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その辺にありそうなフィクション12「都合は変わってしまう」

*1/11

また例のidで検索してみる。
ただ、アカウントには鍵がかけられているので投稿自体を見ることはできない。
けれど、このアカウントはSNS上でしばしば他の人とやり取りをし、その相手たちはアカウントに鍵をかけていないので、このアカウント宛の返信については内容を見ることができた。
そのため、私はその返信を見ながらこのアカウントの投稿内容を想像する、という行為をここ数年定期的に行っている。行為の頻度は不定期。けれど、行うのは決まってメンタルが落ち込んだ時で、ここのところは行為の回数は増える傾向にあった。

*2/11

孝太と付き合っていた頃、お互いのSNSアカウントのフォローはしあっていなかった。
理由は私のアカウントを見られたくないから、というより、孝太のアカウントを見たくなかったから。
フォローなんてしたら知りたくもない情報を知ってしまい、心が疲れてしまうのが目に見えていた。なのでこのアカウントを見つけたのは別れた後ということになる。
このアカウントのユーザ名は孝太と名乗られてはいない。けれど、いくつかの要素を統合すると絶対そうだと断言できるくらい間違いなく孝太のアカウントだと言える。
どんな経緯でこのアカウントを見つけたのかは覚えていない。けれど確かにある日、私が自身の力でこのアカウントを見つけ出した。そしてそのせいで、未だに孝太の存在が私の中で過去になりきらないでいる。今も淀んだ存在感のまま現在進行形で私の中に存在し続ける。
ただ、孝太に対する感情は明らかに昔とは違う。昔は他の人、特に女の子と喋ってるのを少し見るだけで嫌だった。ましてや連絡をとってることなんて知ったら心の底から嫉妬した。
けれど、今は女の子と推測できるアカウントとSNS上でやり取りしていても全く嫉妬めいた感情は湧いてこない。恋心、愛情、独占欲、それらはとうになくなっている。未練が残ってるというのもどこか違う。今となっては私のメンタルを保つためだけに存在する都合のいい記憶になっていた。

*3/11

孝太のアカウントのアイコンは昔と変わらず明治神宮球場の写真のまま。そしてそれは私と一緒に行った時に撮った写真だ。孝太と付き合っていた頃に作った共有アルバムに全く同じ写真があるので間違いない。
そのアイコンを見るたび、人はそうそう好きなモノゴトは変わらないんだなと思う。孝太は昔から野球が好きで、きっとこの先も好きでい続けるのだろう。
けれどモノやコトと違い、好きな人は変わる。それは私の人生の中で何度か証明したし、証明されてきた。
この明治神宮球場の写真も、孝太の中では私と行ったことについては意識に留まらない事実として風化されてしまってるのだろうと思う。じゃないといつまでもこのアイコンを使い続けられはしないと思うから。
そう思うと私がこうやってSNSを見ているのはつくづく何の生産性もない無駄な行為だと感じる。けれど、結局やめられないし、また後日も同じことをしてしまうと思う。
ただ、そもそもの話、SNSで片側だけの返信を見てもどんな話をしてるのか、ほとんど推測なんてできない。

xxx
|
本当にそれね!共感。
|
xxx
だね。また今度だね!

こんなやりとりを見ても何に共感し、また今度何をするのかはわからない。その意味でも本当に何の生産性もない行為だとつくづく思う。けれど人はこういう生産性のないことで心や時間を埋めるしかない場合がある。

*4/11

昨日はしばらくのあいだ寝つくことができなかった。
はじめはいつものSNS検索をして、けれどそれは時間にして数分で終わった。
ただ、どうも感情がハラハラと落ち着かず、目を閉じてもその後すぐには眠れなかった。なのでそれから再び枕元のスマホを手繰り寄せ、何の目的もなく適当にSNSを見たり動画サイトを見たりして眠気が来るのを待った。けれどそれをすればするほど眠気は遠のくような感覚になった。そして次第に今日は眠ることができないのではないかと不安になりだした。このサイクルは何度陥っても毎回焦る。けれど最終的には毎回同じで、どこからか記憶が途切れ、気づくと朝を迎えていた。
結局のところ私は眠ることができた。

*5/11

今朝の寝起きは寝入りの悪さとはそこまで比例せず、普通より若干悪いくらいの感じだった。それから、通勤の電車内にいる時まではそれなりの眠気と頭のドンヨリ感はあったけれど、仕事が始まればいつの間にかいつも通りに戻った。
体調も眠気も、そして感情も白黒バチっと切り替わることはあまりなく、グラデーションのようになだらかに遷移する。昨日のSNS検索をしていた時の感情も仕事中はすっかりどこかに消えていた。何か別のことに気がいくと、当然別のことへの意識は遠のく。だから今は仕事をしてる時が一番感情が落ち着いているかもしれない。
とはいえ、この時期は繁忙期でもなく、仕事は定時を迎える頃には一通り片付いてしまった。なので仕方なく退勤の処理を済ませオフィスを出た。

*6/11

オフィスを出てからいつもの道を数分歩き、最寄り駅の改札を抜ける。時間帯的に今は一番人が多く、少し逼迫したホームの中で帰りの電車が来るのを待った。
数分ほど待つとホームの電光掲示板に間も無く電車が着く旨が表示された。
“時刻通りに電車が来る日本はすごい”とどこかで聞いた情報がなぜか頭をよぎった。するとそのどうでもいい記憶を一蹴するかの如く、不意打ちのメッセージが私のスマホに届いた。

〝今日は仕事いつ終わる?このあと飲みに行かない?〟

二週間ぶりのその連絡に呼応する形で動悸が激しくなりかける。私は落ち着くために深く息を吸い込み、それから電車に乗り込むために並んでいた列から抜け、人混みを抜け、スマホをいじれるようなスペースまで移動した。それから一通りやりとりするまで数本の電車を見送った後、帰路とは異なる路線のホームへと歩き向かった。

