見出し画像

死にたいと願う君へ

人は人間である以上、大体1度くらいは「死にたい」と願う瞬間があります

辛い目にあったり

言い知れぬ虚無感に捉われたり

あまりの心や体の苦しみに耐えられなかったり

ただ、なんとなく...

「死にたい」

という瞬間が訪れたなら

それは、あなたの意識が成長する段階が来ています

「死にたい」

という願望は、生きている体を持っている君には、非常にリスクのある考えですが同時に、生死について真剣に向き合うことのできる君の人生にとって重要なチャンスでもあります。

私は、感動的な偽りの温かい言葉を投げかけるつもりもなければ
あなたを物理的にサポートし、応援するつもりありません。それは現実的ではありません。

どうか偽りの言葉に励まされないで下さい
どうか自分と向き合う前に誰かに依存しないで下さい

偽りの言葉は時にとても暖かく感じます
しかし、それが偽りだと知ったら君はどうなることでしょう

誰か頼りになる人に依存し、支えてもらうのも良いでしょう。
しかし、その誰かがいなくなったら君はどうなるのでしょう

もし、君が私にとって本当に重要な人だとしたら、それらの一時的なものに
頼ってもらいたくはありません。

向き合ってください。現状に
向き合ってください。生死に
向き合ってください。自分に

そして、なぜ死にたいと思ったのか?

それを忘れないでください。
それは君の長い人生において今後、非常に重要になってくる問いであり
本当に君が死ぬ間際、必要な問題となります。

たくさんたくさん、考えて下さい。
なぜ死にたいのか?
なぜ生きなければならないのか?
なぜこんなにも苦しいことばかりが現実にあるのか?

必要ならば、あなたがやるべきこと、あなたの意に叶わないこと
全てを放棄して下さい。どのみち死ねばそのようになります。
生きてるうちに放棄しても、死んで放棄しても何も変化はないはずです。

違いは、やっぱりやりたいと思っても2度とやれなくなることです。
生きているうちは君はどちらも選択できます。安心して下さい。

これを見ているということは、君はまだ生きてる。生きようとしています。

考えるときにはボーッと考えるのではなく、真剣に考えて下さい。
瞑想がおすすめです。

難しく考える必要はありません。

座ってもいいし、寝ても良いので目をつぶって動かないようにして下さい。
そして自分の意識に集中し、自分が何を考えてるかを感じて下さい。

あなたの中から出てくる「なぜ?」と向き合います。今は便利な世の中です。大体のことはググれば出てくるでしょう。それでもわからない問いが合った場合、わかるところから解いて下さい。

これはとても大変苦しい作業ではありますが、大切な作業です。

疲れたら、呼吸を整えて、リラックスの瞑想に入ってください。
今度は何も考えずに、何も考えないことに集中し、体の声、心の声に耳を傾けます。

君が生きようとして生きているわけではなく、心と体は全力で生かされていることに気付けるよう集中して下さい。

君が呼吸を意識していなくても呼吸をしていること
君が血液を循環させているわけではないこと
心も体も少しも1つの場所に留まることはできないということ

こういうことが理解できるようになると、実感することができます。

頭の理解では不十分です。「腑に落ちる」感覚になるはずです。

「なるほど!!そういうことか!」と

日本人に自殺者が多いのはなぜか?

私が思うに、日本人には自殺する人が多いように感じています。

世界的に見て恐らく日本人は、あまりにも生命の生死に離れ過ぎているからだと私は考えています。生死を見ずに過ごすことは、生死を意識する機会がないということになります。
あらゆる生命には、終わりがあるというシンプルなことに気付きにくいためです。生と死は本質的には同じものであり、そのことはそこまで重要ではありません。

生=辛い、苦しい
死=楽になれる

これは明確に間違いです。

あなたが消えれば辛さも消えるのか?

これは、消えません。

誰かがその辛さを背負って生きることになります。
この世のエネルギーは減ることがありません

あなたが辛い思い、苦しい思いを背負って死ねば
誰かがあなたの代わりにその分の辛い思い、悲しい思いをすることになります。自殺者の多くはこのことを考えておらず、勉強不足です。

これは、結果的にあなた自身を悲しませる行為に等しいのです。

エネルギーにもルールがある

死ぬ前にこの世のエネルギーのルールを知ることは、とても大切です。

私の言うことが信じられないなら、どうか疑ってください。
信心や信仰1mmもいりません。

この世の全ては何らかのエネルギーによって作られており、全ての根源のエネルギーは同じ、もしくは似たようなものです

つまり、あなたも私もエネルギーの視点から見れば同じであり、その辺の空気からパソコンやスマホの画面、あなたに考える力を宿す脳内の電気信号も全て同じエネルギーで作られています。

したがって、全ては君自身です。

このようなエネルギーのルールを自己発見によって見つけることは人生への考え方を瞬時に切り替えさせます。これはチャンス到来です。

死ぬ前に考えて下さい。考えることができるのは生きている間だけです。
確率的に考えて100歩譲って奇跡的なことです。

君が君であることはもう2度はありません。チャンスは1度です。

嘘だと思うのであれば、人間が死んで、それが煙となり、空気中に漂い、その拡散されたエネルギーが変化して、もう一度その君のエネルギーのまとまりが人間として生成することのできる確率を求めてみて下さい。

