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3-2 高等専門学校の設立

前回は

 前回は、「専科大学」の法案が廃案となり、当面の対策として国立工業短期大学が置かれた事まで述べました。この国立工業短期大学の中には、完全な新設ではない、戦前にルーツを持つ短期大学がありました。今回はこの短期大学の存在からその後の「高等専門学校」の設立まで述べていきます。

国立久留米工業短期大学

 福岡県にあった旧制久留米工業専門学校は、戦後新制大学に改組される時に、単独で工業大学にならずに九州大学に吸収合併され、分校として存続することになりました。

 その後、久留米の分校を福岡市の本部に統合しようとした時に、地元やOBが反対した為に、妥協案として出てきたのが、当時設立が検討されていた国立工業短期大学を、分校の跡地に誘致することでした。そして、誘致に成功したことから九州大学の分校は本部に統合され、分校の設備や敷地は昭和33年に国立工業短期大学へと衣替えすることになりました。

 国立久留米工業短期大学は、全国で最初の独立した国立工業短期大学であると共に、戦前の工業専門学校の設備や伝統を生かした、あるミッションを受けた短期大学として設置されました。

 それは、短期大学の中に工業高校を附設して、工業高校と短期大学の連携を図るという、戦前の工業専門学校を彷彿させる形態で設置された事です。

 この形態が取られたのは、「専科大学」の廃案を受けて、当時の文部省がその反省の下に新たに作成を進めていた、「高等専門学校」の法案を作成する上での実験校として設置されたものだったからなのです。

高等専門学校の成立

 「専科大学」を廃案にしてしまった当時の文部省は、急務であった国立工業短期大学の設置を早急に進めるのと並行して、特に深刻な工業技術者の不足にフォーカスした「専科大学」に似た形態の学校種別として「高等専門学校」を設立する法案の作製を進めていました。

 今回は、大学ではないが大学以下でもない別個の完成した教育機関で、中学校卒業生を受け入れる5年制の課程として考えられ、なおかつ養成が急務である工業系を基本とすることなどを盛り込み、特別な存在である事をアピールして、決して複線型の復活でないという事を強調して、その必要性を訴えました。反対の意見も一部にはありましたが、世論の反発も以前の「専科大学」ほどには盛り上がらず、辛うじて法案を成立させる事ができました。

 「高等専門学校」の法案の成立を受けて、先行して設置されていた国立工業短期大学で、実験校であった国立久留米工業短期大学の経験が生かされ、昭和37年に全国に一斉に12校の高等専門学校が設立されました。国立久留米工業短期大学も、併設されていた工業高校と共に改組されて、国立久留米工業高等専門学校として、12校の一つに加わります。他の国立工業短大も、長岡と宇部については同じく工業高等専門学校に移行しました。

 一方、北見と宇都宮は地元での大学昇格への要望もあって、共に大学に昇格(北見工業大学と宇都宮大学工学部)し、同じ経緯で設置されながら、異なった経緯を辿る事になります。

 高度成長期に入ると益々工業技術者の需要は高まり、全国に工業高等専門学校が続々と設立されました。また、既にあった国立商船高校・電波高校も商船高等専門学校・電波高等専門学校に昇格し、最盛期は、国公私立合わせて60校以上の学校が存在し、工業技術者養成機関として、多数の学生が巣立っていきました。

 「専科大学」は廃案となりましたが、その基本理念は「高等専門学校」として引き継がれ、日本の高度成長に合わせるかのように発展期を迎えることになります。

次回は


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