ねぇ、あんたはどこで生まれたの?

「ねぇ、あんたはどこで生まれたの?」

 キッチンの戸棚にある料理用のハーブミックス。前はオムレツに振りかけていたが、すっかり使わなくなってからもう1年以上が経っていた。
 香りが飛んでしまっているから処分しよう、と数週間思い続けていた。

 ある日、やっとのことで戸棚からハーブミックスの入った瓶を取り出した。
 手のひらサイズの瓶で、蓋は回転させると大きい穴や小さい穴が現れるタイプのもの。

 ハーブミックスは瓶に1センチくらいの深さしか残っていなかったのだが、久しぶりに見るハーブミックスは私が知っているものとは様子が違った。
 以前は緑っぽい細かい葉の集まりだったはずなのに、上半分は以前と同じもので、下半分は土のような茶色い細かい粒子という二層になっていた。
 なんでこんなことになってるんだ?と、瓶を眼前に据えて凝視した。

 ひぇ〜〜〜。
 上層のハーブの上に、動いているものがたくさんいる。
 茶色くて丸っこい。「虫が湧いた」というやつだ。

 両腕に鳥肌が立ち、背筋がぞくっとした。
 ひぇ〜〜〜と、処分した。

 調べてみるとそれはシバンムシというもので、乾燥食品に湧くのだそうだ。
 そういえばここ数週間、1日に1匹は家の中で小さな虫が飛んでいるのを見るのが常となっていた。
 あれは、知らぬ間にハーブミックスを住処にしていた彼らの散歩だったのか。
 住処がなくなったので、これで散歩する彼らを見掛けることもなくなるだろう。

 その夜、二層になったハーブミックスについて考えてみた。下層の「土のような茶色い細かい粒子」は、彼らが上層のハーブミックスを食べて分解したものが、粒子が細かい故に瓶の底に溜まったのだと思う。

 翌日以降も変わらず散歩している彼らを見かけた。しかも1日1匹だったのが、1日に数匹の散歩を見掛けるようになった。
 ハーブミックスは処分したのに、なぜ。

 ハーブミックスの瓶が入っていた小さな戸棚の中のものを全て取り出し点検した。
 ラー油、ナンプラー、タバスコ、ブランデー、バニラエッセンス、蜂蜜、チリパウパウダー、クミンパウダー、ターメリックにコリアンダーパウダー。
 ここは使用頻度の低い2軍の調味料だ。異常はなかった。

 次に1軍の大きめの戸棚を開けた。
 初めに手に取ったベタベタとするオリーブオイルのボトルにシバンムシの死骸がひっついていた。
 ひぇ〜〜〜。
 醤油、みりん、酒、ごま油、白だし、酢、塩、砂糖の1軍の面々を移動させていると、「クレイジーソルト」が目に入った。
 これだ!クレイジーソルトには乾燥ハーブも入っている。

 回転式の蓋を回して小さな穴から中を除くと、茶色くて丸っこい小さなものがたくさん蠢いていた。
 ひぇ〜〜〜。

 クレイジーソルトを最後に使ったのはいつだろう。彼らがここを住処にし始めたのと、私が最後に使ったのと、どちらが先なのだろう。
 知りたくてたまらないが、考えても答えは出なかった。鶏が先か卵が先か、と同じだ。

 手をパンパン叩きながら飛んでいるシバンムシを追いかけ、床で亡くなっているシバンムシを掃除する日々を送った。
 まるでイタチごっこなので「シバンムシに効く」という殺虫剤も買った。トラベル用のヘアスプレーくらい小さいのに1,000円を超える代物だ。だが、いくら高くても卵には効かないのだろう。スプレーで駆除しても、また新たな命が生まれて家の中を散歩した。