*7/11

一度の乗り換え込みで二十分ほどかけ新橋駅に着いた。それから南改札へと向かう人の流れに乗りながら烏森口に出ると、修樹くんの姿が見えた。

「おう!」
いつもと変わらず軽い様子で出迎える修樹くん。結局その姿に安心してしまう自分自身のことがつくづく嫌になった。
挨拶もそこそこに修樹くんは歩き出したので、私もそれに付いて歩く。飲み屋が多く立ち並ぶ道を幾分か歩き、少しばかりどの店に入ろうかと吟味したけれど、結局は前と同じ店に入ることにした。
ここに来るのは二回目だけれど、すっかり新橋=この店=修樹くんという方程式が自分の中で確立してしまう気配がした。
せめてここに音楽という新たに紐付く要素は追加したくないと思い、今日の帰りは音楽を聴かないことを決意した。

適当なつまみとやきとんを数本ずつ、そして生ビールを二つ頼む。
それから一分もたたずにビールが来る。
修樹くんは「おつかれ、かんぱーい」とジョッキを差し出すので、私も脊髄反射のごとく無思考のまま自分のジョッキを差し出した。
ふと、改めて考えると何に乾杯してるのかてんで不明だ。
少なくとも今の私の気持ちは乾杯なんてワードは似つかわしくなかった。

*8/11

「最近は彼女とどうなの?」
知りたいけれど知りたくないことをお酒の勢いで質問した。
「まぁ、相変わらずかな」
修樹くんは彼女との関係を相変わらず”相変わらず”と称す。私はそれを聞き、”だろうね”と心の中で思いながら、それとは違う無難な相づちを口から発した。
それからしばらくの間、修樹くんの近況話を聞く。それらの話の中にはあまり知りたくないことも時々含まれていたので、私はなるべく話を適当に聞き流すように努めた。けれど、そんなに都合よく記憶の仕組みは作られておらず、今日の情報のいくつかはしばらくのあいだ脳裏にこびりつくだろうことが容易に想像できた。もっと違うタイミングで出会って、もっと違う関係を築けたらきっとこういう感情を抱かずに済んだんだろうなと思った。

一通りの話を終えるとぼちぼちと電車を気にする時間になってきた。

「この後はどうする?」
修樹くんの質問の裏にある思惑。それは全くもって透けてみえみえだった。
けれど、それに素直に呼応するのは嫌で、決定を修樹くんの責任にすべく、結論には至らない曖昧な回答をすることにした。

「私は明日は早くないから、別に何でもいいよ」

*9/11

曖昧な意識の中、何らかの機械的な音が徐々に頭の中で存在感を増してくる。そしてしばらく経つとその音が鶯谷を通過する電車のそれと把握でき、途端に不快な音へと変貌した。
上野ならこんな音は聞こえないのに、数千円の差額という修樹くんの天秤は毎度この鶯谷の方に傾いた。
こういう一つ一つ、本当にどうでもいいと思うけれど、それでもやっぱり少しひっかかる。もし修樹くんが彼氏なら倹約家で良いことだと受け取れるのだろうか。同じことをしても立場や関係が違うと感じ方が全然違うんだな、と改めて考えさせられた。
そして私がそんな事でモヤモヤしているなんて事もつゆ知らず、といった様子で私の隣では修樹くんが寝ている。
この人は何を考えているのだろうか。寝息も立てずに綺麗な寝顔。その顔を見ると、まるで”アナタは俺には勝てないよ”と言われてるような気がした。
なんだか虚しいような、苦しいような。上手く言語化できない感情が高まってくる気配を感じ、それを回避するために再び目を閉じた。

*10/11

チェックアウトの時間が迫り、相変わらず慌ただしく準備をする修樹くん。その様子を身支度の終わった私はただただぼーっと見つめた。
昨夜も修樹くんは用意周到にチェックアウト一時間前にアラームをセットしていたくせに、そのアラームで起きるのは毎回私だけ。修樹くんのスマホアラームも私が止めるのが常だった。
結局、私はアラームに素直に従い起床。それから三十分程かけて顔を洗い髪を整え化粧を済ませる。それでもまだ寝続けている修樹くんに声をかけるまでが、いつもの流れになっていた。
いつかチェックアウトのない朝を二人で迎える日も来るのだろうか。ふとそんなことを考えたけれど、こんな都合のいい関係を築いてしまった今ではそんなめんどくさくい関係に変わることはないだろうと思う。そしてこの都合のいい関係自体も
ずっと続くはずはない。

「よし、行こうか」

モヤモヤとした思考に沈み始めていたところ、修樹くんの声でハッとする。
どうやら修樹くんの身支度も終わったようで、後腐れもなく二人でホテルの部屋を出ていった。

*11/11

修樹くんとは住まいも真逆なので鶯谷駅で別れを告げた。
土曜日の朝、こんな時間に都心にいるなんて少しお得感もあるけれど、今からどこか出かける体力もメンタルもない。なので素直に帰路を辿る電車に乗り込んだ。
帰りの電車の中。鞄からスマホを取り出す。
どうしようもない感情を誤魔化すため、無思考のままSNSを起動し、いつものように例のidで検索をしてみた。
前回見た時と変わらないトーク履歴。それらを辿りながら何気なくそのアカウント自体のページに飛ぶと、一瞬何も感じず、けれどすぐさま無思考の頭を殴られたかのような感覚に襲われた。

“そのアカウントは存在しません”

昨日まで確かに存在したはずのそのアカウントは、今はもうどこにも存在しなくなっていた。

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