常識とは偏見のコレクションであり、アップデートするもの
私は子供の頃から「常識」や「普通」という言葉が嫌いでした。
「常識で考えればわかるだろう!」
「普通にしていなさい!」
大人がどういう意図でこの言葉を発しているのかわからず、全く納得できませんでした。
「常識って何?」
「普通って何?」
と聞いても納得のいく答えをくれる大人はいませんでした。
■ 常識とは十八歳までに身につけた偏見のコレクション
アインシュタインの言葉です。
つまり、私に納得のいく論理的な答えをくれる大人がいなかった理由は、みんな「偏見」しか持っていなかったからです。常識について真剣に考える大人がいなかったんです。
ところで、18歳までに身につけた偏見を「常識=行動規準」にしているって恐ろしくないですか?
例えば、1980年生まれの人は、1998年までの「偏見」が「常識=行動規準」になっているのです。1998年ってGoogleが設立された年です。インターネット人口がやっと1,000万人に到達した年です。
1970年生まれの人は、1988年までの「偏見」ですから、高度経済成長、バブル真っ只中です。ちなみに多くの企業ではこの世代が会社の役員ですよね
■ 常識はアップデートするもの
もちろん、全員が古い常識を行動規準にしているとは思いません。しかし、年齢を重ねるほど勉強しなくなる人が増えるのは事実であり、勉強をしない人の方が割合は多いのです。だから私はこう思うのです。
常識に捉われるな!
そして、この記事を見ている人は間違いなく勉強している人です。勉強している人の常識はアップデートされています。だから私はこう思うのです。
自分の感覚を信じよう!
なお、「常識を知らない」というのはまた違うと思います。常識を知っているから常識を疑えるのです。
最後まで読んで頂きありがとうございました! いただいたサポートは全て執筆活動の資金としてありがたく活用させていただきます。