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もっとロケット作りたいんで「JAXA」、建てないか?


 前回はカッパロケットの打ち上げ成功から更に改良を加えたラムダロケット・ミューロケットが、それぞれ国内初の人工衛星の打ち上げ成功とロケットの到達高度10,000kmを達成したこと。そして、糸川率いる東京大学宇宙航空研究所が、「宇宙科学研究所」として新たに改組され、ロケット開発のスケールをどんどん広げていったという話までした。

  今回はその続き、ミューロケットからさらに改良を加えて作られた世界最大の固体燃料ロケット「M-V」の開発までの歴史と、現在日本の宇宙開発の中心である「JAXA」発足の歴史を簡単に解説していく。

 ハレー彗星探査機の打ち上げを目的に作られた新型のミューロケット「M-3S Ⅱ」の打ち上げに成功した宇宙科学研究所は、その年の秋になると早速、より強力なロケットの開発に取り組み始める。目標は低軌道へ2t程度の打ち上げ能力を持つもロケットの開発で、M-3S Ⅱが770kgであったことを考えると飛躍的な能力向上を目指していた。必要とされる推進剤の量も、全段においてM-3S Ⅱの倍以上は求められるものだ。

 ところが、ロケットを大型化することは他の乗り物と同じく、耐熱や耐圧などの素材面、燃料点火までのプロセスや打ち上げ後の軌道調整といった制御面などからも難しく、問題は次から次へと溢れてきた。おかげで、当初目標にしていた1995年の打ち上げ予定から大幅に遅れることを余儀なくされる。

 ただ、開発チームの野望はその問題をはねのけるくらい強く、1997年2月、宇宙科学研究所はついに「M-V1号機」と呼ばれるロケットを内之浦宇宙空間観測所から打ち上げることに成功。全長約30m、直径2.5m、打ち上げ時の全重量が約140tというスペックを持ったM-Vは、世界最大かつ世界で最も優れた固体燃料ロケットだったため、低軌道へ約1800kgもの衛星を打ち上げることができた。

 M-Vは1号機から2006年9月に打ち上げられた7号機まで7機が打ち上げられ、2000年に打ち上げられた4号機を除くすべての打ち上げに成功している。アメリカやソ連などの宇宙開発の先頭を走る国でも、ロケットは大型化すればするほど打ち上げに失敗することが多かったので、それと比較すると日本の技術力はやなり高いと言えるだろう。

 さて、日本の宇宙開発はこの「M-Vロケット」の打ち上げ成功から大きな転換を迎えていく。それが、「JAXA」の発足だ。
まずは、国が設立した「宇宙開発事業団」という組織について説明する必要があるのでそこから解説しよう。 

 糸川を中心とするグループが開発していた固体燃料ロケットは、そのサイズなどから小型の科学観測衛星を打ち上げることが主な目的となっていく。一方、ロケット開発の規模が次第に大きくなり盛り上がっていく様子を見ていた国は、より大型の商業衛星を打ち上げるため、液体燃料のロケットの開発を目指す。そうして、1969年に設立されたのが「宇宙開発事業団」という組織。

 繰り返しになるが、固体燃料ロケットというのは一度点火すると燃え尽きるまで消すことができない。つまり一度打ち上げたら、もうほとんど外からは制御ができないのだ。ところが液体燃料ロケットは、燃焼中に出力の増減を調整することができるので、打ち上げた後も制御がしやすいメリットがある。現在多くのロケットが液体燃料ロケットなのは、この打ち上げ後の制御のしやすさを重要視しているからだ。

 国は将来予想される大型ロケット打ち上げ技術を獲得するためにも、なんとしても液体燃料ロケットの開発を成功させようとしていた。
ところが、事業団設立当初は専門知識を持つスタッフが皆無で、開発は長いこと停滞していた。結局は、アメリカが開発したデルタロケットから技術供与を受けることになり、アメリカと手を組みながら技術の習得に励んでいく。

 そうやって日本は1975年以降、「N-Ⅰ」N-Ⅱ」 と呼ばれる液体燃料ロケットを開発するんだが、大型を目指して作られた「N-Ⅱ」ロケットは、アメリカのデルタロケットをライセンス生産したものに過ぎなったので、結果的に「N-Ⅰ」ロケットより国産化率の落ちたロケットになってしまっていた。
ロケットの国産化にこだわる理由は、ビジネスの面と安全保障上の問題が大きいからだが、ここで話すと長くなるので、詳しくは過去の放送を見てほしい。

 そんなわけで、とにかく国が設立した「宇宙開発事業団」は液体燃料の開発に難航していたのだ。
2003年10月、国は宇宙開発の効率的な遂行のために、これまでロケットの打ち上げを担ってきた、糸川を筆頭とする宇宙科学研究所と宇宙科学事業団、そこに航空機の研究を中心に行ってきた航空宇宙技術研究所の3者を統合し、ついに独立行政法人「宇宙航空研究開発機構(JAXA)」を新たに発足させる。

 もともと宇宙開発の予算が少ない日本では、固体燃料ロケットが液体燃料ロケットのどちらか一つに絞る紅だという考えが根強くあったのが、問題にされたのは「M-V」ロケットの打ち上げコスト。

液体燃料ロケットと比較した場合、その割高さなどから、今後は液体燃料ロケットにすべきじゃね?という方針が示され、なんと2006年7月、「M-V」ロケットの廃止が決定されてしまう。 
背景には官僚同士の確執があったとする専門家もいるが、いずれにせよこれで日本のロケット開発はいったん中止されてしまった。

 ただ一方で、これまで培ってきた固体燃料ロケットの技術を部分的にでも活かそうという動きもあり、小型の科学衛星の打ち上げを目的にM-Vの3分の2程度の打ち上げ能力を持つロケットの必要性が叫ばれた。これが後のM-Vに代わる固体燃料ロケット「イプシロン」へとつながる。
そして液体燃料ロケットも、「N-Ⅰ」「N-Ⅱ」ロケットで習得した技術と、M-Vロケットの廃止で浮いた資金をフル活用し、のちの国産ロケット「H−Ⅰ」「H-Ⅱ」ロケットの開発へと続いていく。

 それまでロケットの性能にだけにこだわっていた日本が当時次に目を向けていたのは、「液体燃料ロケットの開発」と「ロケットの国産化」 だった。そのために開発組織にテコ入れをして、「JAXA」という機関を発足させたのだが、組織の下地を作るという面から言うとアメリカやソ連、フランスからかなり遅れを取っている印象がある。

 アメリカとソ連はロケットを軍事目的にも利用しようと考える傾向が強かったので、日本と比べても仕方ないんだが、フランスに関しては、軍事目的も多少はあったかもしれないが、それ以上に自国だけでロケットを作るのは現実的じゃないと早い段階で気づいたことで、早々に周辺のヨーロッパ各国と協力して宇宙開発機構「ESA」を発足させる方向に舵を切っていた。

 大きな産業になるとわかっているからこそ早い段階で組織を整えるのはどの産業にも必要なことだと思うが、日本はその辺りの舵取りがうまくいていっておらず、中途半端なタイミングでまとまとまろうとしていた。その結果が固体燃料ロケット開発中止でないかと僕は思っている。

 国が積極的に援助しなかったのも非常にもったいないことなので、これからの10年は、日本の政府が宇宙開発にもっと資金援助をしてくれることを期待したいが、果たして今の政権にそれができるか。期待と不安が半々といったところだ。


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