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カンチガイから台湾旅行 ー0日目ー

ー準備編から続くー

移動だらけの旅程をこなせるか不安を抱えつつ、小さなスーツケースを携えて3泊5日の台湾旅行に出発した。スーツケースはいろいろな国に行きたいしどんな場所に行っても便利な様にと選んだリュックにもなるスイッチパックと呼ばれる布製のもので、コロナ前に買った。購入以来ずっと自宅の押し入れにて、オフシーズンの衣類を入れる行李としての陰での活躍しかなかったがスーツケースとして使える時がやっと来た。

昼食を済ませると曇り空の下、早めに家を出て電車でセントレアに向かった。私の乗る飛行機は第2ターミナルからの出発なのだが、先ずは第1ターミナルの中を奥まで進み展望デッキへ行く。せっかく空港に行くのだからいろんな航空会社の飛行機を眺めたいと思っていたのだが、外に出るとあいにく雨が降り始めていた。初めてお披露目となったスーツケースの表面に、容赦無く雨跡が増えていく。布製なので雨が中にまで滲みてしまうのではと思い、駐機場をパッと見渡しただけでデッキを後にした。

空港に着く頃にはもう、久し振りの海外旅行で気分が高揚しているだろうなと思っていたけれど実際はそうではなかった。以前は空港の館内アナウンスを聞いただけでもテンションが上がっていたのだが時刻が16時頃と離発着の少ない時間帯で、いかにも空港というひっきりなしの館内アナウンスが無く静かということもあるとは思うのだが、旅行があまりにもご無沙汰であるがために感覚が鈍って高揚感を感じられなくなってしまったのではないかと心配になった。

第1ターミナルを後にし、終わりが見えないため不安になるくらい続く動く歩道を乗り継いで第2ターミナル方面に向かった。第2ターミナルの手前にある建物には気に入ってる場所があるので立ち寄る。そこはFLIGHT OF DREAMSという施設でシアトルをイメージしており、薄暗い中にスターバックスやアメリカっぽいレストランがあって失礼ながらこの地方にしては雰囲気のある場所なのだ。中でも目玉は、同じ空間に展示されている実物の飛行機。これはボーイング787の初号機で、ガラスなど何も遮るものの無い場所で飛行機を眼前に据えながら食事を楽しめるのだ。中でもスターバックスの一部の席は飛行機のコックピットの真正面に位置するので世界一眺めの良いスタバなのではないかと思っていて、今まで何度かここに来たが必ずこの特等席に座る。スターバックスは他の一般的なカフェよりも高く財布に優しくないことこの上ないので普段はあまり利用しないが、こちらの店舗は絶景の席料込みだと考えている。且つ、先日引っ越しの手伝いをしたお礼にと義理の姉だか妹だかわからない人に貰ったスタバのプリペイドカードを持っているので今日は大盤振る舞いし、ただでさえ高いドリンク代に更に55円上乗せしてディカフェのホワイトモカを注文した。カフェイン虚弱体質なので、午後にお茶を飲むと眠れなくなってしまうのだ。義理の姉だか妹だかわからないというのは、同じ歳であるためにはっきりとせず、こういう場合は厳密に誕生日の早い方が姉になるのかを確かめずに宙ぶらりんにしてあるからである。

席料込みの甘い甘いホワイトモカを、一体どれだけの砂糖が入っているのだろうとちびちびと飲みながら目の前の飛行機を見つめる。なぜここにボーイング787の初号機があるのかというと、787の部品のうち35%が中部地域で製造されておりここセントレアからアメリカに輸送されていているのだが、製造と輸送に協力してきたということで寄贈されたのだ。それと同時にセントレアはこの輸送に使われる飛行機を運ぶ巨大飛行機「DREAM LIGHTER」が日本で唯一離発着する空港であるのも大きな特長だ。就航している航空会社が少なく大人しめの空港で、よく取り上げられるのはターミナル内に銭湯があることくらいで、セントレアは「銭湯のあるレアな空港」を略したのではないかと言われるくらいだが、個人的にはDREAM LIGHTERが就航しているというのがセントレアの1番の特長であると思っている。このDREAM LIGHTERは巨大であるばかりか、ツチノコのような形が1度見たら忘れられない非常にユニークな形をした飛行機なのだが、その大きさ故にエンジン音も「ユニーク」らしい。隠居生活を送っている父親が、毎週末この空港近くで趣味の遊びに打ち込んでいるのだが、DREAM LIGHTERが近づいて来るとその音たるやと言っていた。私はセントレアでしか見られないこのツチノコ型の飛行機を運ぶ飛行機の離着陸を見たくずっと飛行機追跡アプリで追っているのだが、空港に行ける時間と離着陸時間が重ならず未だお目に掛かれていない。

