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形態分析③:ブラマンテの有機体とレトリック

0.ドナト・ブラマンテ

久しぶりにnoteを更新する今回は、ルネサンスの建築家ドナト・ブラマンテ(1444-1514)について書いてみようと思う。メニカンでのトークが決まったおかげで、形態分析の授業を一通りおさらいする口実ができ、ようやく止まっていたシリーズが書けそうというわけである。当初ブラマンテはトークに入れていたのだが、残念ながら時間と内容の関係で外さなければいけなくなったので、当日紹介するアルベルティに先んじてnoteで更新しておこうと思った次第である。個人的にブラマンテの分析は授業の中でも上位に入るほど興味深いと感じている。

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Fig.1. ドナト・ブラマンテ肖像画

さて、ドナト・ブラマンテはいわゆる盛期ルネサンスと呼ばれる時代の建築家で、ルネサンスの建築理論をブルネレスキ、アルベルティらから引き継いで、ミラノやローマを中心に活躍した人物である。彼が携わった最も有名なプロジェクトは、恐らくバチカン市国のカトリック教会総本山であるサン・ピエトロ大聖堂であろう。

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Fig.2. サン・ピエトロ大聖堂

ブラマンテの弟子であるラファエロやミケランジェロ、ヴィ二オラ、ベルニーニらが後に引き継いでいくこの一大プロジェクトの最初の建築計画を担当したのが、実はこのブラマンテである。なので、ラファエロやミケランジェロが後で変更を加えていく計画は、すべてこのブラマンテの図面が下敷きになっているわけである。

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Fig.3. ブラマンテによるサン・ピエトロ大聖堂の平面図(1506)

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Fig.4. サン・ピエトロ大聖堂の平面図の変遷(旧聖堂、ブラマンテ(赤)、ミケランジェロ、マデルノ)

上の平面図の変遷を見れば、ブラマンテの初期案がいかに影響力を持って引き継がれていくかがわかるだろう。そしてサン・ピエトロ大聖堂の計画だけでなく、彼が発明・統合したルネサンスの建築理論の数々は、セルリオやパラディオ といった後世の建築家にも多大な影響を及ぼしていくのである。次にそれらブラマンテによる発明を見ていこうと思う。

1. ブラマンテの建築的発明

まずはじめに、ルネサンス以降の建築を見ていく上で重要となるのが、弁証法(Dialectic)という考え方である。すなわち、何か対立する二つの要素を調停していく事で新しい建築を作っていく、ということである。ブルネレスキが主体客体、アルベルティが部分全体の弁証法で建築を考えていったならば、ブラマンテはソリッドヴォイドという、現代建築でもよく使われる二つの要素の弁証法によって建築を考えていった世界で最初の人物である。ソリッドとヴォイドの弁証法を中心に建築を考えていった場合、ブルネレスキやアルベルティのように構造部分とソリッド部分が一対一の対応関係を結ぶことよりも、平面上のソリッドとヴォイドの関係性のほうが重要となってくるので、ブラマンテはここで初めて「非構造としてのポシェ」という建築的操作を導入する。現代で言えば耐力壁と非耐力壁みたいなものだろう。

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Fig.5. パースを利用したブラマンテによる想像的エッチング(1481)

さて、ブラマンテは画家であるピエロ・デラ・フランチェスカ(1412-1492)の元で古代ローマの建築やブルネレスキのパースペクティブの描き方を学んだ後、建築設計の仕事に携わりながらこのソリッドとヴォイドの概念を確立していき、最終的に有機体(Organism)という新たな建築的概念に到達する(フランク・ロイド・ライトの有機的(Organic)建築とは異なる)。この「有機体」という概念を説明できるのが、次のパヴィア大聖堂(1488)の計画案であろう。

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Fig.6. パヴィア大聖堂(1488)

