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その辺にありそうなフィクション1「キールとサンドウィッチ」

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勢いで入店してみたもののあまり居心地がよくない。
外から覗いた店内はカウンター前の壁一面にカラフルなボトルが並べられ、それらがとてもハイセンスな雰囲気を醸し出していた。
その印象はカウンターに通された今も変わらずで。視界に映る店内はやはりオシャレでハイセンスだと感じる。
つまり居心地がよくないのは決して店のせいではない。この店に自分の存在が相応しくないという所感が居心地の悪さを生み出していた。

——大学生か?一人飲みとか背伸びしてんなぁ。

注文を取りにきた店員の架空の声が脳内で響いた。と同時になんだか情けない気持ちが溢れてくる。
けれどこのタイミングで店を出る訳にもいかないので、とりあえず注文するためにメニューを手に取ってみた。
メニューにはまるで読み馴染みのない文字が羅列されていて、いくら読んでも何だか頭に入ってこない。ただ、幸いお酒はある程度なんでも飲めるのでその中から一番響きのいい名前のカクテルと目についた食事を適当に注文することにした。

注文というやることを終えてしまうと、飲食というやることが発生するまで手持ち無沙汰になってしまい、スマホをいじるというやることを無理やりつくって何とか時間を潰した。

それにしても居心地がよくない。誰も自分のことなんて見ていないことはわかっているけれど架空の視線が入店してからずっと冷たく刺さる。
そんなことを思っていると注文の品が運ばれてきた。


*2/7

やっぱり自分には一人飲みは向いてなかったな。
そんなことを思いながら腹も満たせず酔いもまわらない程度の飲食を済ませて店を出た。

この後どうしようかと考えてはみたものの特に行く宛も浮かばず、結局住まいの方へ歩き始めることにした。
視界には慣れ親しんだとは言えずとも、決して新鮮ではない街並みが映り込む。

気づけばこの街に引っ越してきてから一年が経った。つまりは初めての一人暮らしを始めてから一年が経ったことになる。
東京で働くことを希望しつつ、もしかしたら名古屋や大阪の支社になってしまうかもとは想定していた。けれど新卒として入社してから数ヶ月後、配属が決まったのは拠点が存在することも初耳な場所だった。
別にこの街は嫌いじゃない。むしろ落ち着いた良い場所だと感じる。
けれど思い描いた自分になれず日々モヤモヤと抱え込んでいるしこりの様な感情の原因を「何もしていない自分」ではなく「何もないこの街」のせいにすることで無意味な自尊心を保っていた。

そんなことを考えながら着実に帰路を消費していると、バーにしては親しみやすくカフェにしては薄暗い、小ぢんまりとした店が目に入った。
中を覗くと落ち着いた柔らかい雰囲気の内装とカジュアルな格好の店員が一人、カウンターで何かの作業をしているのが見えた。


*3/7

「いらっしゃい。お好きな席へどうぞ」
カジュアルな格好の店員がカジュアルな声色で出迎えてくれた。
どこに座ろうかと店内を見渡すと店員のいるカウンター近くの席に食べ残されたサンドウィッチがあることに気づく。けれど他の客の姿は見えなかったため席は自由に選ぶことができた。
本当はカウンター近くの席が店員との距離もほどほどで一番良い感じの場所だった。けれどその席を選ぶと食べ残しの片付けを急かしてるように思われる気がしたので、結局カウンターから少し離れた小さな丸テーブルの席に着くことにした。

「初めましてですよね?普通のご飯とかあんまりなくて。お酒かコーヒーくらいしか出せないけど大丈夫?」
店員がカウンター越しから尋ねてくる。

——この子、こういう店に一人で来るようなタイプには見えないな。もしかして間違えて入ってきたか?

そしてその店員の問いかけに追随するように今回も店員の架空の声が脳内で響いた。
けれど前の店と違い不思議と情けない気持ちは湧いてこなかった。
二軒目だから場慣れしたのか、店の雰囲気によるものか、はたまた店員の雰囲気なのか。理由は明確にはわからない。けれどさっきとは違い、居心地の悪さは感じなかった。
そしてそもそも一人でお店で飲むのは今日が初めてだし、そう思われても別に仕方ないとすら思えてきた。

