即興

鍵盤に指を振り下ろす。
どこにおいたのかもわからない。
もう意識した瞬間に次の鍵盤に指を降りおりしている。
音が鳴る。
でも、それはもう過去の音だ。
どんどんどんどん指が動く。
勝手に動く。
意識よりも早く。
意識ではそれを追うことはできない。
いや、むしろ意識を開放しているのだ。
自由に意識に自分を操作させている。
思考ではなく。
ただの意識。
勝手に体は動いていく。
でも、そこにはバランスが存在する。
人はそれを芸術だと思う。
人はそれが素晴らしいと感じる。
ただただ意識が勝手に動くままのもの。
それは赤ちゃんのようなもの。
大いなる意識。
誰にも理解なんてできない。
誰にも理解なんてされたくはない。
でも、誰もが感動する。
早く。
遅く。
指は自由自在に動く。
でも、誰が動かしている?
オレか?
いや、オレは何もしてない。
ただ、体を貸しているだけだ。
誰に?
わからない。
でも確実に「それ」は存在している。
自分でも自分が何をしているのかわからない。
何を奏でているのかもわからない。
それでも、体は勝手に動いていく。
止まることはない。
頭の中は空っぽだ。
でも、手は休まることはない。
自分が弾きているはずなのに、
どこか遠くのところにいるような気がする。
自分も一人の聴衆である。
自分が弾いているはずなのに。

大きな力で鍵盤を叩く。
それが最後だ。
シーンとした空間ができる。
その後に大きな拍手が鳴る。
そうして、ようやくオレは自分の体を取り戻す。
そこで、意識も自分の意識に統一される。
自分の意識と自分の体の動きが一致する。
あたりを見渡す。
目も自分の視点に戻っている。
目の前には聴衆が見える。
手を叩いている音が徐々にリアルになってくる。
耳も戻ってきた。
ごくりと唾を飲む。息を吸う。
もう大丈夫。
体はもう自分のものに戻ってきている。
貸したものは全部返ってきたようだ。
それを自覚してから一呼吸置いてから、椅子から立ち上がり観衆に向かって挨拶をする。そうするともう一度大きな拍手が鳴る。
オレはそのままステージを去る。
そして、楽屋へと入る。

「おつかれさまでした」という声が聞こえる。
「ありがとうございます」とオレは答える。
もう自分に戻っているはずなのに、なんだか少しズレているような気がする。
まだ誤差があるだろうか。でも、それは他の人には違和感があるほどではない。
そして、そんなことは誰にもわからないのだ。それくらいの誤差だ。きっと。
「いやー、本当に最後の即興はいつもすごいですよね」
「ありがとうございます」
「どうやったらああいうのは生まれるんでしょうか?」
「さあ、どうしてでしょうか僕にもわかりません」と言うが、心の中ではわかっている、と思っている。でも、それを説明したところで誰にも理解はしてもらえないから、いつもそう答えるようにしている。
「やっぱり、天性のものなのでしょうか?」
「どうなんでしょうね?」
「やっぱりこう降ってくるもんなんでしょうかね?」とその男は、上から下に視線を向ける。雨みたいなものを想像しているのだろうか。
「どうなんでしょうね。もう弾いている時は無心ですから」とオレは答える。
この感覚を説明することはできない。いや、本当はとても簡単なことなのだ。子どもの頃はみんなそうだったのだから。大人になったら、その感覚を忘れてしまっただけ。オレはそんな風に思っている。何度も何度も即興で演奏をすると、同じような質問をされるので、いつからか答えることをやめてしまった。
どうして、わかってもらえないのかがわからないからである。こんなにもシンプルで明確なことなのに、どうしてそんなこともわかってもらえないのだろう、と思うようになって、もう話すのはやめてしまった。
だから、いつものように受け答えをするだけである。そのような曖昧な回答の方が、なぜだか大人たちには理解してもらえるのだ。どうしてだろうか。