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Fig.7. パヴィア大聖堂計画案

一見するとブルネレスキのサント・スピリト聖堂と大きな違いは見られないように感じるが、ブラマンテのパヴィア大聖堂の場合、圧倒的に黒のポシェの密度が高くなり(よりレトリカルなポシェ)、さらに八角形の対角線を中心とした建築的オーガニゼイションがより前面に現れてくる。

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Fig.8. パヴィア大聖堂(左)とサント・スピリト聖堂(右)の比較分析

上図のブラマンテとブルネレスキの二つの聖堂を見ていただければわかるように、ブラマンテのパヴィア大聖堂は単一焦点を中心にドームの柱のポシェでレトリカルな八角形が暗示され、その八角形の頂点から外のグリッド状の構造体に蜘蛛の網目のようなオーガニックな軸線が引かれる。こうすることで、聖堂の外の四隅に新たな焦点が生まれ、そこがさらに空間化されているのが特徴的だ。対してブルネレスキのサント・スピリト聖堂は、単一焦点から放射状に構造体が広がり、必ずしもレトリカルな幾何学をベースとした対角線が浮かび上がってこない。空間も均一で無駄がなく、焦点と構造が常に一対一の関係を結んでいるのが特徴的だ。

ブラマンテのようにオーガニックな軸線で四隅に焦点を作ることでどういった効果が生まれるかというと、力の流れが四隅に集約していく、まさしくゴシック建築の構造の合理性みたいなものが表現できるのである。ただし、ゴシック建築はフライングバットレスなどを駆使して「力の流れ」そのものを正直に構造体として表現していたのに対し、ブラマンテの場合はそれをレトリカルに表現しているところが大きな違いである。そしてこれこそ、アイゼンマンが言うところの「有機体の建築」という概念なのである。もっと厳密に言えば、「有機体をレトリカルに表現する建築」、といったところだろうか。以下のパヴィア大聖堂の内観写真を見ていただければわかるように、角に向かってアーチが順々に集約されていくのがよくわかる。

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Fig.9. パヴィア大聖堂の内観(角)の様子

そして、これはブラマンテによる著名な建築的発明の1/3に過ぎない笑

次の発明はいわゆる空間のプログレッションという概念である。プログレッションとは段階的な漸進という意味である。この「段階的」というのがとても重要で、いわゆる初期ルネサンスのブルネレスキやアルベルティが等質な空間の連続で建築を考えていたのに対し、ブラマンテはここで初めて異質な空間を段階的に連続させることで建築を作っていく。この概念が原型として現れるのがジェナッツァーノのニンファエウム(年不詳)である。

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Fig.10. ジェナッツァーノのニンファエウム(年不詳)

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Fig.11. ジェナッツァーノのニンファエウムの平面図

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Fig.12. ジェナッツァーノのニンファエウムの空間ダイアグラム

空間ダイアグラムを見ていただければわかるように、空間がAという正方形からBという圧縮された長方形へとプログレッションしているのがわかる。このようにブラマンテは空間のヒエラルキーを作っていく事で、ルネサンスの建築体験をより豊かなものにしていく。この概念は同様に前述のパヴィア大聖堂とサント・スピリト聖堂の比較でも見ることができる。

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Fig.13. パヴィア大聖堂とサント・スピリト聖堂の比較分析(空間構成)

すなわちパヴィア大聖堂が短軸ではA-B-A、長軸ではA-B-C-B-Aのプログレッションを持っているのに対して、サント・スピリト聖堂はオールAのプログレッションを持っているということである。今回のところは余談であるが、この「空間のプログレッション」という概念を強く引き継いで、それを極端に行う事でルネサンスのプロポーションを解体・変形させていくのが後期ルネサンスのセルリオやパラディオといったマニエリスム建築家達である。


そして最後の発明となるのがオブジェクトのフレーミングである。これは簡単で、いわゆるある建築を別の建築で囲うという手法である。これが見られるのが盛期ルネサンスの最高傑作との呼び声も高い、サン・ピエトロ・イン・モントリオ教会のテンピエット(1502?)である。

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Fig.14. サン・ピエトロ・イン・モントリオ教会のテンピエット(1502?)

