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わたしも花束みたいな恋してたのかもって思っちゃった

今さらながら『花束みたいな恋をした』を観てきた。

映画好きとは名乗れないわたしが言ってもちっとも響かない感想だと思うけど、いい意味で、驚きのない映画だった。

家に帰って、母からどんな映画を観たのかと聞かれたけど、「大学生くらいの子たちが付き合って別れる話。」としか言えなかった。
それなのにわたしはこうして感想を記録したくなっている。

逆にもし母がこの映画を観たらどんな気持ちになるのだろう。わたしの知らない、母の若い頃の恋愛を思い出すのかな。

わたしは、いつでも何回でも、音楽を聴くみたいに観ていられる映画だと思った。

少なくとも、彼氏いない歴2年(書いて気づいた)の今のわたしにとっては。

あー、こんなことあったなぁ。
わたしにとっては花束みたいな恋の思い出も、よくあるカップルの一コマなんだなぁ。

好きなものがおんなじって、うっかり運命感じちゃうけど単なるきっかけにすぎなくて、その先の関係をつくるのは2人なんだよなぁ。

わたしは残念ながらちがうけど、サブカル好きが観たらもっと刺さるかもなぁ。

すれ違ってたことに、もう後戻り出来なくなってから気付くんだよなぁ。

お互いに相手を想っていてもふとしたことからバランスが崩れるんだよなぁ。

恋愛に限らず人間関係で現状維持っていちばん難しいんじゃないかなぁ。

それが終わった恋愛で、楽しい思い出とか、終わるまでの綺麗な過程ばっか大切にかき集めたから「花束みたいな恋」と呼べるのかなぁ。

それともいつか終わるとわかっているから、心の中で花束を作っていってしまうのかなぁ。

とか、そんないろんな考えがぷかぷか浮かんでは消えを繰り返しながら観ていました。
相田みつを並みの「なぁ」多用。

菅田将暉と有村架純が日常をうまく演じてるっていうのもあるし、台詞が丁寧で、2人の感覚が微妙にズレていってるようなシーンすらなんか心地良くて、だけどそれがどうしてかリアルで。
自分の、ただでさえ美化されている思い出がよけい綺麗に思えちゃったし、わたしは有村架純で元彼は菅田将暉なのでは?と錯覚した。あぶねー。

個人的には、別れるって決めたあと、そして別れたあとのシーンが苦しかった。
映画館を出たあとビルのテラスに出てしばらくぼんやり景色を眺めちゃったくらい。

これを人はエモいというのか?
エモいって便利な言葉だな。

観るタイミングによって感じ方がちがうだろうな。

今のわたしには、2人が別れることよりも、社会の現実に押しつぶされそうになってるところの方が胸がキュッとなった。

また数年後、観たいと思った。
ポイントはちがうとしてもきっと感情が動くだろう。

その時この感想文を読んだとしたら、どう思うんだろうな。

余談だが、この日の映画館は春休みということもあってか、周りの席は中高生ばかりだった。
彼らもこれからこういう恋をするんだろうなぁと思ってたんだけど、映画が終わったあと、ある男の子たちは、よくわかんねー!と、ある女の子たちは、ちょっとむずかしかったね、、と話していて、フフってなった。

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