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美しさを形骸化する「夜間飛行」

この本ほど小説としての美しさを感じたものはありません。
作者は「星の王子さま」で知られるサン=テグジュペリさんですが、僕としてはこちらの方が本命です。

できれば読書の秋で投稿しておきたかったですが、これも巡り合わせということで仕方ないです。

概要

当時はまだ一般的ではなかった夜間運航において、危険きわまりなかった事業とそれを執り行う人たちの物語

考察

序盤で述べた美しさを論じる前に、ここではデザインにおけるセオリーについてお話します。

ポスター等の配色を考える上で、基本的には陰陽それぞれの二色を使い分けてデザインを仕上げるそうです。
これの意味するところはおそらく、反対色のアクセントを使い分けることが人に届く一番の配色方法ということなのだと思います。
ここではそれを「美しさ」と仮定することにします。

これを踏まえると、この「夜間飛行」ではそのアクセントを文章の中に落とし込んでいることが分かります。

作者のサン=テグジュペリさんの本職がパイロットということもあってか、多種多様な夜景描写はひとつひとつが染み入るように感じられます。
しかしそんな描写のすぐ後に、人としての醜さが見え隠れする人間的な描写へ切り替わるので、深層に浸っていた心が一気に現実へと呼び戻されます。
さながら不安定なフライトを感じさせる描写です。

結果として、二つの配色を行ったり来たりするような気分を味わいながら、鮮明な情景描写と心理描写とで相互作用を起こしています。

僕はそこに「美しさ」を感じました。
ただしこれは僕の思う「美しさ」でしかありません。(ここ大事)

またこの本においては、「美しい」という言葉を形骸化しているように思えます。

例えば、社長がなじみの仕事仲間であるロブレを解雇する際、わなないているその両手を見て「美しい」と表現しています。

これはおそらくですが、社長の思う「美しい」という言葉は、美的観点からではなく、それが物語っている歴史のことを指すのではないでしょうか。

別のシーンでは、パイロットが乱気流を飛び越えて雲の上に顔を出したとき「美しい」と口にしています。

これは、歴史ではなく苦労した過程、それから眩いほどの光に対しての言葉だと思います。

要するに、「美しさ」を感じる瞬間は人それぞれで違うんですよね。

過程に美しさを見出す人がいれば、純粋な美しさを受け取る人もいて、はたまた美しさを滑稽さに揶揄する人もいます。
そんな中で今回僕はアクセントの使い分けを「美しさ」と仮定しました。
これもまた「美しさ」という言葉が内包している成分の一つだと思います。

そして何より、未踏に対して戦いを挑む人たちの美しさったらありません。

それぞれが使命感を抱きながら、それ以外の考えなんて寄せ付けもしないというプロ根性にはある種の高潔さすら感じました。
それがこの本においてはハッピーエンドだったとは言い難いのですが、少なくともそれに直接携わった人たちには悔いがないのだと思います。

ただし難しいのは間接的に関わっている人です。

パイロットは当人です。全責任を負う社長も当人です。
しかしパイロットの妻は他人です。
もっと言えば、社長から指示を受けただけの社員たちは、当人ではなく他人でもありません。

ここが本当に難しいところだと思います。
実感がなければ命を賭す理由を見出せないので、パイロットの妻の狼狽はもっともで、社員のよそ行きな態度も頷けます。

この対比も、僕は美しく感じました。
これほど人間の動きが鮮明な本は他にあるでしょうか。間違いなくここには人が生きています。

情景描写で空と日常との対比を作り、心理描写でも当事者と他人とで対比を作る。
そしてそれらに対しても対比を作ることで、何層にも重なる美しさが表現されています。

また、なんと言っても素晴らしいのが文章の美しさです。

徹底的に無駄を削ぎ落とし、必要最低限のみの語彙で構成された文章には夜紛いの余白が感じられます。

余白があることで、読者は未知の夜を想像することができます。そして未知の夜を簡潔に描くことで、当たり前の夜との対比をもなしています。
これは未知の夜が日常である作者ならではの技巧ではないでしょうか。

感想

かなり好きな本です。
死ぬ前に思い出す十冊の本があるとすれば、間違いなく入ってくると思います。
割と短い話ですが、余白込みで読み込んだ場合にはたっぷりの読了感を味わえました。
また、飛行事業の黎明期という戦前の出来事に対して、僕自身は見たこともないのにここまで親身になって読めてしまうその作者の文章力は圧巻だと思います。
一から十まで全てを描き切る万人受けの作品ももちろん素晴らしいですが、至高の小説とはこうあるべき、という理想を体系している稀有な作品だと思います。
いい本に出会えました。

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