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こんなに違うの?!〜日本とNZの高校の違い〜

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こんにちは。Takuです。

今日は『日本とNZの高校の違い』
についてお話していきます。

が、本題に入る前に最近の出来事のお話から。


ご存じの方もいるかと思いますが

私にはNZの学校に通う2人の娘がいます。

先日、上の娘が通うNZ高校の、
Prefect assembly に参加してきました。

Prefectというのは簡単に言うと、
NZの高校の生徒会役員のこと。

assemblyというのは集会、ですね。

日本的に考えると「ただの生徒会?」
と思われるかもしれませんが
NZではPrefectは皆が憧れる名誉職だそう。

NZの高校ではこの役職が
生徒と先生の投票で決定され、
学校と生徒をつなぐリーダーたちになります。

これは重要な役割なのでなんとその経歴が
「就職時にも大きく影響する」とのこと。
すごいですね。

というわけで、
Kiwiなら誰しも高校で
Prefectになったと言えば、学校全体に
認められたと称賛してもらえます。

そして
伝統ある学校のそんな素敵な役職に、
自分の子供が日本人で初めて選ばれたと聞いて
子供を改めて心から誇りに思いました。

Prefect のことを
一例としてお話しましたが、

今回の出来事に限らず
娘たちがNZの学校で経験することを
目の当たりにする度に、私は

「私もこんな教育が受けられたら良かったなぁ」
と卒直に思ってしまうのです。

言いかえると
「うらやましいなぁ」という感じなんです。

そこで今日は
これから移住を目指すみなさんに
私の視点から大まかな

日本とNZの高校でのイメージの違い

をお話ししていこうと思います。

私が日本の高校に通っていた時、
大変だったな、苦しかったな、と思ったのは
ザックリまとめるとこんなことでした。

<1>学校で自主的にできる活動が少なかった
<2>すべての学習が大学受験優先になっていた
<3>世界への道が全く見えなかった


いかがですか?

これは今お話を聞いてくださってる
多くの日本の方の経験にもいくつか
当てはまるのではないか、と思うのです。

今日は順を追って私の体験を
記事前半でお話しした後に、

娘のNZでの高校生活が
日本の高校とどれだけ違うのか、

ということを後半部でお話ししていきます。

ー目次ー

① 私の日本での高校生活
② 娘のNZでの高校生活
③ 日本とNZの高校生活の違い



あらかじめお断りしておきたいのですが、
私は自分の高校が好きでした。

たくさんの友達もいたし、
クラブ活動もしていました。

体育祭も文化祭も面白かったし、
その毎日がつまらなかったというつもりは、
全くありません。

素敵な思い出がたくさんあったし、
それは今でも自分の宝物です。

でもそれでもいつも私の中には、
どこか満たされない「何か」が、
いつも存在していたのを覚えています。

当時それが何だったのか、
自分では分かりませんでした。

でも今こうして海外に移住して10年が経ち、
現地の高校に通っている子供をみて、
それが何だったのかようやく見えてきた。

今そんな気がするのです。

それでは始めていきたいと思います。


①私の日本での高校生活 

<1>学校で自主的にできる活動が少なかった

私は私立の高校に進学したこともあり、
比較的自由な校風の中で学園生活を送りました。

先生や友達にも恵まれ、
楽しい時間を過ごしていました。

学校が好きだったので1日も休みたくなくて、
3年間皆勤賞で通しました。

それでもそんな毎日の中でも、
心のどこかで何かが違うという感覚を、
いつも持っていました。

今振り返ってみるとそれは、
「作られた自由」への違和感だったのではないか。
そう思うようになりました。

確かに私の学校では、
校則も緩かったし、
部活選択の幅も広かった。

でもその校則は、
学校が決めた予め不変なもの。

生徒会が働きかけて、
変えられるものではありませんでした。

また部活選択に関しても、
原則兼部は不可能でしたし、
練習は先生が管理していました。

自分たちはそうした大人が決めた、
見えない枠の中の自由を、
生きているだけだった。

そう無意識で自覚していたからこそ、
「何かが違う」を感じていたのではないか。

今はそう思うのです。


<2>すべての学習が大学受験優先になっていた

私の学校は高校2年生から、
自分の進路に合わせて科目選択が出来ました。

でもそもそも選択可能な科目は、
実技科目以外は全て大学受験用のもの。

高1で科目選択のための説明会があり、
そこで言われた一言が今でも、
はっきり脳裏に残っています。

「少しでもいい大学に入れるように、
 自分の得意な科目を優先して選択するように」

これはほとんどの日本の高校には、
逃れられないことなのかもしれません。

それは日本の教育制度が、
大学受験というシステムに、
大きく影響を受けているからです。

そしてその大学受験の結果によって、
その後の就職にも大きな影響が出る。

それなら誰もが高校で、
大学受験の学習を優先し、
高校もそれをサポートするのは当然です。

しかし高校生になるまでの日々だけで、
その時点で得意なことが本当に、
生徒にとって向いていることなのでしょうか。

単に本気で取り組まなかったから、
楽しみがわからなかったこともあるでしょう。

好きでも苦手なこともあるはずです。

でも受験というシステムに適応するため、
そうしたことは考慮されずに、
今得意なことを選ばなければいけない。

そんな不条理さにきっと、
当時の自分は無意識に反発していた。
そう思うのです。


<3>世界への道が全く見えなかった

今では状況が、
少しずつ変わってきていると思いますが、
当時は周囲に世界を感じる環境は、
ほとんど皆無でした。

英語の先生も海外経験は乏しく、
留学する生徒もほとんどいなかった。

ある一人の先輩が、
先生たちの反対にもかかわらず、
高1の時に1年アメリカに留学しました。

でも帰国後のキャッチアップに苦しんでいるのをみて、
留学は得策ではないと思っていた生徒が多かった。

今思えば1年間日本の学習から離れれば、
知識重視の学習への再適応には時間がかかるし、
英語力を得た事は何よりの財産だったはず。

にもかかわらず、
そう思えた生徒も先生も少なかった。

あの時うちの高校にあったのは、
「普通の受験学習がいい」という、
狭い価値観でしかなかったように思います。

受験を通して日本でいい大学に入るだけが、
幸せな道なわけではない。

それよりも世界を見て、
自分の視野やスキルを広げる方が、
余程自分の可能性を高められるはず。

そんな当たり前のことさえ理解できないほど、
日本のシステムを盲信していたのでしょう。


②娘のNZでの高校生活

<1>生徒の自主性が広く認められているのか?

翻って子供の通うNZの高校を見ると、
生徒に与えられている裁量の広さに、
改めて驚かされます。

今でもはっきり覚えているのが、
入学式で聞いた校長先生の言葉です。

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「高校は学生と社会人の橋渡しを果たす場所。

 ここで一番生徒に身につけて欲しいのは、自主性です。
 自分のことを自分で管理し、自由と責任を自覚すること。

 そのために親は、子供から手を引いて、
 後ろからのサポートに徹してください。」

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