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長濱ねるさんのエッセイに触発されて書いたエッセイらしき何か

2024/03/10
エッセイを書いてみる。日記とエッセイの違いもよくわかっていないけれど、書いてみる。長らく自分の好きなように文章を書く行為から離れてしまっていたので、そのリハビリが主目的だ。もっと抽象的な目的もあるにはあるが、それはひとまず置いておく。
この数ヶ月、まともに本も読めていなかった。結婚してから「忙しいでしょ」と言われることが増え、相手によってイエス/ノーの返事を使い分けていたが、実はそこまで忙しくない。家事としての作業量は増えたかもしれないが、一人暮らしと比べても大した変化ではない。やるべきことは少なくないけど、好きなことをやる時間はある。ただただ気力が湧かなかった。ページを開こうとしても、手が動かなかった。次に読もうと思っていた小説を枕元に置き、寝る前に少しでも読もうとしたりもした。申し訳ないことに、今のところはインテリアになってしまっている。
このまま自分は小説から遠ざかってしまうのではないか。20代にあれだけ熱中したカルチャーに関心を持てなくなり、仕事や生活に役立たせることもなく、すべてなかったことになるのだろうか。ぜんぶ無駄だったと後悔してしまうのだろうか。そんな恐れがずっと頭の中にあった。でも今は、少しだけポジティブになれている。
久しぶりに文章を書こうと思ったきっかけは、長濱ねるさんのエッセイを書店で見かけたことだった。いま住んでいる家の近くに、5階建てのビルがある。横に長いそのビルの3階にダイソーが入っていて、自分はそこに用事があった。エスカレーターで上がっていく途中、ふと案内板が目に入り、4階に書店が入っていることを知った。そういえば引っ越してきた当初に「へえ」と思い、後で行ってみようと思ってそのまま訪ねていなかった。特に急ぎの予定もなかったので、ダイソーでの買い物を済ませてから、階段で4階に向かった。従業員か警備員しか使っていなさそうな薄暗い階段をのぼっていき、細い通路を曲がると書店の景色が見えた。ただ、その手前に立ち入り禁止の立て札が置いてあったのには面食らった。普通に買い物客が利用できる階段の先に、なぜこんなものが。戸惑ったが、きっとオペレーションのミスだろうと軽く捉える。少し様子をうかがったが厳密に監視しているような雰囲気もなかったので、看板の横を抜けて店内へ足を踏み入れた。
一番近くの書架はアイドルの写真集のコーナーだった。ややセクシーな表紙が並んでおり気まずさを感じたが、乃木坂のメンバーの顔が見えたのでその一角をざっと眺めた。そこで、長濱ねるさんのエッセイに目がとまった。『たゆたう』という題名が、とても彼女らしいと思った。
もともと読書好きを公言していて、現役時代も卒業してからも推していたけれど、少し情報から離れていたのですでにエッセイが出版されていることに驚いた。しかも文庫化までされている。そうか、もうそんなに彼女の周りでは色んなことが進行していたのか。素直に「これ読みたいな」と思った。そんな感覚すら久々だった。
数分後にはセルフレジで購入した。自由にお使いくださいと置かれていた紙のブックカバーの付け方がわからず、たぶん間違ってる方法で本を包んで店を出た。30代にもなってなんでこんなことも知らないのかと、自分に幻滅する。移動して、商業ビルに入っているタリーズでアイスコーヒーを頼む。なぜアイスにしたのか。比較的あたたかい日ではあったが、普通にホットでよかった。本を買って読むまでの短い間にどうしてこうも小さいミスを重ねてしまうのか。自分って本当にしょうもないなと思いつつ、ごく自然にページを開いた。休み休みではあったけれど、2時間程度で最後まで読み切ることができた。
単純に、エッセイっていいなと思った。日常の中で考えたことを起点に、細やかな心の動きにアプローチできるところがいい。そして何より、読むのが楽だ。これは文章力のおかげもあるだろうけど、小説を読むエネルギーがなかなか湧かずに悩んでいた自分が「あ、読もう」と思い、そのまま読み切れたのはとても大きいことだ。ようやく読書の世界に戻ってこれた気がした。そして、そのきっかけが、かつて推していた読書好きアイドルのエッセイだったという巡り合わせにも、なんだか感傷的な気分になった。
そしていま、こうやって文章まで書けている。質はともかく、まずは書けた自分を褒めたい。


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