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散り行く命が繋がる『鬼滅の刃』と、死と出会い生を見つける『銀河の死なない子供たちへ』

空前の社会現象となった『鬼滅の刃』ですが、ついに最終23巻が発売され完結しましたね。

最終巻、本当に、本当に、最高でした。この作品を世に生み出していただいたこと。心を燃やして描き切っていただいたこと。その時代に運よく居合わせられたこと。吾峠呼世晴先生には心の底から感謝しかありません。

本作の感想についてはそれこそ一億回は語り尽くされているのでわざわざここで語るまでもありませんが、それでも一つだけ、どうしても書き残したいことがありこのnoteを書いています。

それは私が『鬼滅の刃』を読むときにいつも頭に思い浮かべる作品、『銀河の死なない子供たちへ』について。不死と死の比較から生をあぶりだすという『鬼滅の刃』と共通するテーマを、真逆ともいえるアプローチから描いています。

『銀河の死なない子供たちへ』は上下巻完結の短編で、『バーナード嬢曰く。』や『鬱ごはん』を手掛ける施川ユウキ先生の作品です。

主人公(といっても登場人物は片手で数えられる程度ですが)は不死の子どもマッキとπ(パイ)。人類がはるか昔に滅んだ地球で、ママと三人で暮らしています。

彼らは食事も必要なく、幼い姿から成長もせず、決して死なず、何百年何千年という時を、ただただ暇をつぶすように生きています。年を数えるなんて意味のない日々の中で、ある日墜落してきた宇宙船と、そこで出会う人間の赤ちゃん。

母親が遺した最期の言葉からミラと名付けられた彼女は、二人と違い普通に、当たり前に成長していきます。あっという間にママ代わりのパイの背丈を追い越し、多くを学び、そして…汚染された地球の空気に身体を蝕まれる。

私だけが いずれこの世界から消える
だから あらゆる瞬間が私には愛おしいのだ
『銀河の死なない子供たちへ』下巻より引用

変わらない二人と繰り返す自然の中ただ一人変化していくミラは、日に日に弱っていく身体にいら立ちや恐怖を抱えながらも、最後は人間として生き人間として死ぬことを選びました。

短い年月だったけど
とても幸せな人生でした
『銀河の死なない子供たちへ』下巻より引用

引用元:『銀河の死なない子供たちへ』下巻

一方ミラと出会いその成長と弱っていく姿をずっと傍らで見ていた二人、特にパイにも変化が訪れます。他者の命を守り、寄り添い、涙を流す。ミラを勇気づけるために、悲しい感情を必死でこらえる。

マッチとパイにとって、十数年という歳月は眠っているうちに過ぎてしまうような、瞬きほどの時間です。それでもミラと過ごしたその刹那が、二人に生きることの意味を問いかけ、二人をずっと強くした。パイが終盤に浮かべる笑顔はどれも、強い覚悟の伴った生きる物の表情です。

ミラちゃんはとっても勇気があるね
えらいね
『銀河の死なない子供たちへ』下巻より引用

物語のない世界を何千年と過ごした二人は、一つの美しく力強い命の始まりと終わりを見届けて、生を知りました。そして最後にパイが選んだ道は、不死を捨てミラの想いを繋いでいくこと。

「…パイ 今どんな気持ち?」
「すっごくドキドキする!」
『銀河の死なない子供たちへ』下巻より引用

『鬼滅の刃』でも、人間として生き、人間として死ぬ意味が繰り返し語られます。

基本的に不死である鬼と戦う中で、炭治郎たち人間はあまりに脆く、弱い存在です。主要キャラも、信じられないほどあっさりと死んでしまう。しかしその中で技術とともに受け継がれていく想いこそ、人間の強さでした。

使い古された言い回しですが、生きるという言葉は死ぬという言葉があって初めて意味を成します。人間は生きるから死ぬのではなく、死ぬから生きるという状態がある、とも言える。

老いることも死ぬことも
人間という儚い生き物の美しさだ
『鬼滅の刃』8巻より引用

ひたすら死を恐れ自らの命に執着した鬼舞辻無惨と、自らの死をもってしても誰かの未来を繋ごうとした炭治郎や煉獄杏寿郎。

意味のない永遠の日々から、大切な人の死で生を見つけたパイ。

形は違えど、どちらも不死ゆえの自己完結の世界と、他者と関わり生と死が巡ることで想いが繋がっていく様子を、残酷に、そして優しく描いています。

そしてもう一つ。『銀河の死なない子供たちへ』に登場するマッチとパイのママは、鬼舞辻無惨の「あったかもしれない」未来だとも思うのです。

彼女は人類が歴史を刻み争いを繰り返すなかで、一人ずっと、それを外から観察してきました。

そして人類が地球を捨てるとき、死ぬ運命だった二人に血を与え、自らの子供にした。それはおそらく同情と、それ以上に地球に一人取り残される恐怖から逃れるため。

一万年を超える時を過ごし、変化していく周りから取り残され世界の部外者となったママ。その表情はいつも寂しげで、死ねない自分に絶望しているようでした。

鬼舞辻無惨がさらに千年、一万年を過ごした時、果たして今と同じように生に意味を見出し執着できるか。その意味では、あそこで物語の一部として死ぬことのできた彼は幸せだったのかもしれません。

現実の私たちは、どうやっても死から逃れることはできません。不死と死のどちらが幸福かなんて、いくら考えたところで選択はできない。

だからこそ、人間が生きて死んでいくことの尊さ、美しさ。言葉にしたら恥ずかしくなってしまうようなテーマに真正面から向き合える作品は、私たちの心を打つのだと思います。

『鬼滅の刃』も『銀河の死なない子供たち』も、安っぽい言葉で表現するならば、深い愛を持って語られる人間賛歌です。

人間が生まれて、生きて、死んでいくというのは、それだけで奇跡であり幸福なこと。これ以上ないほどシンプルで力強いメッセージが、『鬼滅の刃』という作品によって多くの人に届いたこと。

マンガの持つ力と限りない可能性、そして穏やかなやさしさに包まれた幸せな幕引きでした。


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