映画のかんそう(サメ)
twitterに垂れ流したサメ映画の感想を集めてみた。
今回のサメ映画は5/3~5/5に放送された「蘇えるゴールデン・サメ劇場」の6本です。ずのうへの過負荷リスクが懸念されたため、週単位のインターバルによって負荷を抑えつつ慎重に観進めました。
ダブルヘッド・ジョーズ(2012年)
2-Headed Shark Attack (2012)
映画『ダブルヘッド・ジョーズ』観た。期待通りのヒドさ。良いぞ。全ては惨たらしくサメに喰い殺されるための舞台装置であり、一切の容赦がない。サメ映画のフォーマットではグラマラス水着女性は全てサメに喰われるために配置されているので、少なくとも10回の惨殺シーンがあることが予め判る。
パリピめいたジョックやクイーンビー、サイドキックスやワナビーが惨たらしく次々と殺され、何故か一人だけ紛れ込んでしまった場違いなナードがそのナード性がために生き残るのは、スプラッタ映画のフォーマットとも共通性があるな。
しかしこのフタツアタマサメ、体の大きさや重さに可変性あるな。人間を二人同時に一呑みにしたかと思えば、腰ほどの浅瀬で背鰭すら見せずにステルスキルしたり、体当たりで環礁を地震めいて揺らしたりと、なんでもありだ。獲物が一人のときは上半身と下半身を、仲良く左右頭で分け合うのが微笑ましい。
頭が二つだと歯の数が二倍、感知する能力も二倍、凶暴さも二倍。つまり二倍と二倍と二倍で百倍だ。わかるか? この算数が。エエッ? ってカラテ算数めいたサメ算数。わからない。
さて続けてトリプルヘッド・ジョーズを観ようか。
トリプルヘッド・ジョーズ(2015年)
3-Headed Shark Attack (2015)
映画『トリプルヘッド・ジョーズ』観た。グラマラス水着女性が前作を遥かに凌駕するほど過剰投入されており、地獄の番犬めいたミッツアタマ・サメが仲良く獲物たる人間を分け合う様が堪能できる。ダブルヘッドから立て続けに観るのは脳に悪そうなので、時間をおいた。
このトリプルヘッド、真ん中のアタマが司令塔じみて左右アタマを小突いて指示出しているように見えるが、この図体で、鰓が左右アタマの外側にしか無さそうなので、真ん中アタマは酸欠になりそうだなどと考えても無意味なことを考えてしまった。
どう見ても何らかの海上取引行為に及んでいたとしか思えないダニートレホさんが、サメよりも一層凶悪な面相で大変恐ろしく、やおらマチェーテを取り出してサメを滅多斬りしだしたときは何の映画を観ているのか解らなくなったが、しかし大変にエキサイティングなシーンだったことは認めざるを得ない。
そのダニートレホさんも驚くほどあっさりと喰われ、せっかく切り落としたアタマもすぐに増えて再生し、これどうすんだと思ってたら、おお! そう来たか! くだらねえ! いいぞ! という結末に満足しつつ次は『ファイブヘッド・ジョーズ』だ。
ファイブヘッド・ジョーズ(2017年)
5-Headed Shark Attack (2017)
映画『ファイブヘッド・ジョーズ』観た。ひとつ跳ばしたかなと思ってたら出てきたサメは頭が四つ……混乱しつつ観進めると、おお、ちゃんと頭五つ! しかし頭四つでなかなかの横幅になり、これ尾びれも増やさないと前に進まねえよな(問題はそこじゃない)などと考えてたら、五つ目の頭そこ!?