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Fig.15. テンピエットの平面図と立面図

テンピエットとは直訳すると"小さな寺院"という意味で、その言葉通りサン・ピエトロ・イン・モントリオ教会の中庭に建つ小さな寺院となっている。中庭自体は既存で、かつ現在の中庭の周囲の建物は変更が加えられているため当時の面影は残っていないが、平面図から見ても分かるように、寺院のプロポーションが必ず周囲の中庭と一対一の関係性を持つように計画されている。すなわち、この場合はオブジェクト(寺院)フレーム(中庭)の弁証法で建築が考えられている。これは実は現代建築でも数多く使われている手法で、例えばOMAの深セン証券取引所やSANAAの金沢21世紀美術館などもブラマンテの手法の系譜に入る(ついでに紹介すると、僕が現在スタジオで設計している建物もこの系譜に入る...)。

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Fig.16. 深セン証券取引所(OMA/2013)

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Fig.17. 金沢21世紀美術館

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Fig.18. 筆者のスタジオ途中経過

長くなったが、以上三つ(有機体の建築、空間のプログレッション、オブジェクトとフレーム)がブラマンテの主な建築的発明である。次に授業での実際の分析に入っていくが、実はこの三つの発明は分析ではほぼ取り扱わない笑。そのかわりに、先に少し述べたブラマンテのレトリック(修辞法)に焦点を当てて、このレトリックが極端に現れているとても面白い中庭二つを分析していく。

2.文法と修辞

比較分析した二つの中庭は、どちらもブラマンテ設計によるサンタ・マリア・デラ・パーチェ教会(1504)の中庭とパラッツォ・ドゥカーレ(年不詳)の中庭だ。

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Fig.19. サンタ・マリア・デラ・パーチェ教会の中庭(1504)

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Fig.20. パラッツォ・ドゥカーレの中庭(年不詳)

サンタ・マリア・デラ・パーチェの方はいわゆる4ベイ×4ベイ(ベイとは柱間の事)による正方形のシステムをとっているのに対し、パラッツォ・ドゥカーレの方は5ベイ×6ベイによる長方形のシステムを採用している。また面白いことに、サンタ・マリア・デラ・パーチェでは柱の4つのオーダー(ドリス式、イオニア式、コリント式、コンポジット式)が、半ば強引に全て使われている。これは、ブラマンテが恐らくローマのコロッセオのように4つのオーダーを使用した4階建ての中庭を構想していたものの、建物の都合上それができなくなり、仕方なく2階建ての中庭に4つのオーダーを無理やり差し込んだためだと思われる。この4オーダー、すなわち文法上正しいと思われるものに忠実に空間を作っていくことで、ドリス式とコンポジット式の柱が修辞法的な装飾に転じているところがこの中庭の大きな特徴の一つである。

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Fig.21. サンタ・マリア・デラ・パーチェ中庭の正面と4オーダー

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Fig.22. コロッセオの4階建てによる4オーダーの構造 


さて、この二つの中庭、特に興味深いのが角の作られ方(Corner Articulation)だ。

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Fig.23. サンタ・マリア・デラ・パーチェ中庭の角

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Fig.24. パラッツォ・ドゥカーレ中庭の角

サンタ・マリア・デラ・パーチェのほうでは、イオニア式付け柱の1/20の余りが両方向から融合したような奇妙な装飾が角に付けられているのに対して、パラッツォ・ドゥカーレの角では、付け柱が融合せずに90度に向かい合って角を形成している。正直どちらも現代の設計演習でやろうものなら、叱責不可避な気もするが、ではなぜこのような奇妙な事が起きているのだろうか?それはこの中庭の平面図を確認すると少し理由が見えてくる。

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Fig.25. サンタ・マリア・デラ・パーチェ教会平面図

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Fig.26. パラッツォ・ドゥカーレ平面図

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Fig.27. サンタ・マリア・デラ・パーチェ(左)とパラッツォ・ドゥカーレ(右)の比較1

