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【MLBレジェンド紹介】世界一のリードオフマン、リッキー・ヘンダーソン

通算盗塁数はじつに1406。盗塁王に輝くこと12回。通算出塁率は4割越え。メジャーリーグ史上最高のリードオフマンと称されるリッキー・ヘンダーソンについて、紹介していきたいと思います。

シーズン130盗塁!不滅の大記録を打ち立てたMLB屈指の韋駄天

1958年12月25日、アメリカ・イリノイ州のシカゴにて、病院に行く途中の車の後部座席で生まれたヘンダーソン。

高校時代は野球以外にバスケやアメフトもプレーし、アメフトにいたっては全米代表にRBとして選ばれるほどの実力の持ち主で、24もの大学から奨学金の申し入れがあるもそれを全て辞退し、メジャーリーグを目指します。

ちなみに、ヘンダーソンは左投げだったものの、右打ちで練習したため、「左投げ右打ち」という珍しい選手となりました。

1976年、オークランド・アスレチックスからドラフト4巡目指名を受け、入団。マイナーリーグで3年間プレーし、77年には1試合7盗塁をマークします。

79年に1番レフトでメジャーデビュー。2打席目にシングルヒットを放ち、初盗塁を決めます。ルーキーイヤーは、リーグ7位の33盗塁を記録。

翌年、アメリカンリーグ新記録となる100盗塁で盗塁王のタイトルを獲得。以後、86年まで7年連続盗塁王に輝き続けます。

82年にはシーズン130盗塁という不滅の大記録を達成。これは今なお破られていません。それと同時に42盗塁死という記録も樹立しており、こちらもMLB歴代1位。しかも、打率は.267だったのにも関わらず、出塁率はじつに.398。四球数は116でリーグ最高。

つまり、そこまでヒットは打たないけれど選球眼が尋常ではなく、四球を選ぶのがうまい。そして塁に出ると驚異的な俊足でバンバン走ってくるという、相手バッテリーからしたら悪夢のような存在と言えるかもしれません。まさに、最強のリードオフマン。

ヘンダーソンはその後も記録を伸ばし続け、93年には福本豊が持っていた盗塁世界記録(通算盗塁1065)を更新しました。

ヘンダーソンは79年~2003年まで、MLB9球団で25シーズンを過ごしました。04年、05年には独立リーグでもプレー。
選手としての引退宣言はせず、06年、07年はニューヨーク・メッツのコーチをしていた時期もあります。

2009年、野球殿堂入りを果たすと、正式に現役引退を表明。同年、彼の背番号「24」がアスレチックスの永久欠番となりました。

諸記録

・盗塁王12回(80年~86年、88年から91年、98年)
・通算盗塁数1406(MLB歴代1位)
・通算盗塁死(歴代1位)
・通算得点2295(歴代1位)
・通算四球2190(歴代1位)
・通算先頭打者本塁打81(歴代1位)
・シーズン最多盗塁数130(歴代1位)
・シーズン最多盗塁死42(歴代1位)
・25年連続シーズン本塁打(79年~2003年)
・25年連続シーズン盗塁(79年~2003年)
・70年代、80年代、90年代、2000年代と、4つの年代で盗塁を記録(MLB史上唯一)

など、盗塁に関する記録はもちろん突出していますが、四球数や得点数などもずば抜けています。意外にも盗塁死数も多いですが、通算の盗塁成功率は8割を超えていたとのことなので、ヘンダーソンがいかに走りまくっていたかがわかります。

これについて、かつて6度の盗塁王に輝いたことのあるモーリー・ウィルスは、ヘンダーソンのメンタルの強さについてこう言及しています。

「リッキーは確かに突出したスピードとクイックネスを兼ね備えてはいた、しかし純粋なスピードだけなら彼よりも速い選手は沢山居ることもまた事実だ」
「失敗を恐れてはいけない、数千数万の大観衆、あるいはテレビ視聴者が見ている前で喜んで盗塁死するくらいの図太さ・図々しさが必要なんだ、彼はスピードとクイックネスを最大限有効活用するのに最適な気質を持ち合わせていたのさ」

また、ヘンダーソンはキャリアの晩年、40代でもシーズン30盗塁以上を2回、20盗塁以上を3回記録しています。(いずれも史上唯一)


※この記事は主にwikipediaでの情報を基に構築しています。取り上げている人物について、興味を持つきっかけ、入口になれば幸いです。
参考URL:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%98%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC%E3%82%BD%E3%83%B3

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