望ましくないであろう量の糖分を摂取すると、スターバックスの奥へと進むとすぐにある第2ターミナルに向かった。第2ターミナルには初めて行ったのだが、まるで大きなプレハブで第1ターミナルとは全く違う、良く言えばとてつもなくシンプルな造りだった。そういえば簡素で機能性を追求した造り、という謳い文句をどこかで見たことを思い出した。そして第1ターミナルとの違いは建物だけでなくチェックインカウンターも、荷物検査所も、搭乗客は日本以外のアジア人、主に中国系の外国人ばかりであることも大きな違いだった。時間帯の関係もあったのか日本人が殆ど居らず、私も外国人だと間違えられた。

保安検査場で、両手を上げてその場でぐるぐる回れとジェスチャーを交えて指示されたのだが、「ロール!ロール!」と日本人の係員に言われたのだ。ロールと言われた瞬間は係員のジェスチャーとは結び付かず、真っ先に頭に浮かんだのは巻き寿司を巻く動作だった。この場合はせめて「ターン」と言うべきではないかと考えながらロールしていたら、私のロールが速過ぎたみたいで今度は「スロー!スロー!」と言われ調教されてる犬になった様な複雑な気分になった。純潔日本人の飼い主なのに、犬にはシットとかダウンとかなぜか英語で躾けるあれだ。両手を上げてロールしながら日本人なんですけどと言おうかとも思ったが、外国人だと思われたのは他に日本人客が全然居ないことはもちろん、今日私はよりによって「いかにも中国人が着ていそうなTシャツ」を着ていたので仕方がないかと思った。いろんな太さと色のボーダーのTシャツで、全体的に青系にまとまっているのだがこの色や柄の雰囲気が中国っぽいのだ。家を出る前に鏡を見ながら、このTシャツすごく中国人っぽいよなと気にはなっていた。職場の中国人アルバイトのイーさんも着ていそうなのだ。台湾に行ったら現地の人に間違われるかもしれないと薄々思っていたのだが、日本でそれも日本人から間違えられるとは。

ロールさせられた保安検査場を出ると、貧乏旅行者は免税店エリアを素通りしゲートまでひたすら歩いた。本当にこっちで合っているのかと思うくらい歩き続けると、その日開いている中では一番端のゲートだった。その先の通路はシャッターで封鎖されている。

まだ4人くらいしかいなかったゲート付近で、窓際の席に座った。窓の外はいつのまにかに土砂降りになっていた。こんなに強い雨の中でも離陸するなんてすごいよなと、窓ガラスには叩きつけられた雨が流れていてよく見えないのにスマホでパシャパシャと写真を撮ったり、だんだんとゲート付近に増えてくる搭乗客の顔ぶれを見てはあまりにも日本人が居ないと思いながら時間を過ごした。搭乗時刻間際になって人がごった返してきても周りから聞こえて来るのは中国語ばかりで、日本人と確認できたのは友達同士で行く初めての海外旅行で実は内心ドキドキっす、だけど今はそれを隠そうと必死っすという感じの仲良し男子大学生と思しき4人組と、台湾にハマり向こうでビジネスの準備を始めています、というくらいの台湾慣れした雰囲気を醸し出しているお姉さんの5人だけだった。