平面図を比較して見えてくる事は、 サンタ・マリア・デラ・パーチェのほうは中庭に対して45度の方向からアプローチするように作られているのに対して、パラッツォ・ドゥカーレの方は中庭に対して正面からアプローチするように作られているという事だ。すなわち、どういうことかと言うと、サンタ・マリア・デラ・パーチェは45度の方向から見た時に中庭全体の構成が均等に見えるように作られているのに対して、パラッツォ・ドゥカーレは中庭を囲む面それぞれを正面から見た際に均等に作られているように見えればいい、と言う事なのである。以下の写真がそれを物語る。

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Fig.28. サンタ・マリア・デラ・パーチェの中庭を45度の角度から見た場合

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Fig.29. パラッツォ・ドゥカーレの中庭を正面から見た場合

すなわちパラッツォ・ドゥカーレのほうは柱間が5ベイ×6ベイの構成をとっているので、45度の角度から見ても均等には見えないのである。実際、googleで"Palazzo Ducale Urbino Courtyard"と"Santa Maria Della Pace Courtyard"と画像検索すれば、前者は圧倒的に正面から見た場合の写真が多く、後者は45度の角度から見た写真のほうが多い。

では、なぜこのような違いが起きるかと言うと、恐らくは建物の敷地の制約などに依るところが大きいと思うが、当時の建築理論からも理由を探る事ができる。それはギリシャ的空間ローマ的空間の違いである。

話は古代ギリシャまで遡るが、いわゆる神殿などの構造が木造から石造に切り替わった際にある問題が起きる。それは構造的理由から、建物の角の柱の中心線とトリグリフ(柱の上に付けられる構造的装飾)の中心線を揃えることが困難になった、という問題である。以下のダイアグラムがそれを詳細に説明する。

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Fig.30. 古代ギリシャの神殿におけるコーナーの問題

一番上が木造神殿の時の柱とトリグリフのアラインメントで、様々な試行錯誤を経て、最終的に下二つのパターンにたどり着く。この際問題となったのが、石造で柱とトリグリフを揃えようと思うと、どうしても端に奇妙な余白が残ってしまい、余白を消そうと思うと今度は柱とトリグリフの中心線が揃わなくなるという事だ。これは神殿を正面から見た場合には大きな問題となるのだが、古代ギリシャの人々は、神殿を45度の角度から見れば余白や中心線のズレもシンメトリーに見え、さほど大きな問題にはならないということに気づく。なので、石造のギリシャ神殿は以後、45度の角度から見た時に均等に見えるように、そしてその角度からアプローチするように作られていく。最も有名なのがパルテノン神殿だろう。

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Fig.31. パルテノン神殿

さて、この古代ギリシャのオーダーをローマに持ち込んだ際に、再び新たな問題が起きる。それは、ローマという都市がどんどん過密になっていくにつれて、建物に45度の角度からアプローチする空間が無くなっていった、という問題である。そこで、アルベルティはギリシャのオーダーを建物の正面、すなわちファサードのみに集約させる事でこの問題を解決する。アルベルティが世界最初の看板建築家と呼ばれる所以でもある。マントゥアのサン・アンドレア聖堂を見ればこれが顕著に現れていることがわかる。

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Fig.32. マントゥアのサン・アンドレア聖堂

このようにアルベルティのファサードの場合は、シンメトリーな全体性と、付け柱が面の両端に付けられることが重要となる。

さて、このアルベルティのファサードのロジックで中庭を作ろうとするとどうなるだろうか?この場合、ギリシャ的オーダーが面の中で完結しているため、この面を4枚複製して、4つの面で空間を囲う事で中庭を構成することになる。そうすると、一つの面の両端には付け柱が理論上付いているため、必然的に面と面が接合する部分では二つの柱が90度の角度で向かい合うことになる。一方、石造ギリシャ神殿のロジックで中庭を作った場合は、全体が45度の角度から見た際に均等に見えればいいので、4つの面で囲うと言うよりも、1つの面を折ることで空間を囲うような、地続きな1枚のサーフェスによって作られる中庭になる。この場合、角は面と面の衝突としてよりも、溶け合って融合したような角として現れる。

