違う土俵にいることを忘れるな。
姉とは仲が良い方だ。
歳が一つしか離れていない分、姉なんだか、妹なんだか、お互いにどちらもの役割を持ち合わせている“姉妹”である。それでもやっぱり長女である姉はいざとなれば「長女です!!!!!!」を最大限に主張する場面もあったりなかったり。そんなとき私は図々しく、たまにひっそりと「次女です!!!」をアピールする。
小学生のときからそうやって上手くやってきた。きょうだいがいても、そのきょうだいの中で役割や持ち場がくるくると変わったりする。私は三人きょうだいだったからこそ体験できた苦労や面白さからいろんなことを学んだでしょうね。
そう、私には弟がいる。弟についてはまた今度書きたい。なかなか面白い弟がいる。
たまたま姉と仲が良い私は、たまたま同じ時期に子どもを産んだときがある。姉にとっては二人目の子ども。私は一人目の子どもが同い年。そして同じ誕生月である。全てがたまたまだった。
年齢が近いもの同士の子育て。
子どもの年齢も同じだったり、近かったり。それはやっぱり盛り上がる。
子どもの悩み、笑い話、ママ友同士の励まし合い、驚き。
そして何より、夫に対する考え、怒り、悲しみ。愚痴、愚痴、愚痴。
私がそういう性格だからか、と思っていたけど、女性はきっとお喋りすることで気が回る生きものだと感じる。自分の気持ちや考えを話す。放す。放つ!!!
そうやって自分の中に溜まっていたものをお互いに発表し合い、盛り上がる。
気づいたら割と元気になっている。そういう生きものだ。それでいいのだ。
メールやLINEで打ち込む文字よりも、やっぱり声で話したいものだ。
先日、約一ヶ月ぶりに我が家に遊びにきた姉と子育ての話や夫の愚痴を話し合った。いつだっていくらでも話すことができるけど、子どもたちも一緒に過ごしていると笑っちゃうほどにゆっくり話すことができない。それはお互いによく分かっているから隙間隙間でちょい話をしながらウロウロバタバタ子どもたちのことも気にかけて過ごす。
我が家の狭いベランダでぎゅうぎゅうになりながら子ども4人で(姉には子どもが3人いる肝っ玉母ちゃん)ベランダプールで水遊びをし、お家カラオケをし、お風呂に入り、夕飯を食べさせ、ようやくテレビタイム。
ようやくテレビタイムで姉とマシンガントーク。
随分前に気づいていたけど、気づいていたけどこの前やっと腑に落ちたこと。
夫に対しての子育て関連の愚痴。底知れぬ怒りや悲しみや寂しさが湧き上がるときもあれば、そんな感情を動かすことすら無駄に思い、兎に角無気力になる私。「期待」という身勝手な希望は3億年前に南極の流氷へポイっと投げ入れてきた私。そのまま夫も流氷へポイっとしたくなる時もある。私のことだけ考えるとね。怒りという怒りがおさまらないときは活火山の中にでもぶち込みたくなる時もある。
妊娠中、出産後、新生児期、幼児期、忘れない。あの言葉は忘れない。ずっと忘れない。な〜んて、ホラー映画のようなおぞましいテロップが脳内で繰り返し流れている私。
そう、姉と夫の愚痴を話すことで「それでもやっていかねばならぬ!!!!!」と謎な宣言をお互いに言い聞かせる。誰かに聞いてもらうと楽になる。大体イライラしていても笑えてくる。そうやって怒りや苦しみを「笑い」にできる瞬間が一瞬でもあったらいい。「そんなこともあったね」なんて振り返るにはまだまだ時は浅いが、それでも「あー、笑った笑った!」と姉と目を見開きながら話し合い、笑いあう。それだけで救われる。自分の気持ちを声にして、それを聞いてくれる存在がいてくれるのは本当にラッキーだと思う。
先日の姉との話し合いの結果、「私たちは夫とは違う土俵にいることを忘れるな。」というパワーワード。お守りを二人で分かち合った。
ここでも話が止まらなくなる。
そろそろ我が子のお迎えの時間とスイミングの準備をしなければ。
我が子を迎えに行くお母さんスイッチを入れるために一度離脱。
続きはまた今度書きたい。
違う土俵にいる。
これは、ポジティヴに自分の中に秘めた最高な力を守る考え方だと私は思った。
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