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旅商人珈琲焙煎所、スタッフ募集

旅商人珈琲焙煎所、スタッフ募集


時給 1000円
交通費一部支給
週2日〜週5日
勤務時間 10:00-18:00 の中から好きな時間



旅商人珈琲焙煎所のスタッフを一名募集します。業務の内容は、バリスタ、接客、事務、珈琲豆の選別 梱包 、掃除、路地裏ガレージマーケットの運営業務、キッチンカーでの出張、など幅広いです。当店で働く人のことを以下『旅商人バリスタ』と表現します。

旅商人珈琲焙煎所がどんなお店なのか、どんな社会を作っていきたいのか、理解していただいた上で仲間になってもらいたいので、僕の想いを綴ります。

[僕が珈琲屋になった理由(少年時代)]

よくある月並みな話ですが、僕は学生の頃不良の落ちこぼれでした。勉強して良い高校に行って、良い大学に行って、良い会社に就職することが正義みたいなのが嫌で、中学生の時に髪の毛を金色に染め不良の世界へ仲間入りしました。

不良の世界では気合と度胸と根性が鍛えられました。
喧嘩に明け暮れバイクを乗り回し警察に捕まることもしばしばありました。

その時のことを思うと、それなりに楽しく過ごしていたとは思うけれど、何とも言えない寂しい気持ちで日々を消化していたように思います。

学校や社会に居場所がなく、不良にもなりきれず、いつも中ぶらりんな気持ちでいました。

ある日、大怪我をし長期間入院することになりました。友達がお見舞いで本をいろいろ持ってきてくれました。その本の中に「不良少年の夢」というのがあり読みました。その本は不良だった人物が大志を抱き夢を叶えていくという自伝で、「これだ!」と思い、自分も夢を持って頑張って生きていこうと決意し商売人になることに決めました。

入院するまで勉強はもちろん本などまともに読んだことがない僕でしたが、その時からよく本を読むようになりました。勉強し考え行動していく事はその時から身に付き今でも欠かさず続けています。

[僕が珈琲屋になった理由(大人になって)]

実家が材木屋を営んでおり、子供の頃は大工さんや建築関係の仕事につこうとぼんやり思っておりましたが、その時最短でできる商売のジャンルは何かと考えると飲食でした。僕はお金をかき集めて借金をし飲食店を開きました。

お金も知識も経験もない僕だったのでお客さんが来ない日が続き、資金繰りも厳しく地獄のような日々でしたが、気合と度胸と根性で一生懸命商売に向き合いました。

魚屋さんで魚のさばき方を学び、中華屋さんで中華料理の作り方を学び、バーでカクテルの作り方を学び一つ一つ勉強したことを自分のお店に生かしました。
いつもたくさんの皆さんが僕のことを応援してくれました。

飛び込みで伺った飲食店の料理人さん達から料理を学ばせていただいたり可愛がっていただきました。いつも、何をやるにも中途半端だった僕でしたが、迷いなく本気で打ち込める天職に出会ったようでした。

気づいた時には、経営も軌道に乗り、借金も無くなっていました。

[珈琲との出会い]

飲食店を営んでいる時に、とあるお客さんに「君のコーヒーはマズイ」と言われ、僕はコーヒーの勉強することにしました。

いろいろな飲食店で勉強させていただくことを得意技としている僕でしたがコーヒーの世界に住む人々はどこか不思議で独特で奥深く、謎めいていました。珈琲屋の人たちは揃いも揃って妖怪のように感じました。

すぐに学習して、すぐに成果を出したい僕でしたが、いざ珈琲屋に入ると、違う重力が働いているのか、身体や考えがうまく動かず、まさに魔術をかけられているようでした。

珈琲の味も分からないし、珈琲屋の人の言っていることもわからないし、その日の夜は決まって眠れなくなりました。

それから僕は珈琲に取り憑かれるようになりました。

[そして旅商人に]

足繁く珈琲屋に通っていました。ある日、「そんなに珈琲に興味があるんだったらコレやるから自分で焼いてみろ」と、手回しの小さな珈琲焙煎機をもらいました。いいものを貰ったのか、しょうもないものを貰ったのか、その時は頭の中がはてなマークでした。

