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HSPに気づいてから。#3 人との距離と正義感。

私は基本的に人前ではずっと笑って過ごす。相手にネガティブな気持ちや、無関心であると思われたくないから、表情筋はいつもフル活動。人に嫌われたくないから、人に好かれようとして。中高生時代はいつも表情を読んで、空気を読んで、“良い子”に過ごしてきた。中学は、空気を読まないやつはハブられる。良い子でいることは基本内申のため、でもクラスの上位カーストには良い子は好かれない。向こうに近づいてみても、気分がコロコロ変わる集団についていけなかった。わざわざ色んな人に声をかけにいって愛想を振りまいたところで、全員から良い反応が返ってくるわけじゃない。良い子でいることは疲れる。でも良い子を崩すことが怖かったし、先生達と話す方が楽しかった。先生達の信頼を切ってまで、あの子達とつるむことに楽しさは見いだせなかった。


他人の機嫌がすぐにわかってしまうのが辛い。表情、動き、声のトーン、リズム、何かちょっとした変化から気づいてしまう。相手の変化や感情を見抜くことは、すぐ共感することができるが、相手の機嫌によって自分の気持ち押し殺さないといけない。いや、機嫌に気づくことは当たり前で、それに対して何らかの行動を起こさないといけないと感じていた。放っておくことにすら、なぜか責任や罪悪感を感じてしまうのだ。自分は気づいていたのに、見ない振りをしているんじゃないかというような。

ネガティブな言葉自体から勝手にダメージを受けて、他人がサラッと口にできる些細な悪口や冗談、下品な言葉を聞き流すことが出来ず、何か自分の中にいつもチクッと刺さっていた。それがただの友達の愚痴で、自分に対するものでなくても。いつも他人の愚痴を聞きながら「だよね~w」なんて笑っているが、だんだん自分が笑えなくなる感覚がある。その感覚を覚える度、「笑わないと…」と少し焦りのような気持ちがわく。外面を作らないと本心を気づかれて、つまらない人間だと思われるのが怖かったんかな。


自分から誰かに助けを求められない。ほんとは自分が誰かの困っていることに気づけるように、誰かにも向こうから自分のことに気づいてほしかった。誰かに聞くことってかなり勇気がいる。今が相手にとって大丈夫なタイミングかどうかがわからないんだよな。人一倍ネガティブな感情に敏感なせいで、大丈夫か確認するのも怖くてなかなかできない。自分のせいで迷惑をかけるくらいなら、自分でやった方がリスクは減るし自分に対してネガティブな感情が飛んでこないから。何かに手を貸すのはとても簡単、自分から人の手を借りるのは苦手。


ただ、変なところで頭が固いから、失敗してはいけない=正しくいなきゃ、という思いを他人にも押しつけてしまうことが多々ある。失敗から学ぶことはもちろん多いのだけど、それよりもダメージが降りかかるのは何故だろうか。多くの情報を得て、深く考えている自分だからこそ、正しいことは見極められているつもりで、しかも他人にも正しくないことをしてほしくない(不正や悪への罪悪感を感じてしまうかもという先入観)から。

正義は一つじゃない、正義の価値観は人それぞれだからむやみに振りかざしてはいけない。そんなことを忘れずに過ごしたい。

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