機内に乗り込むと、隣も周囲も台湾系の人でほぼ満席。これは賑やかなフライトになるぞと身構えていたのだが、ものすごく静かな3時間半の旅となった。これはごく私的な見解なのだが台湾人は中国人の様に語気が強く無いし、そもそも声が大きく無かった。満席の機内に反しあまりにも静かだった。なのでこれは寝られそうだと思いながらうつらうつらしていたのだが、隣の女性がバックから何かを取り出し、ハーフパンツから出ている脚全体に塗り始めたところでうつらうつらから一気に目が覚めてしまった。強烈なハッカ臭が目と鼻を刺してきたのだ。こんな匂いがキツいものを密室で塗らないでほしいと目をしばしばさせなが思うも、その女性はこれでもかと塗りたくり続けている。特に膝周りを何度も念入りに塗り重ねていた。飛行機内の空気は約3分で全て入れ替わるということはコロナ関連のニュースで知ったが、いくら空気が入れ替わってもこの隣人の脚からハッカ臭が放たれ続けるのでは臭いが薄らぐことは期待できなかった。寝るのは諦めた。

18時35分発の飛行機だったので離陸直後こそ綺麗な夕焼けを見られたのだが、陽が落ちてからはずっと真っ暗で黒い窓に少し不貞腐れた自分の顔が映るのが見えるだけだった。ふくらはぎも浮腫んでぱんぱんになり、寝ない3時間半は結構長いということを実感しだした頃、機体が高度を降ろし始めた。もうすぐ?もうすぐ着くってこと?と子供のようにソワソワし出す。少しの降下を数回繰り返した後、機体が大きく旋回し真っ暗な中に灯りがぽつりぽつりと見えた。あそこは街なのかなと想像していると今度は機体が一気に下降し、途端にオレンジ色に光る何千何万もの灯りが小さな窓からの視界いっぱいに広がった。

圧巻というのはこういうことなのだろう。暗闇に広がる無数のオレンジ色のその景色の美しさに、久しく感じてこなかった高揚感が一気に高まる感覚が全身にあった。オレンジ色の正体は照明に照らされた夜の漁港だった。漁港を横に見つつ飛行機は滑走路に入り、高雄国際空港に予定の20時55分と殆ど変わらない時間に着陸した。

本当なら漁港の美しい夜景を見た余韻に浸りたいところなのだが、人間とは現金なものである。高雄空港では真っ先に、絶対にしなくてはいけないことがあった。それも本当に現金で、2万円の当たる抽選だ。空港内のどこにあるのか明確には知らないこの抽選スポットを見逃してはなるまいと、気を引き締めて税関の出口へ向かった。抽選というのは、つい1ヶ月ほど前に決まった台湾観光局による「遊台湾金福気」という、読み方は解らなくとも楽しく且つお金の香りがすることだけは理解できるこのキャンペーンは訪台旅行者の増加を目的としたもので、当たれば約2万円がチャージされた交通ICカードかホテルバウチャーがもらえるのだ。

「ニクハモッテナイカ。」とだけ聞かれた税関を出るとそこは閑散とした到着ロビーで、その向こうの通信会社などのブースが並ぶカウンターの一番端に「遊台湾金福気」と書かれた場所があった。いよいよこの時が来たと思いながら、誰もいないそのブースに向かった。スタッフらしき人も見当たらず、カウンターに並んだタブレットに事前に申請した時に送られて来たQRコードをかざして抽選に挑んだ。抽選はランタンが次から次へと空に放たれる映像が出てきて、そのうち1つを10秒以内にタップするというもの。このことは事前に調べて知っていたので、その場で迷ってしまわないために3つめのランタンにしようと予め決めていた。だが実際にやってみると、3つ目のランタンをタップしようとしたその時に、後から登場したランタンが3つ目のランタンを追い越してしまい、この場合どっちが3つ目になるんだろうと悩んでしまった。悩みつつも、こんなこと考えてたら10秒過ぎてしまうと焦り結局テキトーなものを慌ててタップした。画面には大きく「Sorry!」と表示された。TWDの罠に嵌った航空券の予算オーバー分を、この抽選に当たって埋め合わせてやると意気込んでいただけにショックは大きかった。何番目のランタンをタップすればよかったのか、はたまたそういう問題ではないのか。この抽選が一体どういうアルゴリズムになっていたのか知りたくてしょうがないが、日頃の行いが悪いとこういうところに出るのかもしれないとも思っている。

