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誰かを傷つけ傷つけられること

みなさんは誰かに傷つけられたことありますか?

それは、実際の身体での暴力、言葉の暴力。さまざまありますが、
少なからず一度は経験があるかと思います。




では組織から無意識に傷つけられたことはありますか?

これに関してはかなり少なくなるかと思います。


この投稿では、無意識に、また。意識的に知ってはいたが、見て見ぬふりをされ、相談しても組織に相手にされなかった。

そこで感じた苦悩とその後の生活についてお話する記事となっております。




組織のトップまで話が通らない社会


みなさんはこれまでに組織の1番トップの人とお話する機会はありましたか?

直属の上司、担当の教授・どこかの課のトップ
と話すことは日常的にあるかもしれませんが、

一番上の方と話すことは早々ありません。


そこまで話がいくということは相当な話だということです。


自らを棚に上げるわけではありませんが、私の体験してきたものの中では人生で一番と言っていいほどのものでした。

しかしながら、話は組織のトップまで通らず、中間管理とも言える課で止まり、悪い言い方をするならば、もみ消されてしまいました。


そして、後々知った事実では、最終的に学校をそのような理由で退学するかどうかの瀬戸際に立っていた時に初めて組織の一番上に話がいったということです。

もちろん私は直接話すことはありませんでしたが。


助けようとしてくれた人は数えられる程度、その人たちも中には昇進をかけて問題を解決するというあくまでも私目線でない人。
解決できない問題だと思い込んで全く注力してくれない人。
立ち向かって来ようとしてくれたが、組織相手には太刀打ちできなかった人。


本当に様々でした。

また、全くこの問題を知らない人には、
自分で自分の問題を解決できない人だと見られていたこともあります。

どうすればこの問題を解決することができるのか。
学業に専念するはずだった二年間が、その問題に直面し、どうしたら、自分が自分であるようにするべきことを考えた二年間でした。



結論、

多くの人は自らの保身に回り、立ち向かおうとしてくれても組織相手ではどうすることもできないのです。




社会全体の流れ

社会全体的にこの風潮は存在します。


報告すると自分にとって不利益になること。
誤魔化す。嘘をつく。

誰しも怒られるようなことはしたくありません。
それが大人になってからだとなおさらです。


それが自分にとって。また相手にとって利益的になる嘘をつくのであれば、私はそれでもいいのではないかと考えます。

しかしながら、どちらか一方に嘘をつくのだけよくありません。


私の事例に関しては、誰かが親身になって対応してくれた。
そんなこともありましたが、課のトップのただ一人が奮闘して頑張ってくれた結果。上に話がいかず、とどまってしまったのだと思います。


その方はメディアにも出て、執筆活動も行い、研究も行い、施術もする。さらには学校での活動もあるとかなり忙しい方が助けてくれた事実と、奮闘したが、この結果になってしまって申し訳ないと頭を下げてくれたことを死ぬまで忘れることはありません。


そういった本当に私のことを考え、人のために働きかけるという方はこの世には多くいらっしゃいます。

社会全体としてそういう流れであったり、そういう風潮があることで、救われる命、救われた出来事も多くあるはずです。そのようなことがなくなるように願うばかりであり、
私自身もそのような方になれるように。近づけるように
人と接していくと感じ、日常を送っています。



最後に


誰かに傷つけられた経験はあり、それは覚えていたとしても、
誰かを傷つけた経験はあるが、それを覚えていないことが多くあります。


人間の脳のキャパシティ的にも新たな事を覚えるために、
インパクトの少ない。かつ古いものは忘れられアップデートされます。


誰かを助けるような人物に。何かを助けるような人物になることができれば、この社会は必ずよくなり、うつと診断されるような精神疾患も少なくなると私は考えています。


個性を持ちながらでも、相手のことを少しでも考えるように。
自分の独りよがりではなく、誰かを支える社会が生まれるように。


まずは、今いる周りの人が喜ぶ何かをすることから少しでも考えていただけたらと。




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