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国立大学民営化の頃 その2

 国立大学が民営化された頃について、私の経験も交えて述べています。

前回は


国の機関の民営化議論

 国の機関の民営化としては、国鉄や電電公社が先例としてよく挙げられるかと思います。それぞれJRとNTTに民営化され、その躍進ぶりは皆さんもご存じのとおりです。ここまでは、公共企業体という、特殊な公務員をターゲットとしたものでした。

 純粋な国の機関を民営化する議論で先行していたのは、莫大な資金を、第二の財政として公共投資に提供してきた郵政省を、民営化しようとする、小泉内閣での構造改革でした。

 ただ、郵政には、バックに郵便局長会や郵政族と云われる議員団がいて、頑なに抵抗します。当時、公務員の25パーセント削減を目標としていた政府の前提には、郵政省の定員の民営化がありました。抵抗の激しさのあまり、政府は方針転換を迫られます。

国立大学の民営化

 小泉改革は、先に挙げた目標を遂行する為に、その他の省庁で、外局として大きなボリュームを持っていた国立大学を、数合わせの為に民営化する方策を、郵政の代替案として俎上に挙げました。

 国立大学については、民営化に抵抗するバックとして支援する組織が、一部の教職員組合とそれに関連する共産党などの政党以外は、ほぼありませんでした。それ以上に、大学執行部や一部の教員には、現状の窮屈な状態を打開する為に、民営化を歓迎する勢力すらあるのが実情でした。

 当時の遠山文部科学大臣から出された、遠山プランと呼ばれる、産学連携の推進や国立大学を独立行政法人化する案などを骨子としたプランは、大学関係者全体にショックを与えます。大学全体を、市場の論理に晒す可能性を持つ方針だったからです。

 独立行政法人の非公務員型である、民間型にする事が最大の命題であったこのプランの発表から、国立大学の変動が始まります。

 文科省は、国立大学法人という、特別な独立行政法人という新形態を生み出し、当時の政府の方針に忠実に従い、実質の民営化が粛々と進めらて行きます。

民営化前の現場

 公務員の定数削減で、現場の職員がどんどん疲弊していくのに、流石にまずいと感じた大学の執行部は、人件費以外に使われていた予算を流用して、非常勤職員の採用を拡大させます。これによって、最悪であった現場の状況は、小康状態に向かいます。

 しかし、正規雇用と非正規雇用の格差を新たに生じさせるという副作用もありました。小泉改革の影響で、全ての業種・業態で起こった非正規就業者の増加という、今となっては大きな社会問題となっている問題が、国立大学でもこの頃から顕著になります。

 限られた予算の中での人件費の増加であったので、それを補う方策に、どの国立大学も苦労する事になります。物品の購入が厳しくなるなど、削れるところは削るという節約が徹底される様になります。当然研究室からは、不満の声が大きくなります。

 同じ大学内の研究室によっても、外部資金を多く持って来る研究室と、外部資金に頼れない基礎研究の研究室とで、大学の提供する基本的なサービスが縮小する事で、格差が広がります。

 小規模の研究室ほど、現状を粛々と受け入れていたのに対して、大規模な研究室ほど、国立大学である制約を窮屈に感じる度合いが高かった様で、サービスの低下や行政手続きの煩雑さに、度々教員に不満を述べられる機会がありました。他の研究室との公正性を保つ為に、特別扱いできない事を伝えると、何故か激怒される事もしばしばありました。ギスギスした関係が研究室同士や研究室と事務との間で広がって行ったのも、民営化前の国立大学の状況の一端です。

国立大学法人へ

 文科省の外局扱いのままでは、現場の実情からも、やがて全体が縮小していくのではないかという危機感が、大学執行部にもありました。そんな下地もあって、大学執行部は文科省の提示した法人化をすんなり受け入れます。

 平成15年の国立大学法人法の制定により、国立大学は国立大学法人という法人格を持つ事になり、その代替として、教職員は非公務員という民間型の区分に分けられ、政府の予定した公務員削減が実質的に遂行されます。一般にはあまり知られないままに、ひっそりと百年以上に渡る、官立学校として維持された国立大学の歴史は終焉を迎えました。

次回は



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