あっけなく用が済んでしまいその場を去ろうとした時、カウンターの中に黒い頭頂部が見えることに気がついた。なんだ、スタッフの人はちゃんといたのか。俯き過ぎていて、見える部分が少なかった。夜で到着便も少なく暇なのだろう。1ヶ月前に急遽決まったこの抽選キャンペーンが無かったら、この人は今頃どんな仕事をしていたのだろうとふと思った。

普段なら期待していたものに外れたらどっぷりとそのショックだけに浸ってしまうのだが、旅先では次から次へとやらなければいけないことがある。先ずは移動のための交通ICカードを買わなければならない。抽選カウンターのすぐそばにコンビニがあり、台湾版Suicaである悠悠カードというものを購入してチャージもした。Suicaと同じく公共交通機関だけでなく買い物の支払いにも使えるカードだ。しかしこのカードが100元(約450円)もし意外に高かったのでチャージ分と合わせてクレジットカードで支払おうとしたところ、店員さんに「カネダケ。」と理解できない言葉を言われた。椎茸や舞茸の仲間だと思われる「金茸というキノコっぽいもの」が頭に浮かぶだけで、最初は何のことかさっぱり分からなかったのだが、私の差し出したクレジットカードを拒否する仕草をしたので、カネダケ=金だけ=現金のみという意味であることがわかった。

悠悠カードを手にし、隣接する地下鉄の駅に向かう。これから高尾駅に行くのだが空港の外に出ると突如として、限界まで水分を含んだむわっとした空気が全身に絡みつきむせそうになった。気温が高く、温室の中に居るかの様な空気の重さにザ・南国を感じる。日本の夏とは比べ物にならないくらいマスクの中で息をするのが苦しい。

地下鉄に乗り席に座るとほっと一息ペットボトルの水を飲みたくなったのだが、台湾の地下鉄はホームも含め飲食禁止で水を飲んだだけでも罰金が課せられてしまうことを既の所で思い出した。うっかり一口飲んだら、係員に取り押さえられてしまうのだろうか。この旅行で気を付けなければいけないのは地下鉄でのうっかり飲食と小籠包での火傷だと今一度、自分に言い聞かせる。

水を飲む変わりにマスクを少しずらして口中を換気したいと思ったのだが、周りを見るとマスクをしていない人がいない。日本人ばかりがマスクをしているイメージがあったが、台湾人のマスク着用率は日本よりもずっと高かった。こんなに蒸し暑いのによくマスクをしていられるな、息苦しくて倒れたりしないのか、それとももう耐性ができてるのかと考えながら周囲を見渡した。すると今度は車内の注意書きが目に入った。ドアの上部に書かれたもので「小心月台間隙」とあり、その下には英語で「Mind the Platform Gap」とあった。プラットホームとの隙間にご注意下さいということだ。ということは「小心」は注意の様な意味で、「月台」はプラットホーム、そして「間隙」は「隙間」ということになるが、「すきま」ではなく「ますき」なのがツボに入ってしまった。「ますきだって、ますき!」と、こういうことを面白がってはいけないのは解っているし、そもそも日本が漢字を輸入して使っているので「間隙」が元来の言葉なのだろう。だけど面白いものを見つけてしまった興奮が抑えられず、ドアの前に立って写真に収めてみた。ドアガラスに映ったマスクをした自分も入り込んだ写真だが、「間隙」が台湾での記念すべき1枚目の写真となった。

高雄駅には20分ちょっとで着いた。地上に出て、むわっとした空気の中をじとじとと汗をかきながらホテルに向かう。街は日本と似た雰囲気もあるので異国感がものすごくあるかといったらそうではないが、中国語で書かれた看板と道路を走る夥しい数のスクーターを見ると異国に来たと実感する。