 そしてある日突然、小さな黒い虫が数匹、登場した。一見蟻のようだけれど羽根がある。羽根だけでなくお尻にハリがあるのが特徴的だった。
 この新顔は何かとネットで調べてみた。アリガタバチというらしい。小さいのにまさかの蜂であった。そこまでは良い。
「シバンムシの幼虫に寄生し、卵を植え付けて繁殖する」
 うちにシバンムシが居る故に登場した虫なのだ。
 うちにシバンムシが居ることが第三者に知られていることがショックだった。
 シバンムシだけでなく、アリガタバチまでをも追っかけて駆除する日々となった。

 ここまでが去年の秋までの出来事だった。
 その後、気温が下がっていくと、部屋の中で散歩するシバンムシとアリガタバチはめっきり見掛けなくなった。
 けれど、寒さが増して来たある日、そのシーズン初めて暖房を使った日にシバンムシは元気良く飛び散歩したので、絶滅していないことは知っていた。
 恐らく寒い時期を卵の状態で過ごしていたものが、暖房の暖かさで孵化したのだと想像した。

 今年の春、これからめきめきと気温が上がれば卵が一斉に孵化し、シバンムシが姿を現すことは覚悟していた。
 だが、彼らは姿を現さなかった。
 覚悟していたのに、肩透かしをくらった感覚だった。

 ある日、メキシコっぽいジャンクなものが食べたくなって、チリパウダーとコリアンダーパウダー、コンソメ、ニンニクで味付けした合い挽きミンチとチーズをフライドポテトに載せたものを作った。
 本当にメキシコにこんな食べ物があるのかは知らないが、あくまで私の中のイメージである。これをコーラと一緒に食べるジャンクな感じがたまらないのだ。

 この料理をかなり久しぶりに、半年以上振りに作った。
 作っている時に、手に取ったチリパウダーの瓶の中をなんとなく確認した。

 この瓶は昨年、2軍の戸棚をチェックした時にも確認している。
 なので中身が見やすいように「チリパウダー」と書かれたラベルシールが、一部めくってあった。
 そこから覗くと、チリパウダーの粒子よりも大きなものが見えた。これは〝挽きがあまかった〟唐辛子の大きめの粒子だろう、と思って蓋を開けて料理に振り掛けようとした。
 だって今シーズン、奴は姿を現していない。ということは、卵も、彼らの住処もどこにもないはずなのだ。
 だけれど振り掛けようとした手がなぜだか止まり、もう一度、シールのめくれた部分から瓶の中を覗いてみた。やはりこれはシバンムシではなく唐辛子の大きめの粒子だ。
 でもなぜか、手は勝手にめくれたラベルシールを更にめりめりとめくった。

 ひぇ〜〜〜。
 チリパウダーの上で何十匹ものシバンムシが活動していた。

 散歩はしていないが、生存はしていたのだ。

 料理は少し違うものへと方向性を変えて、チリパウダーを処分した。

 最初のハーブミックスとクレイジーソルトは回転式の蓋だったので、穴と蓋が少しでもズレていれば虫が入ってくるのも納得だけれど、チリパウダーはパチンと上下に開閉するタイプだったので大丈夫だと思っていた。

 チリパウダーを処分して1週間くらいした頃から、なぜかまた家の中を散歩するシバンムシを毎日見掛けるようなった。1日1匹が基本だが、2、3匹見ることもある。
 なのでまた戸棚の中のものをすべて取り出して確認したのだが、どこにも居ない。卵も見当たらない。
 半年ほど前からスパイスにハマり、以前はなかったスパイスのビンが30本くらいずらっとキッチン台に並んでいるのだが、瓶の蓋のように密閉できるタイプだからかシバンムシの住処となっているものはなかった。

 戸棚の奥に潜んでいやしないか、卵がありはしないか、と思ってキッチンの戸棚のあらゆるものを取り出して空っぽにして確認することを何度繰り返しても、奴らの姿はない。
 高さのある棚の奥まで確認するために、椅子に乗って爪先立ちになるのももう疲れてきた。

 毎日、部屋の中を飛んでいたり、歩いていたり。
 飛んだり歩いたりしていない、つまりは死骸も毎日見掛ける。

 見掛ける度に問いかける。
 「ねぇ、あんたはどこで生まれたの?」

 いいかげん教えてよ。

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