見出し画像

「そんなの当たり前じゃん」と言う子は要注意!〜 受験で奪われる大切なスキルとは?

こんにちは。
元大手進学塾トップクラス担当講師で、
現在はニュージーランド在住の受験&国際教育コンサルタントのTakuです。

私は自分のレッスンの中にできる限り、
ディスカッションを取り入れています。

以前指導したクラスでのディスカッションで、
「戦争にメリットはあるか?」をテーマにした時、
一人の生徒が手を挙げてこう言いました。

「先生、戦争がいけないのは当たり前だと思います」

彼女は学校でも真面目な優等生。
偏差値の高い新学校に通っていて、
トップ大学を志望している生徒でした。

「どうしていけないんだろう?」と聞いた私に、
彼女は一点の疑問もないとと言う口調でこう答えました。

「戦争は悲しみしか生みません。だからメリットなどあり得ません。」

このやりとりを通して、
私はつくづく「知識偏重」教育の弊害を痛感しました。

そこで今日はこの話題について、
少し考えてみたいと思います。


少しも変わっていない受験教育の本質

コロナにかかってベッドの中で、
ずっと自分が関わってきた受験教育について、
改めて思いを馳せていました。

受験教育で培われるスキルがたくさんある。
それは確かだと思います。

いやしくも教育と名がつくもので、
何一つスキルが身につかないものなど、
存在し得ないと思いますから。

でも何かを選択するということは、
何かを諦めるということでもあります。

つまりある教育を受けることで、
得られるスキルがある反面、
失われるスキルもあるのです。

教育選択ではこうした両側面から、
検討を加える必要があります。

その観点から考えると、
受験教育で失われるスキルは、
あまりにも大きいと私は考えています。

その最たるスキルが「深く考える」こと。

この話をすると決まって受ける反論が、
最近は受験でも考える問題が増えてきて、
受験も時代に合わせて変化してきたと言うもの。

でも私はその意見に残念ながら、
同意するのは難しいです。

なぜなら受験で問われる思考問題は、
せいぜい数十分と言う短い時間で、
表面的に考えるスキルだからです。

私はこうした問題を
「なんちゃって思考問題」と呼んでいます。

限られた時間で回答する「なんちゃって思考問題」には、
事前にパターン学習で積み上げた知識の記憶と整理が、
必要不可欠となります。

現場で問題の本質を試行錯誤しながら、
思考を深める余裕など全くありません。

これは本質的はこれまでの受験問題と、
本質的には何も変わっていないのです。

疑問を持たない生徒の大量生産

こうしたパターン学習(記憶と整理)の積み上げは、
子供達から「疑問を持つ機会」を奪っていきます。

先ほどの戦争の話を考えてみて下さい。

受験教育の中で戦争の是非について、
深掘りして考える機会はありません。

なぜ戦争が起こるのかを考える暇があったら、
どこでどんな戦争がいつあったのかを覚えることの方が、
受験にははるかに重要だからです。

長年受験指導に携わってきたからこそ、
どうやったら受験に合格できるのかについて、
私は人並み以上には理解しているつもりです。

そして私の30年余りの、
短い経験を通して理解した事は、
合格に必要なのは効率性であると言うことです。

物事の本質を考えるよりも、
少しでも多くの知識を効率よく整理して、
短期間のうちに記憶することの方が重要です。

偏差値を上げるために必要な事は、
物事を深く理解することではなく、
より効率的に回答できるスキルを身に付けることです。

それがゴールとなる以上、
受験教育の目標が効率性の追求になる事は、
誰が考えても明らかなことでしょう。

なぜ戦争が起こるのかを考えるよりも、
どこでどんな戦争が起こったかを覚えることの方が、
合格には何倍も効果があるのです。

そんな教育を長年受けていれば、
真面目な生徒ほど疑問を持たなくなるのは、
火を見るより明らかなのではないでしょうか。

失われる柔軟な発想力

疑問を持たなくなると言う事は、
物事の本質を考えなくなると言う事と、
私は同義だと考えています。

そして物事の本質を考えなくなると、
思考の幅が大きく狭まり、
引いては発想力の喪失にもつながります。

過去にどこでどんな戦争が起こったかを、
大量に知っている人間が果たして、
戦争の回避方法を見出せるでしょうか。

私が戦争のメリットを考えさせたのは、
もちろん戦争を推進するためではありません。

戦争はいけないと分かっていても、
戦争がいつまでも止まないのは、
戦争にメリットがあるからです。

たくさんの人が死ぬ出来事によって、
利益を得る人間がいるからこそ、
戦争はいつまでもなくならない。

だとしたら、そのメリットが何のかを考え、
それに代替する利益の提供を考えれば、
戦争の回避につながるかもしれません。

そういった思考の幅を広げるスキルを、
受験勉強の中で育った子供たちは、
残念ながら失っていくのです。

単なる知識なら大人になってからでも、
いくらでも身に付けることができます。

しかし、このように本質を考えるスキルは、
大人になってから身に付ける事は、
決して容易ではありません。

なぜなら、人間は大人になる過程で、
自らの経験に基づいてどうしても、
思考が硬直化する傾向があるからです。

だからこそこのようなスキルはまだ子供が、
小さくて柔軟な思考力を持つ時期にこそ、
与えるべきではないかと私は思います。

偏差値教育の見解はこんなところにも、
現れていると私は思っています。

まとめ

さて、いかがだったでしょうか。

受験教育では学習習慣が身に付いたり、
幅広い知識が手に入ると言うメリットが、
存在することを理解しています。

しかし、その影で思考を深めていくと言う、
人間にとってかけがえのないスキルが失われると言う、
リスクも常に内在しています。

不透明な変化に富む未来を生きる子供たちにとって、
知識は今後AIからいつでも気軽に、
入手できる時代がやってきます。

その中で本当に必要なスキルが何なのか、
私たちは今真剣に考える時期に、
来てるような気がしてなりません。


【音声配信やってます】

スタンドFMで音声配信もやってます!
よかったらそっちも聞きに来て下さい。

【質問募集中】

受験や留学、海外育や子育てについて、こんなことを聞いてみたい!という質問を募集します!
ご質問は下記リンクからお気軽にどうぞ!

https://marshmallow-qa.com/qcbfz8ypyt60


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?