もう夜10時になろうとしていた。着くのが遅いのでホテルは駅からの近さと安さで選んでおり、迷うことなくすぐに着いたホテルはこじんまりしていて想像以上に古く、ホテルというよりも宿という雰囲気だった。チェックインを済ませエレベーターで上階へ行き廊下に出ると、そこはトイレ臭に満ちていた。このことはレビューで読んでいたが廊下を奥まで歩いて行くも臭いはずっと一定で、なるほどこういうことかと思った。古めかしい、日本で言うところの昭和っぽい鍵でドアを開けて中に入ると幸い部屋の中にトイレ臭は無かった。トイレとシャワー、ダブルベッドがひとつあるだけのこじんまりとした部屋なのだが、部屋の奥は何のためなのか畳の小上がりみたいなスペースがあった。そこに荷物を広げ折り畳み傘だけを取り出し、すぐに晩ご飯を食べに外に出た。

肉ちまきが食べたくて、事前に調べてあったホテルのすぐ斜め向かいにある店に行った。注文する場所の頭上に「肉粽」という文字が写真付きであったのでこれを指して注文しようと思ったのだが、いざ注文する段になって店員からはその写真が見えないことに気付く。どうしよう、肉ちまきなんて中国語で説明できないと焦る。幸いちまきは中国語で「ツォン」ということは知っていた。でも肉は何と言えばよいのかと思った時にホイコーローを思い出した。「回鍋肉」という漢字を思い浮かべ、肉に当たるのは「ロー」だと気付く。続いて魯肉飯(ルーロー飯)が頭に浮かんで来て、肉は「ロー」で間違いないと確信した。中国語は声調といってアクセントが大切で、アクセントが違うと全く違う意味になってしまう。日本語で言うところの、「女子」と「助詞」みたいな感じだ。だが、肉とちまきを足して「ローツォン」と適当なアクセントで店員のおばちゃんに言ってみたら通じた様だった。続けて人差し指を立てて「一个(イーガ)」(ひとつ)と注文した。

おばちゃんが葉っぱを剥いて三角錐をしたちまきをお皿に盛り付ける。茶色いタレと、日本のちまきでは考えられないがその上にピーナッツの粉とパクチーを添えた。パクチーが好きで、一時期自宅のベランダで大量に栽培していた私にはたまらない。席に着いて食べていると、店員のおばちゃんが「Are you from Korea?」と聞いてきたので「Japan」と答えた。この後も、旅中ずっとそうだったのだが先ず「Korea?」と聞かれるのだ。第一声が「Japan?」だったことはない。韓国人旅行客が多いということなのか、私が韓国人っぽいのか。確かに以前、中国人に「アナタハカンコクジンミタイ。ニホンジンミタイジャナイネ。」と言われたことはある。

ちまき1つだけの夕食を終えると22時20分を過ぎていたが、下調べしておいた近辺の散歩に出掛けた。世界で最も美しい地下鉄の駅2位に選ばれた美麗島駅に行って、その後ゴシック様式の歴史ある教会・ローズ聖母聖殿大聖堂までの散歩だ。この1日目(というか実質数時間しかないので0日目とカウントすることにする)は、これくらいのちょっとした散策しかできない。

ちまきを食べた場所から大通りへと抜ける。初めて歩く台湾の街は所々、韓国の匂いがした。ふと香ってくる道路の匂いや洗剤の香り、コスメショップの前を通り過ぎる時に店内からふわっと香ってくる匂いも韓国のそれと同じだ。それに、こんな時間でも保育園児や小学校低学年くらいの小さな子供の姿を街のそこここで見掛けるのも韓国と同じだった。こんな遅くまで起きていて成長に影響は出ないのかと心配になる。大通り沿いに1駅歩くと美麗島駅に到着した。地下に入ってみると、実際はガラスではないのだろうけれど、一面の天井も柱も色とりどりのステンドグラスを嵌め込んだかの様な空間が広がっていた。地下の駅構内なのに、いろいろな色でとても明るいのが印象的だった。

駅から地上に上がると、今度は夜市を通り抜けた。これまでテレビや雑誌で見て来たのと同じ、路上に出た店とそこで飲み食いする人で賑わっている。夜市は飲食店ばかりだと思っていたのだが中には衣料品の店もあり、飲食店に混ざってマネキンが何体も路上に飾ってあるのは新鮮だった。