そして前者のように、4つの独立した面で囲われた空間をローマ的空間、後者のように1つのサーフェスで囲われた空間をギリシャ的空間と呼ぶ。ダイアグラムで簡単に表現すれば以下のようになる。

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Fig.33. ギリシャ的空間とローマ的空間

これを踏まえて再びサンタ・マリア・デラ・パーチェとパラッツォ・ドゥカーレの平面図を比較すれば、前者がギリシャ的空間、後者がローマ的空間として作られている事がわかる。

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Fig.34. サンタ・マリア・デラ・パーチェ(左)とパラッツォ・ドゥカーレ(右)の比較2

上のように、サンタ・マリア・デラ・パーチェでは同じサイズで等間隔の柱が最後は一部重なり合うようにして角が形成(赤い部分)されているのに対して、パラッツォ・ドゥカーレの方は柱が角で重なり合わず、角の裏に余白ができているのがわかる。面と面なら線でつなげることができるが、面に厚みができるとこのように裏に余白ができるというのは想像に難くない。

そしてこの空間特性の違いをレトリカルに、悪く言えば愚直に表現として残した結果が、まさしく冒頭でお見せした角の装飾なのである。

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すなわち、サンタ・マリア・デラ・パーチェではイオニア式柱の装飾部分が不可解に修辞として残ることで、中庭がギリシャ的空間であることを暗示するし、パラッツォ・ドゥカーレでは付け柱が不可解に90度で向かい合って対置されることによって、中庭がローマ的空間であることを示唆しているのである。

この現象はピーター・アイゼンマンの"There Are No Corners After Derrida"というエッセーに簡潔に以下のようにまとめられている。

...What is important about the Bramante corner at Santa Maria Della Pace is that the formal part-to-whole diagram - that is, what Bramante thought would be a decidable and grammatically correct unity - instead produced a rhetorical corner because what was built was no longer grammatically correct.[1] (Peter Eisenman)
...ブラマンテのサンタ・マリア・デラ・パーチェの角において重要なことは、すなわちブラマンテが意思決定の基準としても建築的文法としても正しいと考えていた形式的な部分と全体の統一というダイアグラムが、出来上がった建物が文法的に間違ったものになったため、代わりに極めて修辞的な角を生成したという点である。[1](ピーター・アイゼンマン)

すなわち、ブラマンテはサンタ・マリア・デラ・パーチェにおいて、建築の形式に厳格に則った文法的解決を計ったものの、出来上がったものが結果として文法的に間違ったものになったため、転じて修辞法的帰結が導かれた、と言っているのである。なんとなく、愚直で頭の固い、形式に対して少し神経質なブラマンテ像が浮かび上がってくるのが、個人的にはとても面白いと思っている。


さて、最後に分析のドローイングであるが、僕は先ほど述べたパラッツォ・ドゥカーレの角の裏に理論上は残る余白に着目して、ストリートビューで探索をしたところ、以下のような現象が見つかった。

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Fig.35. パラッツォ・ドゥカーレの角の裏の円柱の付け柱

ご覧の通り、ブラマンテは理論上残る余白もそのまま残して、代わりにその余白を円柱の付け柱で埋めているのである。そこから思いつきで、両方の中庭の角を中庭側から切ったアジの開きみたいな以下のドローイングを描いた。

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Fig.36. 筆者のブラマンテ回の形態分析

何が言いたいかというと、ブラマンテはパラッツォ・ドゥカーレの角の裏に残る余白を埋めて隠そうとはしているものの、付け柱が円柱のため、サンタ・マリア・デラ・パーチェと同じ頂点を軸に切って開けば、画像のようにパラッツォ・ドゥカーレは中央にヴォイドができて、サンタ・マリア・デラ・パーチェの方は一続きのサーフェスが保たれるということである。すなわち解剖学的にローマ的空間とギリシャ的空間というコンセプトの違いを暴こうという意図のドローイングとなっている。

