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オリンピックのバスケットボールを振り返る アメリカのライバルはリトアニアかスペインか?

東京五輪の注目の競技に男子のバスケットボールがある。
何と言っても、日本男子は1976年のモントリオール五輪以来の五輪出場である。
1964年の東京五輪当時、五輪で行われていた球技は、男子のバスケットボール、男子のホッケー、男子の水球、男子のサッカーと当初は、東京大会のみの実施ということで行われた男女のバレーボールのみだ。

バスケットボールは、16か国が参加し代々木第二競技場で行われた。
日本はカナダ、ハンガリー、イタリア、フィンランドに勝利し10位に入った。
代々木第二の収容人数はわずかに3202人。
一方、2020年の東京五輪のバスケットボール会場は、江東区に新たに作る 夢の島ユースプラザアリーナを予定していた。
バドミントン会場を夢の島ユースプラザアリーナA、バスケットボール会場の夢の島ユースプラザアリーナBとし、その建設費約364億円と計画。
建設予定地は東京メトロ有楽町線 新木場駅から徒歩15分とあった。
ところが、東京五輪招致委員会は、建設費の高騰などにより、競技会場の計画見直しを決め、バスケットボール会場は、さいたまスーパーアリーナに変更になった。

さいたまスーパーアリーナは、2006年の世界バスケットボール選手権の会場になったところだが、所在地は埼玉県さいたま市。
選手村から8キロ圏内にほとんどの競技施設を揃えるという招致プランは、早々に崩れていた。
それでも収容人数は約20000人。
過去の五輪バスケット会場と比べても見劣りしない。
参考までに、五輪バスケットボールの最高観客試合は34064人。
アトランタ五輪の男子決勝の 米国95-69ユーゴスラビア戦だ。
会場はジョージアドーム、2017年に解体されていて、今はない。

東京五輪のバスケットボールのチケットはプレミアチケットだ。
NBAのスターで固めたドリームチームを間近に見ることは、生涯まずない。

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1936年ベルリン五輪でバスケットが五輪正式種目採用されてから、2016年のリオ五輪までに、アメリカは132勝5敗、勝率96%、金メダル獲得14回。
だが、4回金メダルが獲れなかったことがある。

バスケット王国アメリカにとって、五輪の金メダルなど、大学生の良い選手を集めれば金メダルは十分に獲れるという競技だった。
かつて五輪は、厳格なアマチュアリズムの規定にも縛られ、当然プロ選手に門戸は開放されていなかった。

1972年ミュンヘン五輪、このときのアメリカチームは学生界のセカンドチーム的なメンバーだった。それでも全く他チームの相手になることなく、決勝まで駒を進めた。
対する相手は、ソビエト式選手育成法がピークに達する直前のソ連。冷戦華やかなりし時代に当然のように米ソが激突したのである。
アメリカは劣勢の試合に終始するも終了3秒前にフリースローでソ連を1点差で逆転、ここで試合終了かと思われた。
が、フリースローの前にソ連がタイムアウトを要求していたとして時計は3秒前に戻される。ソ連のインバウンズパスは失敗、アメリカは再び勝利に沸くが、FIBA(国際バスケットボール連盟)会長のW・ジョーンズの指示でなぜか時計は再び3秒前に。ソ連のロングパスからゴールが決まり、アメリカが五輪史上初めて敗戦を味わうことになった。
この2回のタイムリセットは不当だとして、アメリカは銀メダルの表彰台をボイコット。銀メダルは現在でもミュンヘン市の銀行の倉庫に保管され、当時のアメリカ関係者は今も優勝はアメリカであると信じている。

4年後、モントリオール五輪に万全に合わせてきたアメリカに対し、ソ連は準決勝でユーゴスラビアに不覚、アメリカはソ連と対戦することなく金メダルを獲得。
さらに4年後、モスクワ五輪にアメリカは現れず、金メダルはイタリアを下したユーゴスラビアが獲得。
その4年後のロサンゼルス五輪にソ連は現れず、金メダルはスペインを下したアメリカが獲得。
ミュンヘン以来の、五輪での米ソ対決は1988年のソウル五輪まで、16年待つことになる。

その頃、ヨーロッパはバスケットボールの第2のメッカになり、ヨーロッパ出身の選手がアメリカの大学からNBAに入るケースも目立つようになってきた。
ソウル五輪、アメリカの準決勝の相手はソ連。
ソ連にとっても8年振りの五輪の舞台、またソ連にはサボニス、トカチェンコという210㎝級のセンターや後にNBAでも活躍する選手も含まれていた。
そして76-82。
アメリカは16年前に続いてソ連に敗れたのである。
ソウルでの敗戦により学生選抜チームの限界を悟ったこと、ちょうどオープン化を図り、最高のスポーツ選手の集う祭典へと変貌を遂げつつある五輪の変革期にぶつかったこともあり、さらに4年後のバルセロナ五輪にはドリームチームが登場してくるのだ。

アメリカとヨーロッパ勢やアルゼンチンとの力の差は縮まっている。
アテネ五輪のバスケットボール男子は、アルゼンチンがイタリアを下して優勝した。
3位決定戦でアメリカに敗れたリトアニアが4位、5位ギリシア、7位スペイン、11位にセルビアモンテネグロが入り、欧州勢の活躍が目立った。
大会直後のスポーツイラストレーテド誌は、次のように書いている。
70年代に自己満足していたアメリカ自動車産業に、日本メーカーが突如目覚ましコールを持ってやって来た。アメリカのバスケットボール界が、今そうしなければならないように、海外との競争から多くを学ばなければならなかった。

バスケットボールは、1992年のバルセロナ五輪にNBAのドリームチームが出場し、圧倒的な強さを示すとともに、世界中のバスケットボール界を変えた。
バルセロナ五輪に出場できなかったアルゼンチンが、バルセロナをきっかけに一貫教育を始め、アテネで金メダルを獲った。
一方、組織作りの上手い欧州は、NBAやNCAAにも負けない強力なリーグを作った。
欧州バスケットボールリーグ運合(ULEB)はスペイン、フランス、イタリアのプロリーグが中心となって1991年にバルセロナを本部に設立された。
アマチュアや女子も統括する国際バスケットボール違盟(FIBA)とは全く異なる組織で、男子プロバスケットの発展を目指している。

さて、1991年のソ連解体のあと、その後継であるロシアはバスケットボールでは振るわず、米露戦は、2000年のシドニーオ五輪の準々決勝で85-70でアメリカが勝利して以降ない。
ロシアはロンドン五輪で、ソ連時代のソウル五輪以来のメダル(銅)を獲ったが、リオデジャネイロ五輪の出場権は得られなかった。
筆者は、ソ連の後継はむしろリトアニアではないかと思っている。
ソ連時代もバスケットチームの主力は、リトアニア人だったことはよく知られていることで、ソ連から独立した1992年以降の8回の五輪にすべて出場し、銅メダル3回を含め、5大会で4強以上になっている。
 
リトアニアは、6月23日からの東京五輪最終予選に臨むはずだったが、東京五輪は延期、予選の日程は決まっていない。

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