夜市を抜けて少し直進すると川があり、川沿いを進むとその教会はあるらしい。地図を見て、なんとなく往復で30分くらいの散歩だと思っていた。だが暫く歩くと雰囲気が変わり、気付くと辺りには人通りが全く無く不安になった。警察署や銀行などの大きな建物ばかりが並び、どうやら官公庁街と金融街が合わさった地域の様だった。人の姿が見えないのも不安だったが、歩き始めてからもう40分が経とうとしているのに教会はもとより、川すら全く見えないという別の不安もあった。道を間違えたかもしれないと思って確認するも、道は間違えていなかった。私が間違えていたのは地図の縮尺だった。いや、正確に言えば縮尺なんて確認していなかったが、だいたいこのくらいの距離感だろうと地図を見て想像していたのと実際の距離感がまるで違うのだ。想像の4倍くらいの距離がある。まだ川にすら辿り着かないのに今から教会に行くなんて無謀かもしれないと思うも、折角ここまで来たんだという思いが勝り歩き続けた。

人気の無い、車道を行く車の音しかしないエリアを抜けるとやっと川に出た。ちょうど橋のあるところでレインボーカラーにライトアップされており、次から次へと鮮やかな色に変わる橋を見ると先程までの無人の街とは違い、この遅い時間に人が居てもいい処ということを示してくれている様でほっとした。ずっと先にも、また別のライトアップされた橋が見えた。橋の派手さに反して静かな川沿いを歩く。観光用と思われる船や飲食店もあったので昼間は賑わっているのだろう。閉店作業をしている飲食店の前を通り、川面を見ながら歩く。すると突然パラパラと雨が降って来た。折り畳み傘を出すために一先ず木陰に入ると、先程から視界の端にちらちらと豆っぽいものが入って来るも、まさかこんなに大きいはずはない、暗くてよく見えないだけとスルーしていたものを確認してみた。上を見上げると、木々からは人の上腕くらいの長さがある巨大なさやえんどうの様な植物がたくさんぶら下がっていた。やっぱり豆だ。こういう巨大なものは植物園の温室でしか見たことがない。お金を払わなくても見れるんだ。暖かいと植物と昆虫は大きく育つというのをどこかで聞いたことがあるけれど、それはこういうことなのかと思った。

雨は1、2分降っただけですぐに止んだ。よかったと安堵するも、明日の予報は朝でこそ曇りなのだが昼前からはずっと大雨予報だ。しかも昼間に向かう台南は1日の予想降水量が63mmで、明日はずっと傘を使うことになるんだよなと思いながら折り畳み傘をバッグにしまった。

さっきまで遠くに見えていた、もうひとつのライトアップされた橋まで来た。この側に教会がある。川沿いにはマンションがありその裏辺りに教会があるはずなのだが、そのマンションの外観の一部に日本のマンションの様に規則正しい無機質な形の繰り返しではない部分があってそこに見入ってしまった。10階以上ある少し古めかしいマンションで、マンションというより大きなアパートという雰囲気なのだが、その2階部分だけが他の階とは全く異なる造りになっていた。他の階のベランダが直線のみで構成されている中、その階だけはフランスの宮殿にある様なアーチの掛かったベランダになっていて、アーチの奥にある窓はとても小さく隠れ家のような佇まいをしていた。集合住宅の中に隠れ家が入っているような、今まで見たことのない構造。よく見てみたくて、ちょうど目の前にあった歩道橋に上ってみた。階段を登っている際中、ガタンゴトンという音が聞こえ電車が通過して行くのがわかった。どうやらここは歩道橋だけでなく、電車の高架線路も兼ねているらしい。高架を渡る電車を見たかったなと思いつつも半分くらい上ると隠れ家部分と同じ高さまで来て、このマンションに住むなら絶対にこの隠れ家部分の部屋だよなと思いながら写真を撮らせてもらった。

さて、散歩を始めてからもうすぐ50分になろうとしており時刻も既に11時を回っていた。とうことは、ホテルに戻る頃には一体何時になってしまっているのか。歩いて帰るのは無理そうだなと帰りへの心配が一瞬頭をよぎるも、先ずは教会を目指さなければ。歩道橋を降りその隠れ家付きマンションの裏に行ってみると、そこにはあるはずの教会が無かった。おかしいなと思い辺りをキョロキョロするも、それらしき建物はない。教会は川沿いにあるものと雰囲気で思い込んでいたのだが、地図をよく見てみると川から一本中に入ったところにその教会はあった。何かのミッションであるかの様に、とにかく教会へと足速に行く。