それじゃますます進まねえだろ!(問題はそこじゃない)それに五つ目の頭がなんか不憫。一所懸命に働いて、でもエサ(人間)はロクに食べられない。まあ胃は繋がってるんだろうから、直接食べられなくても問題ないか……しかし排泄はどこから……五つ目の位置が……とどうでもいいことばかり気になる。
あとポスターと頭の配置が違うけど良いのかな?(問題はそこじゃない)よしいよいよシックスヘッド。
シックスヘッド・ジョーズ(2018年)
6-Headed Shark Attack (2018)
映画『シックスヘッド・ジョーズ』観た。頭が増えすぎて放射状になってるぞ(尾を含めると七角形ぽいシルエット)。もっぱら人を喰うのは前向きの頭二つばかりで、横から生えてる四つは何かの役に立ってるのかなと思っていたら、頭を足代わりに? 地上をヨチヨチと? 歩く? ファッ!?
しかしあれだ、地上に逃げた餌を追って一所懸命ヨチヨチと歩く様が、なんともカワイイだ。足代わりの四つ頭は何の意思も感じられない虚無めいた死んだ魚の眼をしており、黙々とひたすら鼻面を地面に突き立てる。なんたる無惨。無限再生する頭と地上を移動する能力を得たこのサメ、果してどう倒す?
最後はサメ映画の伝統に則り問答無用の爆殺! キレイに千切れた頭二つが互いに囓り合って絶命するのもカワイイネ。サメの造形とアクションは大変良かったが、サメ映画としては、これまでのシリーズのように多頭を活用してテンポ良く人を喰らうことがなく、爽快感に欠け、残念だった。
あと、シャークトパスのシリーズが二つ。観るぞ。
シャークトパス(2010年)
Sharktopus (2010)
映画『シャークトパス』観た。シャークトパスのデザインが秀逸。眉骨突き出た凶相、鰓から生える無意味なトゲ、恐ろしく長いタコの触手は先端が槍めいて鋭い。生物兵器として開発されたにしても無闇に凶悪な外見だ。壊れやすく取り付けられた制御装置が壊れるべくして壊れ、シャークトパスは暴走する。
シャークトパスに殺される犠牲者達がぞんざい過ぎて爽快だ。会話中にいつの間にか殺される、カップルがいちゃつくと殺される、乗り物が止まると殺される、怪物の存在を信じないと殺される、怪物の近くでふざけると殺される、子供は殺されない。スプラッタ映画やモンスターパニック映画のテンプレだ。
そしてシャークトパスの最後はサメ映画の伝統に乗っ取り爆殺。跡形もなく粉々になったのは見事(予算の都合か?)。シャークトパスもサメ映画のサメである以上、このテンプレからは逃れられない。「まさか、映画じゃないのよ」の最後の台詞は皮肉が効いてて良いが、そういう映画だったっけ?
次で最後、『シャークトパスvsプテラクーダ』。タイトルだけで情報量が多い。
バラクーダと言えば、サメ、ピラニアに続く魚パニック映画の三大巨頭のひとつ。それとプテラノドンを合わせたと言うのだから、設定だけで面白い予感しかない。期待高まる。
シャークトパスVSプテラクーダ(2015年)
Sharktopus vs. Pteracuda (2014)
映画『シャークトパスVSプテラクーダ』観た。はっはー、ちゃんと前作の続きなのね。ライバルたるプテラクーダが開始数分で雑にアウト・オブ・コントロールとなり、無駄なストーリー展開を省いて早速カイジュウ対決か!? と思いきや、意外にもしっかりとストーリーを描きたい感じなんですね……。
正直ストーリーなんてどうでもいいのだが、対するシャークトパスの二代目は、シャイ、だと? わざわざ凶暴になるまでの経緯を描く? なぜそんな回りくどいことを?
おお、ようやっと対決! と思ったらそれだけ? ジリジリしながら観ていると、シャークトパスとプテラクーダそれぞれによる雑な殺戮タイム! なぜかどちらも人間の頭を狙うんだけど、噛みちぎられた頭でビーチバレーは斬新すぎる。いいぞもっとやれ。
うーん、なんだ、戦わないの?
プテラクーダVSシャークトパスによる天才おじさんの綱引き殺はなかなか。そして最後はサメ映画伝統の爆殺でまとめて退治! と思いきや!
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