自分史とヒルクライムの話 その2

高校生活と自転車

高校進学については悩みどころでした。本当は自転車部のある高校に行って競技をやりたいと考えていましたが、色々考えたり相談した結果、自転車部のない普通の高校に進学することになりました。

高校では部活に所属せず、通年帰宅部としての毎日でした。しかし通学では、父親のお下がりのアラヤ・マディフォクスにいろいろと買い漁ったいろいろなパーツを装着。当時流行っていたアップバーをつけてサドルを目一杯ドロップしてダウンヒルバイクっぽく改造した状態で爆走して高校に通学していました。学校に着いたらしばらくは学ランをきれないくらい汗だくで、下敷きでバタバタやっていました。はたから見たらおかしな奴だったと思います。

そして授業が終わって帰宅すると、そのまま着替えてロードバイクでトレーニングに向かいました。日没まで長くて2時間くらいが限界だったので、鎌倉方面のアップダウンや、大磯・二宮あたりを中心に走っていました。自分の住んでいた神奈川県南部は平坦の道はあるものの車通りが多く、快適にトレーニングをするには丘を入れた周回コースか車のこない裏道を走る必要がありました。その裏道は大抵勾配のきついところで、もしかしたらその頃からヒルクライム能力は培われていたのかもしれません。
<p style="text-decoration:line-through;">(3月末で使えなくなってしまいますが、その時の周回コースをルートラボに載せています。気になる方は是非チェックしてください。)</p>

高校時代のレースの結果はあまり印象に残っていませんが、自転車部のある高校に行っていた先輩の計らいで、国際ロードレース(今のツアーオブジャパン)の裏番組で行われていた全日本ジュニア選手権(当時は2日間のステージレース)に出場させてもらったり、クラブでの活動は続けていたので競技の世界との関わりは続いていました。同時にマウンテンバイクの大会にも出れる時は出ていましたが、それ以外はいたって普通の高校生でした。

その当時の神奈川県は、ミヤタ・NIPPOなど実業団チームの拠点があり、幸い多くの実業団の選手たちと共に練習する機会がありました。時を同じくして日本ナショナルチームがイタリア人監督を雇用してヨーロッパで活動をしていた時期と重なっていて、そこに選ばれた代表選手たちも多く、彼らからヨーロッパの情報を聞くことができました。そして高校2年の夏に地元の同期の選手がイタリアにレース体験をしたことで、さらに海外での活動を意識するようになりました。

高校2年だとちょうど大学受験のことを考え始める時期で、みんなどこの大学に進学するかで赤本を買い始めている時期なのに、自分は自転車のことばかり考えていました。そんな中、高校3年の夏にとうとう自分にもイタリアのレースを体験する機会が巡ってきました。

その時はイタリアとスイスを巡るレース体験でした。マペイセンターで数値を測ったり、実際にプロ選手がトレーニングをしている土地でトレーニングしたり、レース会場で身長2mの生アクセル・メルクスを見たり、充実した滞在でした。遠征の最後に出場したレースで逃げに乗り、前の方でレースを終えることができて、自分にもできるかもしれない!と根拠のない自信を得て日本に帰国。それからは進学のことをあまり考えられず、親にも担任にも自転車でやっていくことを主張してました。今思えば親にはかなりの心配と迷惑をかけたと思います。しかしいつも保守的な自分がとんでもないことを言い出したことで、応援する気持ちは強かったかもしれません。

そして高校卒業後は、自転車競技に専念するためにフランスに渡りました。しかし待っていたのは当時の自分の想像を絶する世界でした。

その話はまた後日。

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