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イギリス、徒然と。ー3. ノッティンガムー

ロンドン市内から北にバスで3時間半、電車だと2時間半は掛かる内陸にある地方都市。といっても日本の地方都市よりずっと小さく、市内にあるそこそこ大きなものはふたつの大学、ふたつショッピングセンターと城くらい。分厚い『地球の歩き方』がノッティンガムには3ページしか割いていないことからもわかる。日本人の知り合いに、「ノッティンガム?知ってる!知ってる!」と言われることは何度もあるが、イギリスに行ったことがある人も、イギリスに行ったことがない人も、本当は知らないノッティンガム。有名な映画『ノッティングヒルの恋人』とイギリス第2の都市である『バーミンガム』を知っているから、そのふたつが混ざったような名前であるノッティンガムは初めて聞いた気がしないだけだ。

公に有名なのはロビンフッドとポール・スミスだけ。ポール・スミスの1号店もある。何回か店内に入ってみたが、’Paul Smith’と印字された歯ブラシがいつも欠かすことなく商品として並んでいた。密かに有名なのは、イギリス最古のパブに世界一小さな映画館。個人的には、ノッティンガムが誇るのは世界最大級の移動遊園地であるグースフェアだと思っている。ただしこれは、1年のうち1週間しか姿を現さない。街の中心に程近い大きな、芝生の開けた公園に200を超える乗り物が突然現れ遊園地となって皆がそこに集まる。夜ともなれば普段は暗闇でしかない公園が、絶叫マシーンに乗る人々の叫び声や音楽の中で、観覧車などのアトラクションの電飾がギラギラと輝くのは圧巻だ。

大学がふたつあるイギリスの小さな地方都市と聞くと、居心地の良い街に聞こえるかもしれない。だが実際、ノッティンガムはとても治安が悪かった。日本に比べてではなく、イギリスの中でも特に悪い。イギリスの警察官は銃を携帯しておらず、またそれを誇りともしているのだが、ノッティンガム市内のふたつの地域でパトロールに当たる警察官だけは武装していた。ある時、『イギリスの銃犯罪』という1時間の番組を観たら、30分がロンドン、30分がノッティンガムについてだった。ノッティンガムではなく、〝ショッティンガム〟なんていう皮肉な別名まである。先の、1年のうちに1週間しか姿を現さないグースフェアから帰る女の子が通りすがりの車の中から撃たれて死亡したこともあり、大きなニュースになった。路上の新聞スタンドはその日の見出しを大きく掲げるが、そこには”A 14-year-old girl shot dead”とあった。グースフェアはノッティンガムで1番というか、イギリスで1番好きなものだったので、私も毎年、昼夜問わず行っていた。なので怖いなという思いと、「14歳の」という形容詞の場合は、本当に「old」には「複数のs」が付かないんだな、と、語学学校の先生が言っていたことを思い出しながらその見出しを見た。大きなニュースとなった理由が、犠牲者があまりにも若かったからか、はたまたノッティンガムの名物であるグースフェアが絡んでいたからかはわからないけれど、普段は人が撃たれても大々的なニュースにはならず、テレビでも取り上げられなかった。地元のラジオ番組と、「うちの近所でさ」と言う友人の耳からの情報だけ。それを聞いて私は、人が撃たれた場所を、ノッティンガムに初めて来た直後に買った地図に書き入れていった。この地図を買った時は、新しく住むことになった地で地図を買うなんて、『魔女の宅急便』のキキと同じゃないかと気分が高揚したが、人が撃ち殺された場所を書き込んでいくことになるなんて思ってもみなかった。

なんでこんな街を選んだのか。本当はイギリス留学する気はなかったから、治安なんて調べたこともなかった。大学の先生と面接した時に同席した日本人の仲介人は、「良いところですよ」を繰り返した。彼はノッティンガムから遠く離れた、イギリスの中でも裕福な地域に住んでいたので、「いいところですよ」は自身の住む街を言っていたのかもしれないが、彼に騙されたと愚痴る日本人は何人もいた。同じ大学に通う日本人は何人もいたし、同じ学部にも、同じ学科にも数人いた。でも、まだ少ない方だと思う。ロンドンだったら日本人だらけで、日本語でガイダンスが行われる学校もあるくらいだ。最初にイギリス留学に憧れたきっかけが、愛読漫画の主人公のロンドン留学だったのに、ロンドンを選ばなかった理由はこれだった。ロンドンに行ったら、日本人の友達を作って日本語を話して終わってしまい、留学の意味が目減りしてしまう。漫画に描かれたロンドンの街並みや暮らしに憧れつつも、できるだけ日本人のいなさそうなロンドン以外の、そんなに大きくない街の方がいいなと、その時はほんの一時の留学への憧れではあったがこのことだけは強く思ったし、ずっと頭に残っていた。

語学学校の先生が暴漢に襲われて1週間クラスを休んだ。週末の朝はよく、銃声が聞こえてきた。信号待ちをしていた時に、通り掛かった車に頭からジュースをかけられた。焦げ臭いなと思いながら家へ向かっていると、家のすぐ近くに停められたクルマが真っ黒焦げになっていた。ビジネスマンが持っていたノートパソコンを、少年が奪って走っていった。クラスメイトは斜めがけしていた鞄を無理矢理ひっぱられ、その時にバランスを崩して脚を骨折。ギブスのまま卒業式に出席した。家に泥棒が入った友人もいた。家に帰ると玄関のドアが、床の上にバタンと水平に突っ伏していたらしい。「ドアって常に地面に対して垂直の状態にあるものじゃん?なのに、水平なんだよ、水平」とその友人は繰り返した。私は幸い、空き巣やひったくりに遭うことはなかった。強いて言うならば、ホームステイ先の小学生に、財布の中から6ポンド(当時で約1,200円)を盗まれたことくらいか。

悪い面も多いが、ノッティンガムでちょうど良かったと思っている。ロンドンへぎりぎり日帰り旅行ができる距離。何もないと言ったら何もないけれど、街の中心部に行けば、ふたつのショッピングセンターと、そのショッピングセンター同士の間にある店でだいたいのものは揃い、車が無くても生活に困ることは無い。郊外には小さな国際空港もある。大学は、スコットランドにある美術大学の方が内容的に良かった、と編入が頭をよぎったこともあったけれど、私にはノッティンガムの緯度が限界だったからその考えはすぐに消えた。ノッティンガムですら夕方4時前には真っ暗になった。あまりにも早い時間から暗い中で生活するのは辛かったし、もっと北に行ってもっと早くから夜が始まる暮らしは考えられなかった。

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