私にはわかりませんが、途方もない確率であることは想像できます。
他の動物には考えることはできませんし、物には考える力はありません。人間だけです。


「死ねないから生きている」

考えた結果がこんな感じなら、それでも良いでしょう。
10代の頃、私はそのように考えてました。

しかし、それも勉強不足です。

もっといろんな物の名前を憶えて下さい
そして、それが何から作られているかを調べて下さい。

それが科学的な記号で構成されているのなら、またその記号の1つに注目して、それは何から作られているかを調べて下さい。

また、違う記号みたいな名前がでてきたら、その中の1つに注目してさらにそれが何からできているのか...そして、またさらに...

そうすることでミクロの世界を知ることができます。

人類が発見してる最小単位のエネルギーまでたどり着き
それがどこにあるのか探して下さい。イメージで結構です。

そのエネルギーは身の回りのありとあらゆる至る所にあることがわかった時点で、今度は大きなマクロな世界に移動して下さい。

宇宙のことについて考えて見て下さい。

その宇宙には、そのミクロのエネルギーがどれだけあるか。
全てはエネルギーで満たされている実感を持ってほしいのです。

そこまで行けば、恐らく人間の生死などあまり重要なことではないことに気付きます。自分にとって生死はあまり重要ではありません。

それは物体の状態、エネルギーの変化の過程です。

エネルギーのルールと人の生死は別問題

但し、だからといって自殺は明確に間違っています。

君には君の体を構成している
約37兆個もの細胞の生命を強制終了させる権限はあると思いますか?

もし、死にたいとあなたが願っているのなら
生きながらそれを実現して下さい。

何も考えなくても良いです。
全てを放棄しても構いません。

人生は長いですから

ただ、全力でやってほしいと願っています。

中途半端にゲームをやったり、音楽聴いたりはナシ。
ご飯食べたり、眠ったりもなしです。
トイレや呼吸はなどは仕方ないでしょう。

本当はトイレもいかずに
そのまま用を足してみるという過激な手もありますよ...排泄物にまみれながら寝てて見て下さい。それだけでとても苦しいはずです。

最後のやつは半分は冗談ですが、半分は本気です。世の中には高齢になって誰にも介護されず、排泄にまみれている方々も実際にいるのですから。

2日もやれば理解できるかもしれません。

あなたの体は全力で生きたいと願っています。
あなたの心も全力で生きたいと願っています。

あなたの全ては活動したくて堪らないのがわかります。
エネルギーを変化させたくて堪らないはずです。

食べたい、遊びたい、寝たい、トイレしたい。

そして、それを叶えてあげて下さい。

2日食べなかったご飯の味はどうですか?
2日何もしなかった後のゲームはどうですか?
2日寝なかったときの布団の寝心地はどうですか?
2日ぶりの清潔なトイレはどうですか?

恐らくは最高のはずです。

人間が生きている実感を得るためにはこれだけで良いのです。

「生きてて良かった」

そう思える瞬間瞬間にちゃんと気付いてほしいと願っています。

君が死にたいと考えているのは
恵まれ過ぎたのです。

私も恵まれ過ぎました。

私は当たり前にご飯を食べてきました
私は当たり前に寝てきました
私は当たり前に遊んできました

当たり前すぎたのです。

このことに気付いてほしいと思います。

楽しいと思うことは楽しい
辛いと思うことは辛いのです。

その基準はなんでしょうか?

辛い、苦しいと感じるには基準が必要です。

〇〇よりも辛い。〇〇よりも苦しいと。


自分を深く理解して、問題があれば解決して下さい。

死にたいからと願って死ぬのは明確な間違いです。

考えて下さい。

瞑想しても考えてもその答えに至らない場合は
ひとまず死ぬよりもマシな選択肢を発見してほしいと思います。

優しい言葉に騙されても良いでしょう。
誰かに依存しても良いでしょう。
逃げたって構いません。
もちろん、その原因に立ち向かっても良いです。

死ぬよりマシです。

間違った考え方をしたまま死ぬということは...

非常に残念なことであり
それはむごいことであり
悲しいことであり
もったいないことです。

私も悲しいです。一人でも多くの方に、私の考え方を知ってもらい
死にたいと思う気持ちを捨て去ってもらいたいと思います。

「死にたい」ということは「生きたい」ということでもありますから
生と死は本質は一緒ですからね。

覚えておいてください

君の心が「死にたい」と願うのは「生きたい」からです。

「生きたい」から「死にたい」のです。

信仰はいりません。私は何者でもありません。ただのサラリーマンです。
宗教家でもなければスピリチュアルの人でもありません。

私の言うことは全て嘘だと思ってください。
そして考えに考え抜いてほしい。これが本当に嘘なのかどうか。


どうかこれを見ている方が後悔のない人生を送れるように願っています。

では

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?