濤声

一隻の漁船が、大しけの海に頼りなく翻弄される。舵をとっている船長は、魚好きだが船の運転の仕方など勉強したことのない、素人の男。潮の流れも北極星の位置も分からないその男に付いて行く船員たちは、心配になって船長に言う。

「北北西に灯台の光が見えます。とりあえずあの岸を目指した方がいいのではありませんか。」「南に救助船が見えます。」「北東に氷山があります。」「灯台の光に見えるあれはUFOです。」「どうか正しい判断を。」

船長は進路を決められない。何故なら、自信がなく無知だからである。それを正直に言葉にして、知恵を付けていけばいい。しかしそれは絶対にしない。ぐちゃぐちゃにこんがらがったプライドが許さない。結局船長が出した結論は、

「この場にとどまる。昔この辺りで多く魚が取れたから、大丈夫だろう。」だった。

「あの時は夏で、今は冬です。あの時いた魚は、もういません。」何人かの船員はそう思った。しかし、それを伝えられない。彼女ら彼らは、いつも船長から内緒で高価な魚をもらっていたからだ。この人たちはとても優秀だが、船長と仲がいいばっかりに、命に関わる緊急事態でも言いたい事を言えない。

そういえば以前、この船の中で殺人事件があった。犯人は「漁が不得意な船員は役立たずだ」という理由で、数人を切り殺した。他の船員は、ごく一部を除いて「犯人を処刑すべきだ」と言い、結果犯人は斬首刑に処された。「犯人のような人間はこの船に必要ない」と多くの船員は盛り上がった。しかし、その考え方は犯人が殺人を犯した理由に限りなく近いという事を指摘した船員は、ごく僅かだった。

この漁船については、様々な事を言う人がいる。「もう底に穴が空いて海水が入ってきているので、近々沈没する」という意見もあれば、「実はもうだいぶ前に沈没していて、たまに幽霊船として目撃されることがある」という話もある。「どうやら船長は、大きな夏祭りを開くために大忙しだ。」という噂も広まっている。

怪しく光るくらげが亡霊と悲しいダンスを繰り広げる夏が来なければいいな、と思う。

すべてを知るのは、この大しけが去った後の波の音だけだ。

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