「今日も凄かったな」
「ああ、ありがとう」
「でも、本当にどうやったら即興なんてできるんだ?」とアレックスは毎回コンサートの後に電話をかけてくる。
「毎回同じ質問をするなよ」とオレは笑う。
「でもさあ、だって、もう二度と同じ曲は弾けないだろう?」
「まあね。即興だからな。録音しておいて、それを楽譜に落として再度弾くことはできるだろうけど、それはもう即興ではないからな」
「ああ、それはわかるような気がする。でも、なんだか再現ができないというのはなんだかとても勿体無いような気がするよ」
「そうかな、オレは楽譜を見て弾くのがむしろ苦手だから、即興の方があっているんだよな」
「まあ、そういう奴もいるよな。さすが、ユウトだよ」
「ありがとう。毎回毎回感動してくれて」
「でも、すごいよ。だって、即興だよ。即興」
「だから、何度も同じことを言うなよ」
「いつか弾けなくなる日が来たりしないのかな?」
「さあ、どうなんだろうな。今のところはそんなことは考えたことはないけど」
「そっか、それはすごいな」
いや、オレはそっちの方が普通だと思うが、それは言わないことにした。
「ありがとう」
「悪いな終わったばかりに」
「いや、こちらこそいつもありがとう」
「じゃあ、また楽しみにしているよ」
「ああ、またな」と言って電話を切る。
アレックスはオレの友達でありファンである。一緒に大学院で音楽を勉強してきた仲間だ。アレックスも今ではヨーロッパ中でコンサートを実施している若手では有名なピアニストである。そんな彼はオレのコンサートにはできる限り足を運んでくれている。もちろん、オレも彼のコンサートにはできるだけ足を運ぶようにしている。そんな間柄だ。
彼はどちらかと言うと、楽譜をしっかりと読み込むことを得意としている。それを作った人の歴史をできるだけリアルに感じてそれを再現する。
人によっては、◯◯の再来みたいな言い方をしたり、◯◯が乗り移っているいる、みたいな表現をする人もいる。過去の人なんて誰もあったことがないのに、そう感じさせるイマジネーションのようなものが彼にはあるのだ。
タイプは違うけれども、オレたちはきっとどこか似ているのだろう。
オレの場合は、即興が得意だ。得意だというよりも愛していると言った方がいいかもしれない。楽譜通りに弾くなんて全然不自由で嫌だった。だからいつも自分なりの解釈などを入れて弾いていた。最初はそれを文句を言われることが多かったが、だんだんと自分のオリジナルな弾き方に興味を持ってくれる人も増えてきた。大学でも、大学院でも評価は低かったが、プロになってコンサートをするようになるとどんどんとファンは増えていった。
そして、アレックスと同じように○◯の再来だとか言われるようになる。オレは誰も真似して弾いているわけではないのに、人は何かに当てはめないと気が済まないのだろう。
そして、それはオレもそうなのかもしれない。
どんなに自由に弾こうと思っても、鍵盤の数には限りがあるのだ。
どんなにスピードを上げたくても体の動きには限りがある。
何度自分の体がこんなにもとろいのか。
どうして自分の指がこんなにも短いのか。
そんなことを真剣に考えていた時期がある。
もっともっと自由になりたいと思っていた。
もっともっと自由に弾きたいと思っていた。
自由になろうと思えば思うほど、
形のある楽器で、
形のある姿で、
それを実現しようとすることの不自由さを感じるのである。
でもオレは挑戦し続けた。
どうすればもっと自由になるのか。
だれも弾いたことのない演奏ができるようになるのか。
最初は形から自由になるために、即興を始めた。
でも、生まれてくる音楽は、それは過去に聞いた音楽の焼き直しに聞こえた。
どこを切り取っても過去に誰かが作った音楽を切りはりしたようなものに聞こえた。
どうやってもオリジナルの音を出すことはできなかった。
そんな日々が続いたがある時、何も考えずに最初の鍵盤を叩いた。
そして、もう一つ鍵盤を叩いた。
それを繰り返していると、体が勝手に動き始めるのである。
思考を入れると、急にリズムが悪くなる。
だから、思考をもう一度外す。
そうすると、体はまた勝手に動き始める。
そんな感覚を感じられるようになった。