〝これはなんだ?これで珈琲豆を焼けというのか?火力は?時間は?生豆はどこで買えばいいんだ?゛来る日も来る日も珈琲を焙煎しては飲む日々が始まりました。

時を同じくして、知り合いの大工のおじさんが、大工を引退するということで、軽トラックを譲り受けました。
僕はその軽トラックの荷台に木で家を作り、焙煎機と珈琲豆を積み旅に出ました。営んでいたお店を閉店して。



[日本一周の旅]

色々あって旅の軍資金はすぐに無くなり、珈琲を売らないと旅を続けられない状況になりました。
冬は寒く、夏は暑い、毎日車中泊。
駅前や、国道沿いで路上販売をしました。
警察や極道の方とも色々ありました。
まさにサバイバル。かなり過酷な旅のスタイルでした。このまま帰りたくない。自分で決めた夢なんだから絶対に叶える。そう自分に言い聞かせ、旅を続けました。
その時、珈琲一杯300円で販売してましたが、その一杯でその日の晩御飯が食えるか食えないかという状況だったので、珈琲が売れると嬉しいを通り越して「生かしていただきありがとうございます」という気持ちになりました。
お金を恵んで頂くことも多かったです。
少しずつ珈琲を改良しながら、車も改良しながら、旅を続けました。
日本全国各地でいろいろな方と出会いました。いつもみんなが応援してくれて、人気者になりました。
難しいことはあまり考えずに、計画も戦略もなく、美味しい珈琲を追求することだけを考えました。不思議とたくさんの人が集まってきて、その人たちと今を生きる。それだけでした。
自由で楽しい旅でした。

[僕にとって珈琲とは]

何をするにも中途半端で宙ぶらりんな僕でしたが、珈琲と商売に出会ってから人生が変わりました。
僕はただただ一生懸命珈琲をやる。すると自然と人が集まってくる。集まってきた人の周りにさらに人が集まってくる。
僕のことを見て、新しいことに挑戦した人や、夢を持った人もいるそうです。
たくさんの応援してくれるみなさんの想いを受けて、僕はさらに成長する。
珈琲は、僕のことを大きく成長させてくれる、大切な存在です。
珈琲は独学の我流ですが、500gの手回しの焙煎機から、1キロ焼ける焙煎機になり、店舗を構えてからは10キロ焼ける大きな焙煎機になりました。
高かったけど頑張って買いました。
珈琲豆の卸売も増え、焙煎量もどんどん増えています。
店頭ではハンドドリップで一杯一杯丁寧に淹れますが、旅商人のコーヒーが1番おいしいと、通い続けてくれる人も沢山います。
エスプレッソマシンを導入し、可愛いカフェラテやアレンジドリンクも出します。
もう10年以上前のことですが、お客さんに珈琲がまずいと言われ、それから珈琲の勉強を始めました。そして小さな焙煎機を手に入れてから、時間をかけてここまで大きくなりました。

[旅商人バリスタの条件]


僕の仲間になる旅商人バリスタにまず知ってほしいのは、今の環境がただで手に入れたものなのではなく、小さなことからコツコツと始め、努力を重ね、ここまで成長してきたということです。
そして、仲間になった旅商人バリスタは僕と一緒に一生懸命頑張り、お店のさらなる成長と共に、自分自身も成長し続けて頂きたいです。
たかが一杯の珈琲、されど一杯の珈琲。
旅商人バリスタが淹れる一杯の珈琲で、お客さんに夢を見せることだってできる。
そのやり方は僕が教えるので、素直さだけあれば不器用でも不良でも大丈夫です。

[最後に]

さて、ここまで読んでいかがでしたか?熱い気持ちになりましたか?旅商人バリスタになりたいと思いましたか?
威勢のいいことを言いましたが、僕は未熟で小心者です。今の立場が苦しくて逃げ出したくなる時もあります。
いざ、熱い気持ちで旅商人バリスタになって、理想と違うなと思うこともあるかもしれません。
僕も組織のリーダーとして、どう考え行動していけばいいのか、勉強をしています。
旅商人バリスタは、やさしい気持ちで、仲良く僕と接してくれたら嬉しいです。
今は旅商人珈琲焙煎所のスタッフを募集していますが、路地裏ガレージマーケットで働きたい方、長竹材木店で働きたい方、人柄やスキルに合わせて色々な関わり方ができたらいいなと思っていますので、ご相談ください。
長い文章を読んでいただきありがとうございました。ご連絡お待ちしてます。


富士山の近くで


路上販売なのでお巡りさんによく怒られる


怖い人と揉めて営業妨害を受ける


相棒ができる


二台目の旅商人カーも

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