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【プロ野球レジェンド紹介】元祖怪物・江川卓の高校時代の成績がヤバすぎた ~高校3年、夏の甲子園編~

ノーヒットノーラン9回、完全試合2回、36イニング連続無安打無失点、選抜高等学校野球大会における、一大会通算最多奪三振60個および8者連続奪三振……。
後に読売巨人軍に入団しエースとして活躍する江川卓ですが、当時を知る人たちからは「江川の全盛期は高校時代」と証言する人も少なくありません。実際、江川の作新学院時代の成績を振り返ってみると、ゲームの世界でさえありえないような伝説的な記録をいくつも樹立しています。
日本高校球界史上最高の投手ともいわれる”怪物”江川卓の高校時代について、紹介していきます。

140イニング連続無失点!無双状態の江川

7月夏の甲子園栃木県予選大会。江川は初戦(2回戦)の真岡工業高校にノーヒットノーラン。3回戦の氏家高校もノーヒットノーラン。鹿沼商工高校との準々決勝は1安打完封。準決勝の小山高校戦も1安打完封。決勝の宇都宮東高校戦ではまたもノーヒットノーランを達成。

県予選5試合中3試合でノーヒットノーラン。無失点、被安打2、70奪三振、奪三振率14.0、練習試合を含め140イニング連続無失点という、まさに無双状態で夏の甲子園に乗り込むことになりました。

夏の甲子園の初戦は、福岡の柳川商業高校。試合当日の8月9日は全国の高校野球ファンが江川の投球を見るためにテレビに釘付けになることで電力供給不足のリスクがあったことから、関西電力が大手会社にエスカレーターと冷房の使用をストップするように要請するという緊急事態になりました。

柳川商業は江川対策として、四番以外全員がバスター打法(バントの構えからヒッティングに出る)を徹底。また、江川の球威に負けないようにふた握りほどバットを短く持ち、かつバットを握る両手を離して打つという戦法に出ました。

この作戦が功を奏したのか、江川はこれに対し5回までの15アウトのうち10つを三振で奪うなど圧倒するも、6回表に146イニングぶりに1失点を喫します。

さらに、作新学院の貧打(チーム打率が.204という、県大会優勝チームとは思えない低打率)に好機を見出していた柳川商業は、1対1で迎えた9回裏、1アウト満塁の場面で、センターをピッチャーとサードの間において内野手を5人にする超変則シフトを敷き、このピンチを乗り切ります。

さらに12回裏、作新はまたも1アウト満塁とチャンスを迎えるも、柳川商業の5人内野手シフトの前に凡退。

14回裏1アウトランナー三塁の場面が訪れるも、みたび柳川商業の5人内野手シフトの前に作新は得点をすることができませんでした。

しかし、結局この試合は15回裏に作新がサヨナラ勝ちを収めます。江川は7回以降無失点、13奪三振を奪い、延長15回の参考記録ながら大会史上2位の23奪三振を記録しました。

押し出しで高校最後の夏を終える

2回戦の相手は千葉の銚子商業。
試合は銚子のエース・土屋正勝と江川の息詰まる投手戦となり、両チーム点を取れぬまま延長戦に突入。

試合途中から降りだした雨は勢いを増し、12回裏の銚子の攻撃が始まる頃にはバケツをひっくり返したような雨となっていました。

この雨の影響で制球を乱した江川は、1アウト満塁のピンチを迎えます。

カウント2ストライク3ボールとなった時、江川は内野手全員をマウンドに集め「次の球は力いっぱいのストレートを投げたい」と言います。

反対されることも覚悟していましたが、ナインからは「春も夏もここまでこれたのはお前のおかげなんだから、お前の気の済むように投げればいい」と笑顔で言われ、「ああ、このチームにいて本当によかった」と思ったといいます。

この直後に投じた169球目、渾身のストレートは高く外れ、押し出し。作新のサヨナラ負けとなり、江川最後の夏は幕を閉じました。

甲子園での江川の通算成績は、6試合4勝2敗(負け2試合はいずれも自責点1)。59回と3分の1を投げ自責点3、防御率0.46、奪三振92(1試合平均15,3)、奪三振率は14.0という、”怪物”の名にふさわしいものでした。

後に江川はドラフトで阪急ブレーブスから1位指名を受けるも入団拒否。慶應義塾大学を受験するも不合格となり、法政大学に進んで野球を続けることとなります。

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