店員の問いかけに大丈夫である旨を回答すると、店員は店の仕組みを教えてくれた。
「注文は毎回カウンター受付で前払い制になりますので、よろしくね」
説明を聞きながら、この広さなら着席したままでも注文できるけどなと思った。
実際、店員はカウンター越しから着席しているこちらへ店の仕組みを伝えてきている。けれど仕組みを聞いたそばから着席したまま注文するのは少し気が引けたので初回の注文はカウンターまで出向くことにした。

メニューにはやはりまた読み馴染めていない文字が羅列されている。あまり迷っていても恥ずかしいなと思い、少し焦りながらメニューをなぞって見ているとさっきの店で頼んだものと同じカクテルを見つけた。それが結構美味しかったので今回も同じでいいか、と注文を決めた。
店員に注文を伝え会計を済ませると真横から突然‘ガチャッ’という音が聞こえた。反射的に音の方向を見ると御手洗と思われる扉から一人の女性が出てきた。外からでは気付かなかったけれどこの店には先客がいたみたいだ。
女性はそのまま一直線にカウンター近くの席へ。食べ残しだと思ってたそのサンドウィッチはこの女性の食べかけだった。


*4/7

「葡萄もらったんだけど食べる?」
「えー、食べたい!」
「じゃあ用意するから少し待ってね」
店員からの問いかけに対して女性の天真爛漫な回答だけが店内に響いた。けれど店員は二人分取り分けてくれているみたいなのでこちらの頷きも視界に入っていたようだ。

「というか二人とも俺を仲介しながら話さないで、こっち座って直接話しなよ」
店員はそう言いながら葡萄の乗った二つの皿を女性の座る席に置いてこちらに向かって手招きをした。
本当に座っても迷惑ではないか女性に確認すると女性はにこりと笑いながら頷いた。その笑顔をとても可愛らいと感じたけれど初対面で不躾なことも言えないのでシンプルにお礼を言ってから席に着いた。

「正直ずっと話したいなと気になってましたよ」

いざ席に着いてみたものの、どんな話をし始めたらいいかと悩んでいた矢先、女性の開口一番の言葉はあまりに唐突でこちらが想像もしていないものだった。けれどそれはこちらの心を開く最初の言葉としては十分過ぎるもので、そこから仲良くなるまでに時間はほとんどかからなかった。
女性の方がこちらよりひとつ歳上なこと、好きなものの話、仕事の話。
お互いに開示する情報量の平仄を揃えながら心地よく会話を重ねていった。

ふとまわりを見渡すと店外の樽テーブルにまで客が増えていることに気づいた。


*5/7

こちらは徒歩で帰宅できる場所で飲んでいるためすっかり気に留めることを忘れていたけれど、ふと時計を見ると時刻は二十三時になろうとしていた。
電車の時間は大丈夫かと女性に問うと、「いいの」とだけ言われ、すぐに別の話題に切り替えられた。
飲み過ぎじゃないかと改めて問い直すと、今度は少し強張った表情で「楽しいから大丈夫、適当にカラオケとかで寝るから。だから心配しないで」と言ってきた。
なんだかそれに対して返す言葉が見つからず会話はそこで途切れてしまう。すると女性は生まれた沈黙を掻き消すように先ほどまでの笑顔を戻し会話を再開した。
「それなに飲んでるの?赤ワイン?」
ろれつが可愛らしくまわらなくなっている女性に今日覚えたてのキールというカクテルだと教えると、女性は立ち上がりカウンターへと向かった。

それから少しの間ぼうっと女性を待っていると、"女性がお酒"ではなく"店員が女性"を連れて戻ってきた。
「今日いろいろと話してさ、信頼できるから頼むけど、この子もう飲まない方がいいと思うからさ。でも放っておくわけにもいかないでしょ。こんな若い子をこんな夜の飲み屋街にさ。だからちゃんと面倒みてあげて。ちゃんと頼むよ」
予想もしえない店員からの依頼に戸惑いを隠せなかった。けれど放っておくわけにもいかず。どうするか迷った末、女性の意思を確認したうえで結局店員の頼みを受けることにした。
けれど途端に想像できたこの後の生々しい展開に気が重くなる自分がいた。
この歳で何言ってんだと思うが女性に少し好意を持ち始めていたから。


