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人間みんな同じ原材料「夏物語」

川上未映子さんの「夏物語」を読んだ最初の感想です。
結局人は精子から始まって、母胎と世界とでこねくり回されて今の自分になってるんだなと思いました。

考察

夏物語では常に共通点を用いて話が展開されています。
・コミばあ巻子スナックの店員や客などに囲まれていた子供時代の夏子と、母の巻子とは喋ろうとしない子供時代の緑子。
共通点は貧しい家庭であること。
・愛されながら育った逢沢と、産まれてきたこと自体を恨みながら育った善百合子。
共通点はAIDによる出産だったこと。
その他多くありましたが、今回は一部と二部で話の根幹を担ったこの組み合わせについて考えてみます。

夏子と緑子の組み合わせ

冒頭から家の窓の個数で貧乏論を説いたように、一部では常に貧しさが話の主題となっていました。
昨今取り上げられている格差問題では、教育の質は実家の豊かさによる影響が大きいと言われています。

これはとんでもなく正論だと思います。
貧しさというものはいくつもの可能性を消します。

ただし、貧しさというのは資産比べで語れるほど簡単なものではありません。
たとえ金銭的に貧しくても、親が十分な愛情を注いでいればそれは豊かであると言えるのではないでしょうか。
逆に言えば、資産家クラスの家柄であるにも関わらず仕事に没頭する両親であれば、その子供は愛情に乏しくなってしまいます。しかし、これを貧しいと捉えることはできません。
つまり、貧しさとは金銭的、社会的な両側面が同時に欠けている状況を言うのではないでしょうか。

仮にそうだったとして、これを夏子と緑子の境遇に当てはめてみます。

夏子は、本質的には貧しくないように思えます。
父親から逃げるようにして生活を変えなければならなかったなど、確かに夏子の人生には不運が付き纏っています。しかし、そのすぐ側には愛情をくれる大人がいて、頼れる姉がいて、環境そのものが夏子を受け入れているように思えました。

対する緑子はどうでしょうか。
個人的には、貧しくはないが幸でもない。ただし、どちらかというなら貧しい方へ転ぶと思います。
一部で描かれている状況において、緑子には対等に会話できる人がすぐ側にはいませんでした。
豊胸手術に躍起になっている母の巻子、ある程度頼れるものの遠くの地に住んでいる夏子、これくらいです。そして緑子は、豊胸手術に踏み切ろうとする巻子に心底嫌気が差しています。これでは吐き出す言葉も場所も選ばざるを得ません。であれば、もしかすると子供時代の緑子は貧しいと言えるかもしれないです。

逢沢と善百合子の組み合わせ

続いて、二部の主題が描かれている二人です。
一部が貧しさを謳ったものであるなら、二部で問われていることは親のエゴです。
・子供に会いたい親心
・子供に期待したい親心
・子供を利用したい親心
これら全て、生まれる前の赤ちゃんにとっては一方通行に向けられた感情に過ぎません。子供を産むということは、まず最初に自分の感情を押し付けることから始まるのです。

この二人は、AID(非配偶者間精子提供)という受精方法で産まれた子供です。
逢沢は実家が良家であり、子供を産むことが使命であったにもかかわらず、子供を授かれなかった両親のもとAIDによって産まれそこで育ちました。
対する善百合子は、実は出生の多くは語られていません。しかし血の繋がりのない父親に性的虐待を受けていたこと、そしてそれ以上のゾッとするような体験談を淡々と喋る描写は、もうひとしきり世界を恨み終わった後の達観したような思想がひしひしと伝わってきました。

ここでも鍵を握るのは愛情です。
AIDという出産方法だったことを知り絶望を感じた逢沢も、父親から受けた目一杯の愛情が決め手となりラストシーンへのある決断をしたように思えます。
対する善百合子の出産に対する思いは、AIDという手段以前に、子供を産むという行為の愚かしさを認められないというものでした。
同じ方法で産まれたにも関わらずここまでの違いがあるとすれば、それはもう出産方法以前に環境の問題でしかないように思えてなりません。

親のエゴとは

善百合子は「出産は賭け」だと言っていました。
これは、昨今取り沙汰にされている「親ガチャ」という言葉と非常に親和性があると思います。

今では軽い言葉のように扱われている「親ガチャ」ですが、本質的には善百合子のような境遇の子供が使うべき言葉だと思います。
血が繋がってないとはいえ、自分の子供に性的虐待を加える父親は終わってます。人であるかどうかも定かではありません。
だったら逃げればいいと考えがちなのですが、しかしその境遇から抜け出すのも意外と難しい。善百合子は愛情に乏しいのです。
普通の家庭で育った人からすれば、まず逃げることが最善の選択肢の人の気持ちなんて分かるはずがありません。これが「親ガチャ」でないなら何なのでしょうか。

別に産まれたくて産まれたわけじゃないのに、環境によってここまで幸福度に差が出るとすれば、それはもう立派な賭けだと思います。

会いたい気持ちは親のエゴ、与えたい気持ちも親のエゴ、見返りも付加価値も性欲も全部親のエゴです。
であれば、そのエゴが幸せに繋がるかどうか、親になるのであれば今一度考える必要があるのでしょう。

結論

エゴを押し付けるなら環境を用意する義務がある。

いろいろな考え方はあると思いますが、結局はここに収まります。
不自由なく生きられる環境なり、頼れる誰かや何かなり、最低二つ以上の柱を用意出来なければ出産しない方がいいのでは、というのが僕の結論です。
この少子高齢化時代に子供を産まない方がいいという意見は逆行してしまいますが、それでも数打てば幸せが増えるという楽観視をするくらいならいっそ産まない方がマシだと思います。
といっても、noteでエッセイを読むような知見ある人はある程度の環境を整えられるでしょうし、逆に言えば馬鹿な大人は人の意見を聞く気なんてないので、この意見が届くこともないしこの本で説いた本質が伝わることもないと思います。
結果として、出産について真剣に考える知見ある人と馬鹿な人とで出産格差が生まれるだけのように思えます。
難しい話です。

好きなところ

話は変わって物語構成について。

僕が夏物語で一番好きなところは、恩田さんと会ってから善百合子に会うまでの流れです。

まず、恩田さんのヤバさが表れる描写が上手すぎます。川上さんにこういう人格があるのか、実体験なのか身内にいるのかは分かりませんが、止め処なく自分の話をするおじさんとはこういうものだと的確に捉えられていると思います。

そこで性欲の愚かさを間接的に理解させられた後に、善百合子のえげつないエピソードで子を産むことの本質を突かれます。

ここの緩急は凄すぎます。恩田さんもまさか自分が物語の前戯として荒技のように扱われるとは思ってもないでしょう。頭隠して尻隠さずとはこのことです。ただ恩田さんが隠せてなかったのは性欲とちんちんですけどね。

感想

めちゃくちゃ面白かったです。六百ページあるような長編小説ですが、出産の常識を壊せるくらいの内容なので妥当な重厚感だと思います。
また作者の川上さんは、文章の使い方も独特なので一度読んでみた方がいいです。
句読点、鉤括弧など文章を分かりやすくするものをあえて使わず、雪崩れのように言葉を浴びせてくる懐古的な文章は、可笑しさと水っぽさを感じられて面白いです。
出産に携わる人は、一度こういう考えにも触れてみては如何でしょうか。

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