だが教会の目の前に場所へ辿り着くも、そこが目指していた教会だとはすぐにはわからなかった。有名だから夜はライトアップされているものと思っていたのだが真っ暗だったからだ。ゴシック建築で有名な教会だから来ようと思ったのだが、暗闇の中では残念ながらゴシック具合がよくわからなかった。だが一応ミッションはクリアしたとうことで、これでホテルに戻れることになった。

想像以上に長い散歩になってしまったので、帰りは電車で帰れやしないかと調べると近くに地下鉄の駅があった。地下鉄の駅といっても地上にあって、さっきガタンゴトンと聞こえたのがそれで、高架で川の反対側に渡ってすぐのところにあることがわかった。隠れ家付きマンションをよく見るために登った歩道橋を今度は上まで上ると線路が見え、線路脇の通路を歩いた。高架はそのまま駅に直結しており、建物や改札口は無くいきなりホームにたどり着いた。新しくきれいなホームだが薄暗く、どうやら無人駅の様だった。

これでもうホテルのある高雄駅まで地下鉄で帰れる。こんな近くに駅があるなんて、本当に良かったと思いながら電車をホームで待つ。だが何分待っても電車が来ない。それに私の他にはホームに誰もいないし、無人駅と言ってもこんなに暗いものなのかと思いながらホームをウロウロする。そもそも次の電車は一体何分後に来るのだろうかと頭上の電光掲示板を見ると、「今天結束、謝謝!」と表示されていた。どっからどう見ても、本日は終了しましたの漢字面じゃないか。まさかもう終電が終わっていたとは。こんなに暗い訳だ。終電は1時間近くも前に終わってしまったらしい。ということは、さっき聞こえたガタンゴトンの音は回送電車だったのだろうか。せっかく地下鉄で帰れると思ったのに。駅が近くにあってよかったと思ってたのに。

終電の時間なんて全く気にしていなかった。台湾は夜市の国だからと、夜が遅いと勝手に思い込んでいた。困った時のgoogleで調べると、徒歩23分のところにある駅から23分後に電車が出るらしい。素晴らしき余裕の無さ。しかも終電なのだ。これを逃したら今来た道をまたずっと歩かなくてはいけない。低収入且つ予算の倍以上の航空券を買ってしまいその上、入国時の抽選にハズレてしまった私にタクシーという選択肢は無かった。ああ、何番目のランタンをタップすれば良かったのだろうか。

競歩の様なただのおかしな人の様な、忙しなくお尻を左右に振った急ぎ足で23分先の駅に向かう。行きは大通りばかりを歩いていたのだが、住宅の立ち並ぶ路地に入った。そしたら次から次へと面白い住宅が姿を現し、急ぎながらもこれは!と思う家の前では立ち止まり写真を撮った。家の玄関周りにお札の様な、赤い紙に金色の文字が書かれたものがたくさん貼られていて雰囲気がまるでキョンシーの世界の家がたくさんあるのだ。幼少の頃キョンシーが大好きだった私はそのキョンシーな家を見る度に心が躍り、ドーパミンなのかわからないが何かが後頭部から脳天に向かって噴射されるのを感じた。

子供の頃に世間でキョンシーブームがあったのだが、私は映画「幽幻道士」を見たのをきっかけにキョンシーにハマった。その映画は母が地上波放送をVHSテープに録画したものだったのだが本当にテープが切れそうなほど見て、お店でキョンシーグッズを見付けては買ってもらった。祖父母が住んでた田舎の小さな商業施設にあった玩具屋では、キョンシーのお面とお札、それにキーホルダーが一緒になった謎のセットを祖父に買ってもらったことがある。その直後に祖父と車でレストランに行き、その間キョンシーのお面は車の後部座席に置いたままだったのだが、レストランから戻ると祖父が後部座席の窓にべったりと付いた子供の手の跡を見つけたらしい。祖母の待つ家へ帰ると、祖父が祖母にその手の跡について話しており、キョンシーのお面が欲しくてどこかの子供が窓にべたっとひっついて車の中を覗いていたのだろうと言っていた。当時そのくらいキョンシーは人気だったのだ。私はその後、お面をどのように使っていたかは全く記憶にないが、セットだったキーホルダーは自転車の鍵に付けていた。ただ、自転車の鍵に付けるには大き過ぎた様でよくタイヤにひっかかるのが悩ましかったが結構長い期間使っていたと思う。その頃よく遊びに行っていた友達の家は金物屋で、遊んでいる時に失くすと大変だからと店番をしてる友人のおばあちゃんがいつもこのキョンシーのキーホルダーを付けた自転車の鍵をレジ横にある小さな引き出しに保管してくれていたことをお札の貼られた家々を見ていて思い出した。今は同じキーホルダーをメルカリで再入手したいと思っている。

