見出し画像

人生の正解

 どうもtakuhoです。
今年も早いものでぼちぼち夏休みが始まっている頃かなと思います。
昔は「夏という季節が嫌い!」という人があんまり周りにいなかったイメージですが、この歳になると同い年の人たちが口を揃えて「夏が嫌い」と言っていて、やっぱり歳重ねるとそうなっていくんだなーっと少し感じています笑

さて今日は「人生」についてまたまた考えてみようかなと思います。

人生に正解は存在する

 最近は「人生に正解なんてないよ!」って言ってくれる優しい人が増えましたね。ただ、それは結構な嘘だと僕は思っています。
例えば、理想の人生設計ってありますか?もしその人生設計通りに人生が進んで終わりを迎えた場合、その人生はおそらく正解ですよね。
また、正解がないと言い切ってしまうことは、今幸せに生活をしている人たちに「お前らの人生は正解じゃないからな!!」って言っているようなものです。
 ただ、人生に正解がないと言いたい人の気持ちもわかります
だって、ある人から見ればその人の人生は正解かもしれないけど、ある人からしたら失敗かもしれない。見方によって正解は変化する、そういう絶対的なものではなく相対的なものであるから、存在しない。という主張はわかります。
そうなんです。正解って"何を基準にするか"がとても大切なんです。その人の中に"どうなったら正解"という判断基準があればそれが達成された時、その人の人生は正解となります。

つまり、人生における正解は"ない"のではなく"あるけど一つではなく、判断基準の数だけある"ということになります。

正解の条件

 では、人生の正解を決める判断基準は誰が設定するか
もう言わなくてもわかりますよね。そう、自分です。
自分がどうなりたいか、どう見られたいか、どういう最後を迎えたいかそういった自分の中の欲望と理想に忠実に決めた判断基準を設定することが大切です。

ここでは、本気度を考える必要があります。本当にそれがやりたいか、という本気度は残念ながら他人からは見えないことが多いです。そのため、自分の中でどれだけその本気度を見出せるかは結構大事だと思っています。

一つ大きな目標ができたら、それを成功させるための中の目標をたて、それを達成するための小の目標を立てる。こうしてどんどん目標を細分化することによって、今の自分がしなければいけないことが明確に見えてきます。

僕の場合はこんな感じですかね。もう少し細分化できますが、まあざっくりこんな感じのイメージです。
この思考法をマンダラートと言います。大谷選手とかがやってたやつですね。僕も高校の部活で教えてもらいました。ぜひ調べてみてください。

マンダラートのイメージ図(僕の場合)

他人は参考にならない

 さて成功の基準を決めて、その手順をマンダラートで細分化し、実行する。という方法自体は理解していただけたかと思います。

ただ、これをしてはいくらこの方法を使っても正解には辿り着けないというものが二つあると僕は考えています。

一つ目は他人に迷惑をかけることです。
 以前も書いた通り、自分の友人や家族、恋人なんかは自分で選んであなたと関わっています。そう言った人たちに対してお願いをすることや迷惑をかける行為は僕は許容だと思っています。
 しかし、そうではない第3者である他人はあなたと関わりたくて関わっているわけではありません。そう言った人たちに迷惑をかける行為は巡り巡って自分のところへお返しが来ると僕は思っています。そしてそのお返しは、自分が最もやめてほしいタイミングで帰ってきます
だからこそ、他人には迷惑をかけないようにしましょう。

二つ目は他人の言うことを鵜呑みにすることです。
他人はあなたの人生に責任を持ってくれません。責任がないからこそあなたが堕落するような甘い言葉も、無責任な励ましも、よくわからないヘイトも、アドバイスというなのおせっかいもしてきます。
しかし、それができるのは"責任がないから"です。
そんな人の話を真剣に聞いてては、自分の心の本気度を見ることはできません。
そのため、他人の話(僕の話も含め)は参考程度にしておきましょう。

最後に

 いかがだったでしょうか、「人生」
正解は絶対にあると思います。それは別に誰かに評価された正解ではなく、自分が正解だと本気で思えることなんだと思っています。

他人からの無責任な甘さや後ろ指なんか無視して、自分の思う正解を見つけることができれば、きっと人生は面白いんだと思います。
僕もしっかり自分の人生を正解にできるように、頑張ります。

それではまた

takuho


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?