災い転じて
βやAppleを選択する人
昭和の人にしかわからないと思うのですけれど,かつてビデオのフォーマット競争みたいのがあって,VHSというフォーマットが勝利しました。今やビデオテープもほとんど使われていないわけで勝利も何もない昔話ではあります。で,その時に私はもう一つのβというフォーマットのビデオデッキを使っていました。先見性があるかないかで言ったら「ない」方なのでしょう。
さらに言えば,今はiPhoneやiPadのおかげでApple製品使っていても何も言われませんが,かつてはMac使っているとわかると「なんでWindows使わないの?」(いや,まあ業務では使ってるけどさ)と,まるでコインランドリーの前で洗濯板使ってる人を見るような目で見られたものです。
なかなか本題に入らなくて申し訳ないのですが,前任校でも理事長に「なんでWindows使わないんだ?」と本気で心配され,iPadを導入する時も「なんでAndroidじゃダメなんだ?」と首を傾げられました。iPadは無事に導入されましたし(今はどんな使われ方してるんだか心配だけども),理事長はiPhoneを使うようになりました。
ともかく,私はβやAppleを選ぶような人なので,言ってることにあまり先見性もないと思いますし,そもそも自分の選択に楽観的に過ぎる人です。と,いう前提でこの状況で考えたことをまとめてみます。
使い方が変わる
ICTの導入には組織の「ビジョン」が必要とセミナなどでお話してきました。実際には諸事情(近隣校との差別化とかね)あって,まず導入ありきで,ではどうやって使いましょうかで困っているところが多かった。導入の仕方としては筋が悪いです。結果として「入れたはいいけど使われない,そもそも使えない」という状況が少なくないのです。
さて,今回のコロナ騒ぎ。今までのICT活用の流れとは変わってきました。導入ありきではなく,やりたいことを実現するためのICT活用です。「学校に来ないでもHRをやりたい」「印刷したプリントを郵送しないで生徒に届けたい」「授業を配信したい」という「やりたいこと」があって,それを実現するためのICT活用です。明らかにICTの使い方が変わってきました。本来の導入の流れが緊急事態ではあるものの進んでいると言っていいでしょう。
それでもいろんな制約で「できるのにできない」という実情も聞こえてきますし,そもそも毎日バーチャルでHRやる必要あるのかとか,授業がない期間なのに課題をやらせる必要あるのかとか,授業を配信する必要あるのかとか,という課題はあります。そこはまた別の機会に。私自身は,ふだん以上のことをやる必要はないという立場です。こんな貴重な自分で使い方を決められる時間はないので,無駄にしちゃったとしてもそれはそれでいいじゃんと考えてます。
災いが過ぎた時
この騒ぎが収束した時,改めて学校の存在意義,学校に通うってどういうことなの,学校じゃないとできないことって何なの,学校に通えなくなってわかったことって何なのということが問われると思います。ほら,学校っていいよね,学校に来られなくて困ったよね,いやあ学校っていいよねえと言ってられるでしょうか? 学校の先生の授業が全てだと思っていた生徒が違う先生の授業を知ってしまったら,当たり前だと思っていたのと違う学びのスタイルを知ってしまったら?
また,様々な教育サービスがこの機会に無料で一定期間使えるようにしてくれたり,開放しれくれたりしています。とてもありがたいことです。使ってみる生徒もいると思います。その期間が終わって,果たして有料になっても使い続けてくれるのか,重要なお試し期間でしょう。有料になっても使い続けたいと保護者や学校に求めるものもあれば,使ってみたけれど魅力的ではなかったというものもあるでしょう。
学校も教育サービスも,そして私たち教員も「真価」が試される期間です。「この休みの間に考えてみたんですけど,僕には先生の授業は必要ないし,学校もいらないです。自分で学んだ方がうまくいきそうです。」って言われないとも限らないですよね。そんな訳ない,学校がなければ,自分が教えなければ,生徒は学ぶことができないと誰が断言できるのでしょうか。休校前と同じ生徒が学校に戻ってくるのでしょうか。私は目利きになった生徒や保護者が増える気がしてなりません。
とはいえ,私はβやAppleを選択する人です。こんな心配は不要かな。
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