3.最後に

個人的にブラマンテは細かいところを見ていけば見ていくほど、面白い発見が出てくる興味深い建築家だと思っている。そして彼が編み出した様々な建築的発明が後に起こるマニエリスムという一大ムーヴメントの萌芽となっていること、そしてそれが様々な形で現代まで引き継がれていくことに、何か建築の夜明けというか幕開けみたいな、以後500年も続く建築の歴史の前日譚みたいな、そんな身震いするような建築のあまりにも長い歴史に対する感動を覚えさせてくれる建築家の一人なのである。


Fig.1. https://www.britannica.com/biography/Donato-Bramante

Fig.2. https://www.turismoroma.it/en/node/710

Fig.3.https://www.khanacademy.org/humanities/renaissance-reformation/high-ren-florence-rome/bramante/a/bramante-etal-saint-peters-basilica

Fig.4. https://www.pinterest.jp/pin/396316835939435783/

Fig.5. https://www.britishmuseum.org/collection/object/P_V-1-69

Fig.6. https://www.veditalia.com/tours/half-day-pavia-walking-tour/duomo-pavia/

Fig.7. Macchi, Georgio. "Problems Related to the Original Conception - The Case of Pavia Cathedral" (Univ. of Pavia, 1998) pp.40

Fig.9. https://www.google.com/maps/place/%E3%83%89%E3%82%A5%E3%82%AA%E3%83%A2%E3%83%BB%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BB%E3%83%91%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%82%A2/@45.1846669,9.1510357,17z/data=!3m1!4b1!4m5!3m4!1s0x478726453dd9198f:0xc82b573129732edf!8m2!3d45.1846669!4d9.1532244

Fig.10. https://lazioeventi.com/luoghi-da-visitare/ninfeo-bramante/

Fig.11. C.L. Frommel, "Bramantes 'Ninfeo' in Genazzano," Romisches Jarhbuch fur Kunstgeschichte 12 [1969]

Fig.14. https://travelguide.michelin.com/europe/italy/lazio/rome/rome/tempietto-di-bramante

Fig.15. https://i.pinimg.com/originals/d1/53/0e/d1530e8092d0c0cdc32fc328636bfd0b.jpg

Fig.16. https://oma.eu/projects/shenzhen-stock-exchange

Fig.17. http://architecturalmoleskine.blogspot.com/2012/05/sanaa-21st-century-museum-kanazawa.html

Fig.19. https://i.pinimg.com/originals/2b/7b/4e/2b7b4eefc284a3953c9441ff77fffae5.jpg

Fig.20. https://en.wikipedia.org/wiki/File:Urbino-palazzo_ducale01.jpg

Fig.21. https://www.wga.hu/frames-e.html?/html/b/bramante/1archite/2/pace1.html

Fig.22. https://parcocolosseo.it/en/category/news-en/

Fig.23,24. Courtesy of Yale Resource

Fig.25. https://archimaps.tumblr.com/post/136888305927/plan-of-the-church-and-cloister-of-santa-maria

Fig.26. https://www.inexhibit.com/it/mymuseum/palazzo-ducale-di-urbino-galleria-nazionale-delle-marche/

Fig.28. https://gr.pinterest.com/?show_error=true

Fig.30. Eisenman, Peter. "There Are No Corners After Derrida", (New York, Anyone Corporation, Log 15, 2009) pp.117

Fig.31. https://mymodernmet.com/the-parthenon-greece/

Fig.32. https://www.khanacademy.org/humanities/renaissance-reformation/early-renaissance1/sculpture-architecture-florence/a/alberti-santandrea-in-mantua

Fig.35. https://www.google.com/maps/search/palazzo+ducale+urbino/@43.7243724,12.6342957,17z/data=!3m1!4b1

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[1] Eisenman, Peter. "There Are No Corners After Derrida", (New York, Anyone Corporation, Log 15, 2009) pp.117-118

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