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国立大学民営化の頃 その3

 国立大学が民営化された頃について、私の経験も交えて述べています。

 前回は

 今回は、個人として、民営化の時にどういう状況であったかについて述べます。

民営化前の個人的な状況

 民営化される前の頃、私自身はラインである総務や経理といった職場から、情報や広報といったスタッフ業務を行なう部門に異動して、ラインでの動きとは距離のある場所に身を置いています。まだ草創期でもあった、大学のサイトの管理などにも関与する仕事でした。

 ICTに関する知識を持った職員が少なかった中で、事務作業のICT化の先端的な試みを、マイクロソフトのアクセスなどのソフトウェアを利用して自発的に行っていた事が、上司の目に留まった事による異動でした。

 この業務への異動がなければ、大学職員としての寿命を永らえることはできなかったでしょう。実際、異動の前には、ライン業務の忙しさのあまりに、転職も考えていた事実があります。当時は、私を含めて、かなりテンパっていた精神状態の職員が多かったと思います。

民営化される現場での感覚

 民営化の議論が始まると、疲弊している現場に、更に追い打ちをかける構造改革の動きに対して、半ばあきらめに近い感覚になっていました。自分の身に降りかかる事態なのに、何か別の世界で起きている事の様に感じていたのが事実です。

 議論に関する情報も、職員組合を通じた共産党のチラシや、当時民主党の所属だった桜井充参議院議員の、国会での質問等の報道などの断片的な情報だけが、何が起きているかを知る手がかりでした。一般の職員のレベルでは、何が起きているのかは本当に分かりにくい、情報の限られた行政改革でした。

 桜井議員については、この問題について国会で度々質問に立つなど、郵政民営化に比べて、一般の人々に認識されにくい、国立大学の問題を取り扱ってくれた国会議員として、個人的には有難く感じていました。ただ、最近の情報で、野党ではちゃんとした仕事が出来ないとして、自民党会派に所属替えしたとの話を聞いています。国会議員として仕事をする為には、仕方のない事なのかもしれませんが、少し残念な気持ちになったものです。

公務員から非公務員(民間人)?へ

 民営化が決まり、公務員から非公務員(民間人)になる事について、就業規則の制定などの労働規約の説明はあった記憶があります。これは雇用関係の問題から、最低限必要な事だったからだと思います。

 一方で、組織自体が民営化する事に対しては、大々的な説明はなかった様な気がします。大々的に国立大学法人化おめでとう会(笑)などもなかったですし。辞令が交付され、文部事務官を解かれ、単なる国立大学職員になっていた事でやっと実感できる位のレベルでの変化でした。

 スタッフ職だったので、その程度の理解だったと思いますが、ライン職にいた人達は、就業規則の制定などに代表される、事前に大変な作業があったであろう事は想像できます。スタッフ業務への異動は、ライン業務で民営化の作業に忙殺させられる事から、タイミング良く逃れられたという結果につながりました。

 スタッフ業務への異動で、民営化の当事者でありながら傍観者でもいたという立場に置かれた事実は、今になって振り返ると、意外なきっかけが、人生を変えるという事を実感させられる良いケースだったと思います。

国立大学職員として

 過渡期の国立大学職員という職場の中で、特殊であったスタッフ業務の経験が出来た事で、当時の一般的な国立大学職員のライン業務とは違った、特殊な職務経験を積む事が出来ました。また、民営化でゴタゴタした時にも、スタッフ業務にいたおかげで、それほど変革にコミットせずに済み、民営化を傍観的に受け入れる事が出来ました。

 国立大学職員を仕事に選んだ事で、辛い事も沢山もありましたが、今となっては、様々な貴重な経験が出来た仕事だったと思っています。研究教育の第一線に、僅かですがコミットする事が出来た、スタッフ業務に就いた経験は、今日のnoteの執筆に色々な面で役立っています。人生の巡り合わせに感謝しています。

次回は




 



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