『私をくいとめて』読んだ。

綿谷りささんの『私をくいとめて』を読んだ。

読書は好きだけど、小説の知識は薄いわたしはどうやら、読書も映画鑑賞も一歩遅れているらしい。

恥ずかしながら、この小説が映画化されてすでに公開もされていたことを知らなかった。

そんなわたしですが、今日もこうして堂々と感想文を書いていくよ。ネタバレあるかもです。


まず、恋愛小説だと思って読んだらちがった。
いや、ちがわないんだけど。しっかりキュンとしたし。

主人公黒田みつ子の、恋愛を含んだ日常の物語という感じ。

みつ子はもうすぐ33歳。
わたしは今年25歳だけど、わたしとみつ子は似ていると思った。

似ているというか、似ていきそうというか。

わたしの身の回りにいる人もみつ子タイプが多い気がする。

みつ子の頭の中には、いつでも悩みを相談できる自分の分身の「A」がいるし、ひとりで生きていくことに抵抗はないとみつ子は思っていた。

「おひとりさま」を満喫中のみつ子の、心の声が繊細に描かれていて、自分がみつ子になったような感覚がした。

ひとりで焼肉屋さんやカフェに行って、近くの席の人たちの会話に耳を傾けて、男女の違いを俯瞰してみたり、名前も知らない人たちの背景を想像してみたり、それを自分と比べてみたりとか。しちゃうよね。
それも全部自分の中での話に過ぎないのだけど。あながち間違いではない気もするよね。


わたしには、Aのように的確なアドバイスをくれる分身はまだいないけれど、このままひとりの時間を過ごしていたら、いつかひょっこり現れそう。

最後まで読むと、自分の声と他人の声はしっかり聞き分けられるようでいたい、自分自身とばかりではなくて他人ともしっかり向き合いたい。と思うんだけど。

わたしの中にAがいるなら、どんな声なのかなっていう妄想はたのしい。


それだけじゃなくて、この本を読んで感じたのは、女性が結婚をしてもしなくてもいい、子どもを産まなきゃいけないわけでもない、仕事を続けるかも人それぞれ、という社会になりつつある。でも、生活の所々に女性が下に見られているような瞬間はまだまだある、とはいえそれに強く抗うこともどこか諦めている。みたいな現代を、どう生きていくかっていうのは、みつ子だけじゃなく、多くの人が考えていることなんじゃないかなということ。

もちろん、女性に限った話ではないのだろうとも思うのだけど。

「普通」が無くなってきて自由になってきたからこそ、迷う人は多いと思う。
選択肢が増えるのはとってもいいことで、これが贅沢な悩みなのもわかるのだけど。

いろんな生き方、いろんな恋愛があって、どれも否定されるべきものではない。

じゃあ自分はどうする?

そんなことを改めて考えちゃいました。

みつ子の会社の先輩のノゾミさん曰く、わたしの年齢24歳は、飲み物に例えると、「キューカンバーカクテル。青くて甘い、良い年だね。」とのことだから、こんなに深く考えるにはまだ早いのかしら。

と、とうもろこし茶を飲みながら書いているわたしです。

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