キョンショーグッズと言えば、市の中心街にあるテレビ塔の売店で弟とひとつづつ買ってもらったおなかを押すと喋るぬいぐるみもあった。私は一般的に女の子が好きなウサギやティディーベアのぬいぐるみを欲しがる子供ではなかったので、友達の家に遊びに行ってはなんでみんな部屋に動物のぬいぐるみがたくさんあるのだろうと不思議に思っていたので、私の部屋にもぬいぐるみがやって来たということも嬉しかった。しかも喋るぬいぐるみだ。ある日、その仕組みが気になってキョンシーの服を脱がせてみたらおなかに機械が入っており、そこには生まれて初めて見るCDが内臓されていた。後に世の中に出てくる8センチのシングルCDよりもひと回り小さかった様な気がする。このキラキラとした円盤から音が出るんだと思ったことはよく覚えているのだが、そのキョンシーが一体何を喋るものだったかは全く思い出せない。知らず知らずのうちに手元からひとつふたつとキョンショーグッズが消え、その存在自体を忘れて何十年と経つのにキョンシー映画に出て来そうな家々を見つけては心と体が痺れ、三つ子の魂百までを実感した。急いではいるが、写真を撮らずにはいられなかった。

途中、大通りに出ると通り沿いの少し先にライトアップされた異様なまでにどデカい建物を見つけた。周りにはそれほど高い建物が無いその場所では、すさまじい圧と存在感があった。高さだけでなく幅もすごい。平均的な人間に囲まれた大谷翔平選手の様な圧倒的な存在感。競歩で移動しなければならないほど急いではいたが、そのあまりの大きさに何の建物か気になり調べてみると、意外にも百貨店だとわかった。本当は真正面からも見てみたかったのだが、すぐそこにあるのにそこまで行く時間は残されておらず諦めざるを得なかったのが今も心残りだ。百貨店があるということは街の中心街に来たからかキョンシー感の有る無しに関わらず住宅を見掛けなくなり、さっきまでよりも急いで駅に向かった。駅まで数分というところでまた雨が降り出したが、傘は差さずに競歩で突き進みギリギリで電車に間に合った。これでやっと高雄駅まで電車で運んでもらえる。

電車に乗ったのはたった2駅で、あっという間に着いた。最初に高雄駅に降り立った時と同じ道をホテルまで歩く。ホテルに着いてトイレ臭に満ちた廊下を進み部屋に戻ると、もうクタクタだった。日付けも変わって0時半になろうとしている。ちょっとした散歩の感覚だったのに、2時間も掛かってしまった。スマホを見たらこの夜の散歩だけで1万歩を越えていた。

シャワーを浴び、備え付けのドライヤーで髪の毛を乾かす。こじんまりとしたとても謙虚なサイズ感のドライヤーで、風量も謙虚なので早く寝たいのに髪はなかなか乾かない。それでも旅行直前に髪を切り、ちびまる子ちゃんの長さまで短くしておいたのでまだよかった。翌日の支度を整えて布団に入った頃には午前2時を過ぎていた。明日は恐ろしい過密スケジュールになっているため6時半には起きたい。だがキョンシーっぽい家々を見て幼少期の記憶が呼び戻されて興奮したせいか全く眠気が無く、寝なきゃというプレッシャーと高すぎる枕と格闘して結局2時間も寝られずに朝を迎えた。

ー続くー

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