創っていく事業に使わせていただきます!