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ナンパを回避できない

 大好きな人たちとご飯を食べて、交わした会話を反芻しながら楽しさとちょっと寂しい気持ちで帰路についていたらナンパされた。せっかく良い気分であったのに台無しである。ナンパをする男というのは、どうしてもあんなに不誠実で、自信過剰で、不愉快なのか。

 都会にやってきてから、ナンパされることが格段に増えた。それは私がフラフラしている田舎娘だからか、容姿が地味で舐められやすいのか。ナンパされる女というのは「ちょうどいいブス」だと聞いたことがある。なんだちょうどいいって。だけど大抵ナンパされるのは、すっぴんにメガネにパーカーというような気の抜けた格好のときのほうが多い。その時の私は「ちょうどいいブス」なんだろう。舐めやがって。

 化粧をして、それなりに可愛い格好をしているときはスカウトされることの方が多い。たいてい「すみません」と近づいてきては「稼げるお仕事」を紹介される。なんなんだ。おしゃれをした私は金に困っているように見えるのか。私に救いはないのか。

 「無視すれば良い」とアドバイスを頂くことがある。だがそれはできない。私は骨の髄まで田舎者だからだ。田舎者を極めると、困っている人を放ってはおけない。共助がなければ、小さな村なんてすぐ滅びてしまうのだ。札幌に来たときも何度も道に迷ったが、その度に人に助けてもらったし、私も何度か人を助けた。ある日道に迷ったインド人と、そのまま成り行きで純金探しの旅に出たことがあるが、その話はまた別の機会で書きたい。

 話が脱線したが、つまりは私は声をかけられたり、困っている人を見かけたが最後、無視することができないのだ。札幌に来たばかりの頃、駅で白杖のおじさんが歩いていた。結構激しい白杖の使い方をしていて、点字ブロックの上にいた女性にぶつかりそうだった。私は声をかけようと思ったけど、躊躇っているうちに結局女性とおじさんはぶつかってしまった。今でもずっと、声をかければよかったと後悔している。自分が後悔したくないという利己的な理由であれど、困っている人がいたらどんなときでも助けたい。だからナンパ師もスカウトも宗教勧誘もマルチも声をかけられたら、話を聞いて、「ごめんなさい」と言って立ち去る。

 だけどそれは彼らにとっては迷惑なのかもしれない。おじさんに「5でどう?」と言われたときはなんのことかわからずに、困っているのかと思い詳しく話を聞いてしまった。結局売春を持ちかけられているのだとわかり、「ごめんなさい」と断ると、おじさんは私に「死ね」と吐き捨てて消えてしまった。彼らも無視されることが多いだろうから、話を聞く人が現れると「今回はいけるかも!」と期待してしまうのかもしれない。期待を裏切ってしまうのは申し訳ないけど、きちんと話を聞いてあげたじゃん、という気持ちもある。ていうかボケっと歩いてるだけの女に売春を持ちかけないでくれよ。

 書いてて思ったけど、私結構偉くないか?単に都会を生きるのが下手なだけ?わからないけど、いつか報われることがあるのかもしれない。私は芥川龍之介の『蜘蛛の糸』が好きだ。小学校時代には諳んじれるくらい何度も何度も読み返していた。カンダタは落ちてしまったけれど、あのお話を読むとどこにでも救いがあるのだと思えて嬉しくなる。私もいつか地獄に落ちたら、お釈迦様が見つけてくれるのだろうか。

 何かの報いにお釈迦様が蜘蛛の糸かなにかを垂らしてくれたら、私は最後まで昇りきることはできるのだろうか。体力面での心配がある。体育館にあった謎の木のはしご(肋木というらしい)くらいしか昇った経験がない。螺旋階段とかにしてくれないかな。はるか彼方の天井から螺旋階段が降りてくる様子は、ドリルみたいで怖いかもしれない。

 その後の釈迦トラップを攻略できるだろうかという不安もある。カンダタは罪人が下から昇ってくるトラップで脱落したけど、絶対あのあと他のトラップもあったと思う。そんな簡単に極楽に来られたら困るもん。私の場合はなんだろう。きっとナンパ男やスカウトの亡霊に声をかけられ続けるのかもしれない。彼らを無視したら、ガタッと螺旋階段が傾いてまた地獄に落ちるのだ。お釈迦様の慈悲って多分そんなもん。

 地獄には行かないほうが1番だな。地獄の存在もあまり信じてないけど。わたしはこれからも困っている人は助けるし、ナンパ男やスカウトや買春おじさんには穏便な方法で断る方法を見つけたい。なんにも解決してないけど、今日はここらへんで。それでは!

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