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今日は、”柱”についてお話しします。

人生を楽しく、最幸の時間を過ごすには、どのような生き方 / 在り方でいるのかをイメージできているか?それが重要だと思います。

その中でも仕事に関する割合は大きいものです。
仕事って「仕える事」って書きますよね。

もっと細分化すると、仕 → 人+士 となります。
成り立ちを見ると、武士など戦士のような意味から出てきていますが、武士は基本的には大名などに仕える身で、戦うこと、守ること(専門的に)が仕事です。

”士”とは、その道のプロ。特化していること。とも言えます。

現代では、弁護士や鑑定士、弁理士など8士業(7士業や10士業とも言われています)があり、その道のプロで国に仕える職業ですよね。

人に士(専門的なスキル)を施すことが、仕事だと考えています。
ここでいう”士”とは、相手のお困りごとを解決する専門的なこと。

実際、職業に”士”が付いているのは、国に対して貢献する仕事ですが、この記事では相当広い意味で捉えてみてください。

地球レベル、宇宙レベル、未来◯百年先レベルです。

専門的な、というとレベルが高そうなイメージになるかもしれませんが、そんなことはありません。とても簡単なことです。

例えば、掃除や洗濯などの家事手伝いもある種その道の専門的なことですよね?
実際にビジネスとして展開されていますし。メイドだったり、ホームヘルパーだったり。

例えば、代わりにこの記事を書くことも依頼があれば仕事になりますし、動画を作成することも、どんな事も仕事と言えます。

相手が必要としていること、お困りごとを手助け / 解決したら、それは”全て仕事”になります。

だから、現代で生き残っている仕事という仕事は、必要とされていることなんだと思います。(需要と供給バランス)

仕事は何をするにも、必ずその先に相手(人や動物など)がいます。
インターネットでパソコンに向かって仕事をしていたとしても、必ず相手がいます。

物販であれば買う人はいて、配送をするので分かりやすいですが、電子書籍で配送物が無いにしても、読む相手を意識して書いたら、読んでくれる人がいます。

動画作成も同じ。
どんな仕事も意固地になるプライドではなく、感謝を込めたプライドを持っているかどうかで、仕事の楽しさが変わってきます。

仕事は何をやってもいいし、いくつやってもいい。
本来はそのはずなのです。

副業禁止というのは、現代ではなくなってきました。国が副業を推進しているからです。

公務員でも、その地域の貢献に関する仕事であれば副業OKになっています。そんな中、副業禁止の企業はいまだありますが。

副業禁止にしたままの理由も考え方次第かもしれませんが。例えば、日本が鎖国状態であった時、独自の日本が出来上がりました。

副業禁止って、言わば鎖国状態じゃないか?って思います。
鎖国って、完全に閉ざしていたわけではなくて、人が海外との交流をなくすこと(キリスト教の廃止を徹底すること)と貿易を幕府が独占することが大きい目的らしいですが。

副業は、自分の経済は自分で賄ってくださいね。企業だけでは、あなたの生活を保障しきれませんから。国も保障するには限界がある。

などの理由があるから、副業を推進して、自分の身は自分で守るようにさせているわけですよね?

で、あれば副業を禁止にするということは、仕事で関わる企業の人たち以外とはできるだけ交流を持たないようにさせようとしているんじゃないか?と思ってしまいます。

あと、私の会社でちゃんと仕事をしたら、あなたとあなたの家族の生活をちゃんと保障しますよ。と言っているということでもあります。

ここでようやく”柱”が出てきます。
私の中には”柱”という考え方があります。

一つを突き詰めて、ぶっとい柱で支えるか。

柱の数を増やして、例え一つが折れても倒れないくらい支えられるだけの数があるかどうか。

支えるものは、自分の精神でもいいし、会社でもいいし、愛する人でも家族でもいいです。

鎖国状態の時は、柱が一本で、ぶっとい柱で日本を支えていた感じとでも言いましょうか。

知らない(無知)というのは、ある意味最強になりますが、ものの考え方や文明を大きく遅らせることにもなりえます。

鎖国状態の日本人の精神はどうだったでしょうか?
建築や絵画などの技術力はどうだったでしょうか?
刀鍛冶のレベルはどうだったでしょうか?

世界に通用するトップクラスの技術力ではないでしょうか。

もちろん全員ではないけど、日本人の特性として、一つのことを突き詰める能力が高くなったんじゃないかと思います。(元々レベルは高かったですが、この鎖国時代でより高まったんじゃないかと思います)

情報を絞ることにより、時間や集中力のベクトルが分散しなくていいのかもしれません。それがさらに真面目にコツコツやる力がある日本人に”やり続ける力”を与えたのだろうと思います。

効率よく多く作る、というより、一つひとつ作品のレベルで仕上げて、それを使う(使う、見る、読む)人のことを思い浮かべて大事に作るイメージがあります。

良くも悪くも完璧主義。
最後までやり切ることができるのなら、完璧主義でもいいと思っています。

最後までやり切れず、途中で断念してしまうから、完璧主義は良くないですよ、と言われるだけですから。

雑よりかは綺麗な方がいいですしね。
散らかっているよりかは、片付いている方がいいです。

コツコツとやり続けることができるように情報過多の時代には”絞る”ことがとても重要なのかもしれません。

柱は一本というのもアリですし、パルテノン神殿並みに柱を多数あってもいいと思います。

私が考える収入の柱は御神木並みの太さを3〜5本の柱があるのが理想かな?と考えています。そのうち一本は世界樹並みに太いと最強です。(まだそこまで私自身が到達しているわけではありませんが、さまざまな成功者を見ると平均してそんな感じがします。)

スキルの柱はあまりにできることを増やしてしまうと、器用貧乏になってしまう可能性が出てきます。

人に任せられない。自分でやった方が早い。といった考え方になってしまい、何でもかんでも自分でやってしまうような状態です。

結果、成長速度が遅くなり、器用貧乏という言葉が出来上がります。


この”柱”、このようにいろんな単語に置き換えて例えることができます。

まずは、将来、自分がどうなっていたいのか。在り方をイメージして、その在り方で人生を過ごしていくとしたら、何が必要で何が不要なのか。

将来のビジョンを見据えて、行動レベルにまで落とし込むことができたら、迷わず進めます。

自分の行きたいところに行くには、今の延長線上にありますか?

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