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自然に包む心

時々、スキンシップが多い方と出会うと、
ドキッとする。
誰とも触れ合わない時間を過ごしていると、
過敏さが増しているから。

自然に触れられた一つの動作に、大きな意味があるのではと疑う自分。
ほんとに、
大きな意味は、あるのだろうか…。


これは、わたしが育った家庭環境によるものかもしれない。

どちらかというと、スキンシップが得意ではない。
人にベタベタ触れられるのも、
もちろん、自分が相手をベタベタ触るのも、
悪いという気持ちになる。

だから、むやみに人に触れることはない。


子供達も大きくなると、親子のスキンシップはなくなった。
それがいいとか悪いとか、考えたことすらない。

そもそも、スキンシップが大切という考えが、
頭になかったのかもしれない。
自然のままにきた。


誰にも触れられない毎日を送っていると、
肩をトンッとされたり、
腕をポンっとされたり、
偶然手が触れたり、
ゴミがついてるよと、自然にとってもらったり…
そんな事でも身が一瞬、固まる。

不純さが感じられるスキンシップ、
不純さが感じられない自然なスキンシップ、
そこは不思議と一瞬で感じる。

自然に起こるスキンシップ。
何か意味があるかのように、
わたしには錯覚が起きる。

きっと、不慣れさがそう思わせてるのかもしれない。


スキンシップが得意ではないわたしでも、
時折り、布団のように柔らかいもので、包んで欲しい気持ちになる。

それは安心と安らぎを感じたい時。
大丈夫みんないるよ、
大丈夫あなたは1人じゃないよ、
というメッセージがそこに存在している気がしてた。

一緒に頑張ろうね。
大丈夫、大丈夫!
わたしもここにいるよ…
そんな音にならない言葉をのせているようだ。

相手には大きな意味はないかもしれない。
いつもの、当たり前のスキンシップ。

けれど、受け取るわたしには、
体ではなく、心を包み込む優しさが、
溢れてくるように感じていた。

わたしもそんな人間でありたい。


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