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鬱になった経緯

 私は、22歳の時、鬱になりました。現在は完治していますが、当時は本当に辛かったです。夜は眠れず、朝はベッドから出れない。何を食べてもおいしくない。シャワーを浴びるのさえ面倒くさい。そんな日が続きました。自死を考えたこともあります。あの時から4年たちました。ようやく、精神的に振り返る余裕が出てきました。今、鬱に悩まれている方、鬱の方を支えられている方。世の中の1例として、読んでいっていただければ幸いです。

鬱になった経緯

 私が鬱になった原因は大学院への進学です。私は、学部4年生の時、よりステップアップした研究がしたいという思いと、就職のためにネームバリューのある大学院に行きたいという下心から、他大学を受験しました。日本人なら誰でも知っているような有名大学です。

 初めは、自分がレベルの高い環境に身を置いている! という満足感がありました。研究室の潤沢な資金、豊富な設備、論文誌への投稿実績。そのどれをとっても自分がこの研究室の1員であることに喜びを感じていました。

 初めに違和感を感じたのは入学して3か月後くらいでした。朝起きるのが辛く、学校に行きたくないなあ、と思うようになりました。しかし、私は、「自分が決めた道だ。ここが頑張り時なんだ。」と自分に言い聞かせていました。周囲のレベルは高く、それに追いつくため、毎日論文を読みました。私のグループは、修士1年生は私だけであり、雑用は一人でやらなければなりませんでした。毎週のゼミでは、グループの中で私だけ、責められるのが常でした。毎日、夜9時まで研究し、土曜日も研究室に行かなければ、周りに追いつけませんでした。

 所属していた研究室は、毎月の週末金曜日に飲み会をするという文化がありました。6月の月末でした。正直、飲み会はいつも楽しくありませんでした。というのも、私以外の人しか分からない人の話をいつもしていたからです。まあ、私が参加してまだ3か月ですから、当然なのですが。初めはいつかこの会話に参加できるようになるのかなあ、と思っていたのですが、その飲み会から家に帰ると、何故か涙がとまらなくなりました。キッチンに座り込み、声をあげて泣きました。自分でもなんでこんなに泣いているのかわかりませんでした。あれは辛くて泣いていたんだなあ、とわかるのはもう少したってからでした。

 そんな日々を送っていると、ある日、ベッドから起き上がることができませんでした。体は鉛のように重く、胸の中心に強い圧迫感を感じ、涙が流れました。ベッドのなかでスマホから「体調不良で休みます」と連絡したことを覚えています。

 その日から、週に1回、次第に週に2回、3回と休むようになりました。とりあえず、教授に相談すると、「無理しない範囲で続ければいい」といってくださいました。間違いのないように言っておくと、研究室の教授、助教、ポスドクの方々はとてもいい人たちでした。しかし、プライドの高い私は、周りと同じことができない自分を許せず、情けない、情けない、と思い続けて、やはり研究室に行くことができませんでした。

 精神科に通い始めました。お医者様にはうつ病だと診断され、抗うつ剤と睡眠薬を処方されました。睡眠薬のほうはいくらか効きましたが、抗うつ剤のほうはあまり効きませんでした。

 頭では分かっていたのです。周りが優秀なのは初めから分かっていた。自分が劣っているのは当たり前。自分のペースで頑張ればいい。そう思っていても、自分が研究室に行って、フラスコをつかむシーンを想像すると、震えがとまらず、吐き気がこみ上げてきました(専攻は化学でした)。

 3週間ほど休む旨を連絡し、アパートの部屋に引きこもりました。本当に退学するのか? 就職はどうする? 親になんて言うんだ? なんで俺はこんなにできないんだ! 友達もこんな人間見限るかもしれない。 死にたい。 どんな死に方が苦しまずに済むのだろうか。

 風呂にも入らず、ベッドの上から動かず、おなかがすいた時だけ、スーパーに行く。なんで俺は死にたいはずなのに、飯を食うんだろう。そう思っていました。

 3週間後、親に現状を打ち明けました。幸い、理解がある親で、休むように言ってくれました。9月で私は大学院を休学しました。教授や親の勧めで「退学」ではなく「休学」にしましたが、私は、もう戻れないだろうな、と思っていました。私には、再び自分が研究室で研究をしている画が想像できなかったのです。

 そして、23歳の3月をもって大学院を退学しました。

一番つらかったこと

 当時、一番辛かったことは、誰のせいでもなかった、ということです。4年前の時点で、鬱は社会問題化しており、その認識が浸透していました。しかし、パワハラ、セクハラ、人間関係などの理由でなるという例が多く、私は、「周りもいい人で、人間関係も良好で、他に誰も病んでおらず、学生の身でありながら、なんで俺は!!」と思っていました。いうなれば一人で勝手に鬱になったようなものです(笑)。

なぜ自死を思いとどまれたか

 なぜ自殺せずに済んだか。これは完全に両親と友人のおかげです。両親は、私に何も言わず、見守ってくれました。休学して、実家に戻り、何をするでもなく、1日中寝ている私を、です(笑)。退学の旨を伝えた時だけは「そうか。もったいないな」と言われましたが。また、自分が死んだら、悲しむだろうな、という思いはありました。

 友人(高校時代の悪友)は、私の事情を知った後も、何も変わらずにいてくれました。私が何度断っても、飲みや、バーベキューに誘い続けてくれました。それが私にとって「信じてるぞ。待ってるからな」というメッセージに聞こえました(ちょっと臭いですね。笑 こう思えたのはもちろんだいぶ後)。私が精神的に復帰して、飲み会に行った時も、以前と変わらないスタンスで接してくれました。正直、この友人たちは命を懸けてでも守りたいと思える人たちです(笑)。

 また、学部生の時の研究室の教授にも、救われました。私のいた大学では大学院を変える事はままあれど、あまり一般的ではなかったのですが、教授は笑顔で「がんばれよ」と送り出してくださいました。そんな事情があったので、打ち明けるのも勇気が言ったのですが、「元気そうでよかった。なんだったら、私の秘書として働く?」と冗談交じりで言ってくださいました。

 こう振り返ると、私は本当に人に恵まれていたなあ、と実感します。

現在と現在の考え方

 現在、私は鬱症状はでていません。といっても、眠れない夜はあります。どうしようもなく気持ちが沈んでしまったり、お酒を飲んで泣いてしまうこともあります。そんな中でなんとか生きています。今の私のスローガンは「辛くても生きていくしかない」です(人によってはこれがプレッシャーや苦しさになってしまうかもしれませんので、その時は全力スルー)。

 「生きてりゃいいことある」これは嘘です。特に私のような能力が低い人間にとっては(笑)。いいことなんてない。でも生きていくしかないのです。この世に生まれてしまったのだから。そのためには、あらゆることを諦めていいと思っています(代表的なのは、恋愛および結婚)。また、この他にも私が生きていくうえで考えていることはあるのですが、それはまた別に書こうかなと思っています。

 本記事について、おそらく色々な考えがあると思います。百人いれば百通りの症状があり、考えがあります。当然です。正直私も、自分の過去をぶちまけて、少し楽になりたいだけなのかもしれません。もしお気に障ったり、怒りを覚える方がいらっしゃいましたら、大変申し訳ありません。

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