*6/7

女性はそれなりに酔っているが足取りも意識も保ててはいるため、普通に会話をしながら二人並んで家へと向かった。

「こうやって二人で歩いてるとさ、なんか恋人みたいだね」
不意に女性にそう言われ、嬉しい気持ちになった。それなのにそれをうまく表現できず「そうだね」としか返せない自分が情けない。
女性は沈黙になりそうなことを察してかそのまま話を続ける。
「嘘だよ嘘、ごめんね変なこと言って。そういえばさ、恋人はいるの?」
この問いかけには「いない」と答えた。
すると女性の質問は続いた。
「へー、いると思ってた。いたことはあるでしょ?じゃあ何人くらい経験はあるの?」
経験とはどの経験を指しているのだろうと考えた。けれど具体的には聞かずに「二人だよ」とこちらが思う経験の数を答えた。
結局その話題自体はそこまで盛り上がらず。それから何となく適当な会話をいくらか重ね、一人で帰宅する倍くらいの時間をかけてやっと家にたどり着いた。

部屋に入ってすぐ女性に水を出してから、風呂もトイレも自由に使っていいこと、着替えが必要なら自分の部屋着を渡すことを伝えた。
女性は水を飲みながら少し休憩するというので、こちらは先に風呂に入ることにした。
ひとり風呂の中、この後を想像しては気が重くなり、色々が混ざり合う複雑な感情が永続的に体内を漂った。
その感情はシャワーでは洗い流せず、ひと通り身体を洗い終えてから風呂を出た。

髪を乾かしリビングに戻ると女性は壁際に横たわりながら渡した水をちびちびと飲み、ぼうっと一点を見つめている。その様子を見るとなんだか話しかけることもできず、こちらも無言のまま自分の部屋のいつもの定位置に腰をおろした。
いつもの一人暮らしの部屋に自分以外の人がいる。それなのに今この部屋はいつも以上に重たく沈黙しているなと感じる。
女性は何を考えているのだろうか。体調は大丈夫だろうか。そんなことを考えては何も言葉に出すことができないまま、重たい時間が刻々と過ぎていった。すると口火を切ったように女性は飲み干したコップをローテーブルに置き、その流れでこちらに近付き力強く抱きついてきた。

「今日はこのまま。ずっと一緒にいさせて」
耳元でそう囁くのが聞こえた。


*7/7

昨日の出来事を思い出してもあまり現実味は持てない。それでも定刻になれば日常は始まる。

「一緒にいさせて」と言われた直後は想像通りの流れだった。
どちらからともなく唇を重ねた後、女性の頭に軽く手を添え、そっと押し倒してみた。それからブラウスの中に手を入れると少しザラっとした感触に当たる。そのざらつきの上から感触を確かめるようにそれを触ってみた後、少しずらし、触れた突起を弄ったり摘んだりした。
漏れ伝わる女性の柔い声を聞きながら、今度は下半身に手を伸ばしてみる。女性のソレはしっかりと濡れていたので、そこからある程度の時間をかけてゆっくり弄る。指の動きに合わせて女性の声がさっきより大きくなった。
しばらくすると女性がこちらの肩を引き寄せ身体を上下入れ替える。そしてさっきよりも強く唇を重ね、女性は右手をこちらの下半身の方へと伸ばした。慣れた手つきでズボンのボタンを外し、それから伸びてきた女性の右手がこちらの身体の何かを探すように伝った。けれどその右手は数秒経っても落ち着かない様子で。そしてそれが何故かはすぐに察することができた。
直後、女性は「ごめんね。やっぱりシャワー借りさせてもらおうかな」と案の定言ってきた。
こちらとしても強引にするような気はなく、「うん、そうだね」とその依頼を承諾しタオルや着替えを渡した。それからは脳内で女性の架空の声が響き続けたのでそれをなんとか掻き消すことに終始した。
そんな状態でしばらく女性の戻りを待っていると女性はもともと着ていた服のまま出てきた。
「今日は本当に楽しかったよ。でもごめんね。今日はやっぱり帰るね。もうそろそろ始発も出る時間だから。迷惑かけてごめんね」
女性はそう言い残し、あっという間に部屋を出ていってしまった。

仕事から帰宅しても昨日の出来事による心のざわつきは落ち着いてくれない。かといってどうすることもできないのでとりあえず風呂に入ることにした。
浴室まで足を運びシャワーの蛇口をひねると、ふとリンス横の化粧落としが目に入った。それから浴室を出て洗面所で手を洗うと今度は毎月同じような周期であける手元の引き出しが気になった。

「やっぱりそうだよね」

昨日の時点で察していたことを改めて実感すると心のざわつきは少しだけ別の感情に変わった。
連絡先も知らず名前も覚えていない彼女とはもう会えないだろうな。そんなことを思いながらいつも通りの流れで風呂に入る準備を進めた。

ー完ー

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