それを本番でやるのは怖かった。でも、観衆がどんな反応をするのかを試してみたかった。だからオレは無心になって、最初の鍵盤を叩いた。
終わったころには、たくさんの拍手があった。
弾いている間の記憶なんてなかった。
できるだけ無心でいることに注意を払っていたからだ。
しかし、だんだんとそれができるようになると、
自分の体から自分の意識を切り離せるようになった。
自分を観客席に座らせて、自分の演奏を聴くことができるようになった。
最初はなんだかとても不思議な感覚であったが、とても気持ちよかった。
自分が演奏している曲が聴けることが嬉しかった。
それからオレは即興を得意とするピアニストとして徐々に人気が出始めた。
そして、毎回同じような質問をされるのである。
どうして即興で美しい曲を作ることができるのか?と。
本当は逆なのだ。即興だからこそ美しい曲ができるのである。使い古されたどろどろになったテクニックのべたべたした音楽なんてもう人は聞きたくはないのである。
もうそれは美しさのかけらも残っていないのだ。
その時代、その時だったからこそ、美しかったのである。
もう光も変わったし、空気も変わった、水も変わった。
そして、人も変わったのだ。
だから、その時の音楽を再現することはもうできないのである。
ただただ美しいイメージだけが残っていて、その残りかすを必死にみんなが美しいものだと崇めているのだ。もう本当に小さな目に見えない塵のようなものになっているにもかかわらず、それを美しいものだと思い込んでいるだけなのである。
だから、オレの音楽を聴く人は、美しいと感じるのだ。
その瞬間、その場にいた人しか聴くことができない音楽だから。
その構成要素にはその会場にいるその人も含まれているのだから、心地よくないわけがないのである。
そこにあるすべてのもので、その音楽は奏でられているのだから。
みんながその会場で吸う空気、みんなの呼吸する音、すべてがその音楽には含まれているのである。ただ、オレはそれらをただ奏でているだけである。
いや、オレは何もしていない。ただただ、体を貸し出しているだけである。
神さまがいるのかどうかオレにはわからないが、その誰かにオレは身も心も差し出すのである。そうするとすべてと一体になれるのである。
一体になるのは気持ちがいい。
会場のすべての人たちと一緒になる。
会場にある柱、壁、空気、照明・・・すべてと一体になる。
それが美しくないわけがないのである。
人生は積み重ねであるという人がいるが、オレは人生は即興だと思っている。
その瞬間、その瞬間に何を奏でるかである。
一度弾いた音色は、一瞬で消えていくのだから。
常に鍵盤を叩き続けなければならない。
過去の積み重ねなんて幻想に過ぎないのである。
未来だって同じだ。叩いていない鍵盤からは音なんてしないのである。
そう聞こえるような気がするだけなのである。
だから、いつもオレは鍵盤を叩き続けているのだ。

深呼吸をする
会場は静まり返っている
もう一度軽く息を吸って、自我をなくす
勝手に鍵盤に指が落ちる
そこからはもう勝手に指が動き出している
それはもう誰にも止められない
指はどんな曲を弾く時よりも滑らかに動く
次の動作がなぜわかるのかはオレにはわからないが
指は次々と滑らかに動く
迷うことまったくない
戸惑うこともまったくない
もうそれは純粋に
自然の法則に従って動いている
自然の一部になる
境界線がなくなる
すべてがひとつになる
音だけがただただ会場にこだまする
そこにはもう意味なんてない
人はもう一体になっているのだ
その余韻のようなものだ
それに酔いしれる
観衆も
自分も
一体になる
指は動き続ける
人々は聞き続ける
何を?
何を感じているのか?
もうそんなこともわからない
何を弾いているのかなんてことは
誰にもわからない
オレにもわからない
音楽になっているのか
音になっているか
そんなことも誰にもわからない
ただただピアノの音だけが鳴り響く
心と体に染み込んでいく
そして溶けていく
一体になっていく
そんなことを繰り返していく
そして、すべてはひとつになる

A world where everyone can live with peace of mind🌟