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人は、なぜサイクルを見出そうとするのか?

高城剛さんの新刊『いままで起きたこと、これから起きること。~「周期」で読み解く世界の未来~ (光文社新書)』が発売された。非常に読み応えがああって、一回ではレビューが書くことができなく、二回読んでようやく少し言葉にできたので、それを書いてみたいと思います。

「はじめに」で、なぜ古代人の話から始まったのかとても気になったが、最後の最後になって、ようやくその意味がわかった。

「古代人は、なぜサイクルを見出そうとしたか?」

その問いのための、前段であったのである。そして、まずはその問いを自分の中で見出さなければならないのだ。

それはすなわち、僕たちはどうやって、自分一人ではどうにもできない大きなリスクを避けながらも、幸せに生きていくか? という問いが生まれるということではないだろうか。

その自然と生まれてくる問いは、現代人も、古代人も変わらない。僕たちは生きたいと思う生きものであり、より幸せに、より健やかに生きていきたいと思うのが、それが人間の本能だからで
ある。

それが、思考と絡まって、自然の摂理、宇宙の真理を探すように、僕たちは「どう生きるのか?」という答えを探し始める。そうした時にある者には、サイクル、パターン、つまりは摂理や真理に到達しようという人間の欲求が生まれるのだ。

すでに起こり始めている経済危機や気候危機にもう目の前のことだけで精一杯だ、という人も多いだろう。でも、大きな波はこれからやってくる可能性が高い。今以上の高い波なんて、果たして乗り越えらえるのか? パンデミックすらろくに対応できなかったのに、これ以上なにかあったら生きてはいけないのでは?

きっと昔の人たちもそう感じて、「サイクル」というのもを見出そうとしたのかもしれない。いつか来ることはわかっている大波に対応するために。

そして、その大波は必ずしも悪というわけではなく、自然界に四季があるように、夏もあれば、冬があるのだ。大きな視点で言えば、ただそれだけで、人間がそれを悪と善にわけたり、快、不快、良い、悪い・・・と分けているだけなのかもしれない。

この大波のあとには必ず凪のような状態がやってくる。それは寒い冬が明けて、心地よい春がやってくるように。

準備をせずに冬を待つのか、それとも、ちゃんと準備をして冬を乗り越えて春を迎えるのか。それは人それぞれかもしれないが、僕たち過去の歴史から冬の厳しさを識っていて、それに対応してきた。

今回の波は、何十年、何百年単位の大波で、いま生きている人たちは見たことのないような大波かもしれないけれども、先人たちはそれを乗り越えていまに至っているのである。その先人たちがいるから、いま僕たちは生きているのだ。

もちろん、たくさんの人たちが命を落としていることも事実で、冬の季節には命を落とす人も多い。いま、世界に大きな冬がやってくる時に、命を落とさないためにも、そして、大きな波に乗って運をつかむためにも、その流れを知らなければならない。

波は必ずやってくる。その波をどのように待つのか。僕たちにできることは、その波を小さくするということではなく、その波を受け入れ、自分のパワーに変えることではないだろうか。

世界のサーファーたちが、果敢に大きな波に挑むように、そして、それを乗りこなすために日々訓練を積むように、僕たちも大きな波へ向けていますぐ準備を始めなければならない。

そして、大きな波はいまもうすでに目の前に迫ってきているのだ。

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